破:起 ≪茶会≫
大瓶に注いでくれと、じょうろを渡された。
中は無色透明無臭の液体で、水かと思うが、せっかくのゼリービーンズを濡らしてしまうことに陸歩は首を傾げる。
と思っていたら、その他の庭に散らばった粒たちは、ものの数分で……発芽していた。意味不明。
つまりじょうろの中身は芽が出るのを抑制する薬液のようだが、それよりも先に食べてしまった一粒が気がかりである。
「胃液に触れれば芽は出ないよ。お腹の中で木になるようなことはないから」
メディオエディオはクスクスと笑っていた。
作業の間に、お互いに自己紹介を交わした。
それが済む頃合いを見計らって、メイドたちが入れ代わり立ち代わりにお盆を手に現れる。
あっという間に茶会の準備が整えられ、テーブルの上にはケーキを筆頭に、タルトにマカロンにクッキー、揚げ菓子もあれば、こっちは練り切りか。もちろん出来立てのゼリービーンズも。
いかにも上等なカップに真っ赤な紅茶が注がれ、陸歩たちは着席を促された。
一通りを終えて、「ごゆっくり」とメイドたちが一礼する。
「アイネ」
それをメディオエディオが呼び止めて、振り返ったたくさんのメイドの中から一人を見出し、近くに来るよう指で示した。
彼女は、クスクスと笑いながら、そっと手を差し出す。
その甲へ、メディオエディオは優しく口づけ。
「正解です、我が主」
実に幸せそうに乙女の顔で微笑んだメイドは、手を大事に押さえながら、今度こそ下がっていく。
「さぁ、召し上がれ。遠慮はいらない」
「……いただきます」
陸歩たちはとりあえず、紅茶に一口をつけた。
途端に隣でキアシアが興味深そうにし始めたから、きっと相当に美味い茶なのだろう。だが今の陸歩には、味はおろか匂いにさえ意識を割く余裕がなく、どうとも感じていない。
手ずから全員分のケーキを取り分けているメディオエディオに、陸歩は性急に切り出した。
「あの、メディオエディオさん、実は是非とも聞いていただきたいお話が、」
言葉は手で制される。
皿を配りながら、メディオエディオは面白がる風に答えた。
「先に、三つ断っておきたいことがある。
一つ目、敬語はやめたまえ」
その要求に、陸歩は一拍の間のあと、苦笑をもらした。
「敬語はやめろ、か。……それ、座長にも言われまし……言われた」
「座長。あぁ、エミリーね」
あの座長、そんな可愛い名前だったのか。
「彼女、元気だった? ボクら学園の同期なんだけどね、最近さっぱり顔も見せないんだよ」
「えぇ、元気でした……うん、元気だった。
クレイルモリーだと、敬語は逆に失礼?」
「失礼って程でもないけどさ。これから仲良くなりたいって相手に、敬語で距離を取られるなんて寂しいだろう? 嫌がる人は多いんじゃないかな。
二つ目もそれ関係なんだけどね。ボクのことを、メディオエディオなんて長ったらしく呼ばなくていいよ。メディオか、可愛らしくメディでいい。呼び捨てでね」
「……わかった。メディオ」
「そっちを選んだか」
メディオは楽しそうに笑いながら、紅茶にマシュマロを落とした。
陸歩が話しているからイグナもキアシアも菓子に手を付けないでいて、しかしそれがメディオには気になるらしく、「食べな食べな」としきりに勧める。彼女たちの皿へこれでもかと甘味を盛っていき、自らもシュークリームを子どものように咥えていた。
「メディオ? それで、三つ目は?」
「んぁ、そう。
申し訳ないんだがね、さすがのボクも、次元の突破方法はまだ見つけてないんだよ」
「…………なんだって?」
「目下、研究中なんだ。まぁ糸口は掴みかかってるから、あと二・三十年ほど待ってくれれば、君を元の世界に帰してあげることもきっと、」
「ま、待った待った! ちょっと待った!」
あまりのことに陸歩は鳥肌すら立てて叫ぶ。
「なんでっ、あんたっ、オレのこと……?」
いたずら成功とばかりに、メディオはにんまりとした。
「この世界とは別なところからやってきたんだろう? 『上』からか『下』からかまでは知らないけど」
「…………、」
「見れば判るさ。見方を知っていればね」
今まで『それ』を初見で看破されたことはない。
来客が別の世界の住人……なんて狂人の発想だが、この人は根拠をもって言っているらしい。
「君の黒目黒髪、顔立ちや骨格、あとは歯並びとかかな。
最初のヒトが産まれたのは今からおよそ千年前で確定しているけどね、それから今日までの期間では、どの種族をどう掛け合せても、子はそういう容姿にはなるまいよ。まぁボクの予想だと、君と似た人間が出来るまで、あと十七代くらいは必要なんじゃないかな」
簡単に言うが、亜人や獣人が数多おり、人間だって大陸によって肌の色や体躯が異なるこの世界で、その答えを導き出すのにどれだけの知識と演算が必要なのか。
それを、目の前の男は、何でもないことのように。
「……噂通り、メディオは天才なんだな」
「こんなのは秀才レベルだよ。少し勤勉なら出来る手品さ」
「いや十分すぎると思うけど……とにかく。
お見立ての通り、オレはここでない世界から来た。そこんところの説明がいらないなら、手間が省ける」
やおら立ち上がった陸歩は、額がテーブルにつくほど、深々と頭を下げた。
「メディオ、お願いがあります」
「帰り道以外に?」
「それはもう算段をつけてある」
「ほう?」
メディオが興味深そうに目を細めたが、陸歩自身は頭を下げたままであるからそれに気づかず続ける。
「オレに、カラクリを教えてください」
その要求は、どうもメディオにとっては異界人よりも予想外だったらしく、呆気にとられたようにしばらく無言であった。
絶句されては陸歩も不安になり、顔を上げると、メディオは微笑んでいいのか訝しんでいいのかという、実に複雑な表情をしている。
「ボクに、弟子入りしようってこと? 珍しいねぇ。自分で言うのもアレだけど、ボクって曰くつきだよ?」
「このクレイルモリーはカラクリの聖地だと聞いた。その中で貴方は、比類のない天才だとも。
どうかオレに、知恵と技術を授けてほしい」
メディオは腕を組み、顔つきを真剣にしていく。
よく笑う、子どもっぽさを残した人なのかと思えば、このように厳めしくすると、途端に老練な雰囲気を纏った。
学道を極めた者が、目の前の事象に対して浮かべる、品定めの目。
「何のために、求めるんだい?」
「――姉がいるんだ。身体を失くした姉。首から下が何もないんだ……。
オレは、あの人に、自由になれる身体をあげたい。
貴方になら、その術が分かると聞いた。どうか、お願いします……オレに、力を貸してください……」
血を吐くような陸歩の懇願に、メディオはふむと息を吐く。
彼の瞳には、同情などは……一切浮かんでいない。
ただ単に関心だ。好奇だ。あるいは狂気とも言える色だけが渦巻いていて。
「面白そうじゃあないか。詳しく話を聞こうか」
天才は、ひたすらに興味だけから受け入れる。




