序:結 ≪訪問≫
街に入ったところで人形一座は、次の巡業まで一時解散となった。
各々が家に帰る中、メンバーには陸歩たちに興味津々でついてこようとする者もあって、だがそれは座長が空気を読ませて追い払う。
座長に案内され、メディオエディオの工房を目指し、陸歩たちはだいぶ歩いた。
途中、蜘蛛のような八脚の乗り物も用いて。
犬のような四脚の乗り物も用いて。
巨人のような二脚の乗り物も用いて。
「――この道の突き当りが、奴の住処だ。他に建物はないから、もう迷わないだろう」
ついに座長が通りの奥を指差す。
裏を返せば案内はここまで、門前までは遠慮したい。そういうことなのか。
それでも十分すぎるくらいだ。陸歩は右手を差し出した。
「ありがとう。本当に助かった」
「気にするな。君らと同道できて楽しかったよ」
優しく微笑んだ座長はその手を握り返し、励ますように力を込めてくれる。
その後イグナとキアシアとも握手を交わして、座長は自らも帰路に着いた。
「さて、と……行くか」
ふと気付けば、辺りはだいぶ閑散としている。
さっきまで陽気に歌か音楽か笑い声が、しきりに聞こえていたというのに。
そもそもまず街はずれで人気がない。
……メディオエディオという天才は、よほどの人嫌いか、あるいは爪弾き者なのか。
少なくとも変人で間違いはないようである。
目の当たりにした工房。屋敷と呼ぶべきそれは、無茶な増改築を繰り返したようで、家の上に家、塔の先端に塔、壁から生やすように別の建物と、真っ当な建築物ではなかった。
のみならず。
「……ねぇ、これってあたしの目のせい?」
「いえ、錯覚ではありません。実際に、屋根も壁も歪んでいます」
少女たちが呆れる通り、この工房には一つとして直線がない。何もかもがグニャグニャとしている。
これでよく倒れないもの、どういう建築方法なのだろうか。
ついでに趣味悪く七色に塗りたくられ、まるで夢の中で出てくる屋敷のようだ。
確かに訪ねるのにも気後れする場所である。
が、いつまでも尻込みしているだけの余裕も陸歩にはなくて、これまた歪んでいる門扉の前で呼び鈴を探した。
……見つからない。
「どうすりゃいいんだ?」
「おっきな声で呼んでみる?」
「リクホ様、こちらを」
イグナが何かを見つけたようで、陸歩はキアシアと共にそこを覗きこんだ。
彼女が指さす先は門の支柱のすぐ根元の地面で、そこには鍵が一本突き刺さり、持ち手だけを晒していた。
「取っていいのかな?」
「おそらく。これ見よがしですので」
「あぁ、この鍵でそこの門が開くんじゃないの?」
「……、……抜けねぇけど」
「えぇ……?」
あまり無理に引っ張ると陸歩の怪力では、鍵を千切ってしまいそうで怖い。
イグナに代わってもらうと、やはり抜けないようで、しかし彼女は手に伝わる感触から冷静に分析する。
「先端で引っかかっているようですね」
ノブに刺したときと同じ要領で、鍵を回した。
カチリと小気味のよい音がする。
――それが合図だった。
突如、地震。
何事かと陸歩たちが周りを見回す中、工房全体が大きく身震いする。
そして建物のあちらこちらが猛烈な勢いで展開や収束を始めたのだ。
あっちの塔がこっちへ移動。
こっちの壁があっちへ移動。
そこにあった屋根がそっちの屋根と連結し、舗装された地面が裏返って新しい建物が生えて、代わりに要らない部分は沈むように片付けられて。
「えぇえ…………」
ものの数十秒、メディオエディオの工房は、その姿をまるっきり変えていた。
グニャグニャはそのままであるのだけれど、門は大きく開け放たれていて、母屋と見える一際大きな建物までここから一直線の道が通っている。
「なんつーか……スケールがデケェな」
「これってそういう次元の話なの?」
「大変興味深い機構が組み込まれています」
三者三様に感想を述べている間に、件の建物からこちらへやって来る者が、二人。
メイド服の女性だ、出迎えに現れたらしい。双子なのか全く同じ顔をした彼女らは、全く同じ歩幅で歩き、全く同じタイミングで立ち止まり、全く同じタイミングで一礼した。
「いらっしゃいませ」
「ようこそ、どうぞ奥へ」
こちらが要件を伝える前にさっそくメイドたちに促され、陸歩はむしろ面食らう。
「あの、えっと? メディオエディオさんに、会いたいんですけど……」
「はい。どうぞ、お入りください」
「間もなくティータイムですので」
「……アポとか、取ってないんですけど」
「構いませんよ」
「主はそういった些事は気にしませんので」
「…………、」
陸歩は一度イグナと顔を見合わせて、キアシアとも視線を交わす。
胡散臭いことこの上ない。
もしかして、座長があらかじめ面会を取り付けてくれたのだろうか。……いやでも、そんなことは言っていなかったし、隠す理由もないだろうし。今メイドの返答もアポはなくていい、という内容だった。
だが、メディオエディオが会ってくれるかどうかでまず不安だったのだ。
それを二つ返事、というか向こうが進んで招いてくれるというのなら、断る理由など存在しない。
「……お邪魔します」
敷地へ陸歩が最初に踏み込み、イグナがそれに静々と、キアシアは怖々と続いた。
メイド二人はそのまま礼の姿勢で門前から動くつもりがないらしく、どうも案内はしてくれなさそうで、まぁ一本道だから奥を目指す。
かと思えば、屋敷の玄関前にまたメイドが二人いて、扉を開けてくれた。
……途端に不気味になってくる。というのも、この新たなメイドたち、さっきの二人と全く同じ衣装と顔なのだ。四つ子か。
「靴のままで結構ですよ」
「主は中庭におります」
敷居を跨ぐ。すると……今度は四人。同じ顔のメイドが現れて「お荷物をお預かりしますわ」と申し出る。
一通りの持ち物を受け取ると下がり、また同じ顔のメイドが入れ替わりで一人、「こちらです」と先導した。
キアシアは失礼にならないよう、怖がるのを必死で我慢している様子だが、表情と態度が固くて丸わかりだ。
「い、イグナ……あのメイドさんってさ、とっても良くできた人形だったりする? だって、こんな、ね?」
「判りません」
イグナのほうは警戒心を隠す気もないらしい。全身のセンサーを逆立て、珍しく緊張しきりながら言った。
「判らないんです。
彼女たちは心音も体温も、全てヒトの反応を示しています。それなのに……全員が、同じなんです」
「同じって……何が……?」
「呼吸の仕方が、深さが。鼓動の大きさが、回数が。――こんなこと、機械でもなければ到底想定できません。
けれども、反応はヒトなのです」
ごくりとキアシアが唾を飲み、陸歩はわずかに目を細めて先導するメイドの背中を見つめた。
声を潜めたって限度があるし、今の会話はある程度聞こえていただろうに、この女性は気にする素振りも見せず、イグナに匹敵する完璧な姿勢と歩みで廊下の角を曲がった。
尋常ならざる天才に侍る従者もまた、尋常でないということだろうか。
もう二度ほど廊下を渡り、緩やかな階段でわずかに降ると、両開きの扉があった。
そこではまた新しく同じメイドが一人待ち構えていて、陸歩たちを案内した一人とともに一礼する。
「この先が中庭でございます」
「すぐにお茶をお持ちしますので、それまでは是非、主とご歓談くださいませ」
「……どうも、ありがとうございます」
扉は独りでに開いた。
と、むっと甘い匂いが押し寄せる。
陸歩は思わず鼻と口元を手で覆い、キアシアも軽くむせていた。イグナはことりと首を傾げていて、匂いの元の判定に困っているようだ。
問う意味でメイドへと顔をしかめてみせた陸歩だったが。返ってくるのは、涼やかな微笑みのみ。
「…………、」
躊躇いながらも、中庭へ踏み出した。
辺りは何か、色のついた煙が充満していて、視界がぼんやりとしている。
見上げればそこは空なのだが、それより手前に極彩色の雲が滞留していて、これは煙が寄り集まったものであるらしい。
何かの実験だろうか。
男がいた。
一人だけいた。
ということはこれが噂のメディオエディオ・ダラディエ氏なのだろうが。
……思った姿と、だいぶ違う。
まさか鬼や悪魔とまでは思っていなかったものの、陸歩のイメージの中の彼は、酷薄そうで潔癖そうで神経質そうで、爬虫類のように冷たい目か顔かをしていた。
いかにも研究者という感じの、白衣を翻して、髪型はオールバックとか。
が。実物は。
七輪そっくりの装置の前にしゃがんで、しきりに団扇で扇いでいる。
もしゃもしゃの髪、無地の衣服に半纏のような上着を羽織った格好は、明らかに見た目に頓着するタイプでない。
風を送る傍から七輪は煙を吐いていて、これが目や喉に沁みるようで、彼は涙を浮かべながら咳を繰り返している。
「……あのっ、」
なんと声を掛けたものか分からず、取りあえず陸歩は呼びかけてみたが。
客に気付いたメディオエディオは、にっこりと相好を崩した。
あの座長と同年代、二十代後半のはずだが、その表情はずっと子どものようで彼の年齢を曖昧にする。
「やぁ。いいところに来たね」
「えっと、」
「こっちこっち。手伝ってくれよ」
手招きに応じて陸歩らが近づくと、メディオエディオは殊更に微笑んで何度か頷く。
「じゃあそっちの、赤い髪の娘」
「ワタシでしょうか」
「これ、代わりに扇いでくれる?」
「はぁ。かしこまりました」
「そしたら、そっちの緑の目の娘」
「あ、はい」
「この器をお願い。中のその粒々をね、ちょっとずつ火にくべてくれればいいから」
「あぁ……はい……」
「で、そっちの彼」
「はい」
「隅の方に大瓶が寄せてあるだろう? あれを庭中のあっちこっちに、等間隔くらいで並べてくれるかい」
「わかりました」
「ボクはパラソルを開くね」
これは一体何の儀式なのか。四人で手分けして色付き煙を立てていく。
陸歩は先方の心証を良くしたい一心で手伝うが、いかんせん鼻がきつい。
メディオエディオはしきりに空を見上げ、溜まりゆく雲の具合を確かめている。
「――ん。そろそろだね」
「あの、これって、」
「ほらほら、みんなパラソルに入って。早く早く」
何かひどくはしゃいだ様子のメディオエディオに言われるがまま、傘の下で互いに肩を寄せ合うと。
ぽつり一つ、雨粒が降った。
ほどなく、ざあざあと本降りに。
この工房にきてからおかしなこと続きだが、この雨もまた奇妙で、光を受けてプラスチックのようなカラフルさで輝いている。
のみならず、地面に当たっても沁み込まずに跳ねて転がった。
足元の一粒を摘まみ上げた陸歩は、しげしげと眺めて。
「これ……ゼリービーンズ?」
ゼリービーンズだ。
ゼリービーンズの雨だ。
降りしきるのはゼリービーンズで、庭をどんどん染めて行って、陸歩が並べた瓶にも見る間に山盛りに溜まっていく。
どういう理屈か。
どういう原理か。
どういう装置なのか。
この天才はおよびもつかない方法で、菓子を作成していたらしい。
パラソルから掌を出したメディオエディオは、そこへ積もったゼリービーンズに莞爾と笑い、さっそくパクついていた。
「うん、いい出来だ」
彼は何かを期待する目でこちらを見ていて、それで気付いた陸歩は、手の中の一粒を口に放り込む。
「どうだい?」
「甘い、です。美味しい」
メディオエディオは満足そうに歯を見せて、陸歩の肩を親しげに叩いた。




