序:転 ≪手記≫
手記No.12:『人形の産土』クレイルモリー
―― 鐘の月/下目の曜 ――
カシュカ大陸北部。
とうとう辿り着いた。
人形師の聖地、カラクリの最先端、クレイルモリー。
草原の向こうに鎮座する巨大なドーム。これがクレイルモリーだ。
周囲に外壁を巡らせる街は少なくないが、ここのは一際物々しく重厚で、まるで要塞といった趣。
晴れれば天井を開け、雨なら閉めるそうだ。その開閉も自動で行われるのだとか。言うなればこのドームが一個のカラクリである。
鍵の配布には厳しい制限がある。
その上、街が認めていない者が扉の樹から侵入すると即砲撃。身に覚えのある話だ。
かと思えば正門から入る分にはだいぶ容易い。
無人の検問が設置されていて、備えられたカラクリのゲートを通ると、適正か否かが瞬時に判断される仕組み。
この判定がちょっと謎で、例えばオレは剣を帯びているし、イグナは全身が武装だし、キアシアは腰から拳銃を下げているし……でもどれ一つ没収もされずに通れた。いったい何を否としているのだろう?
街並みは、一言で言えば、チグハグ。
建築物は様式がバラバラで、和風洋風なんでもアリだ。
だけでなく一軒単体でもチグハグなものも多い。瓦葺の煉瓦の家という不思議なのもあるくらい。
余所の街から丸ごと持って来たんじゃないかって建物もたくさんある。
決して馬鹿にするつもりはないのだが、クレイルモリー民は、なんというか、享楽的というか? 結構テキトーな部分が多い。
誰もかれも、あまり深く悩むということをしない質のようで、思いつくまま生きているように感じる。遊び心豊かというか。
革新的な技術は、そのおかげで生まれるのかもしれない。
あと警戒心が薄い。これについてはカシュカ大陸北部の気性かもしれない、モンプも似た感じだったし。
あるいはカラクリによる治安維持に絶対の自信があるのか。
楽器を見かける機会の多いこと。
街中の至る所で誰がしかが楽器を弾いていて、もしくはカラクリ楽器が自らで演奏していて、チャカポコと実に楽しそう。
歌も多い。
ダンスも多い。
曲芸も多い。
通り過ぎながら様々な店を覗くが、大抵どこでも人間とその倍の数の人形が働いていた。
客の中にも人形がいる。
売買には硬貨を用いていないようで、読取機らしきカラクリにカードや掌をかざしていた。電子マネー、キアシアは怪訝そうに眉をしかめる、オレはなじみ深さに興奮。
名物料理……と言っていいのかはひどく微妙だが……も、また独特だった。
ランダムに材料を選び、ランダムに調理するカラクリによる、ランダム料理。
たまに食えないものが出てくると笑顔で説明され、キアシア卒倒。南無。
それから、この街で足を持つものは、生き物に限らない。
というか歩けない物なんて存在しないんじゃないだろうか?
家具だろうと文具だろうと食器だろうと遊具だろうと家そのものだろうと、カラクリの足を隠していて、必要になればカサカサノシノシと移動していく。
主を寝そべらせたまま、えっちらおっちら駆けていくソファーを見かけたが、これこそクレイルモリーを象徴する光景ではないだろうか。
なのでここに着く前に人形一座と出会えたのは本当に幸運だった。
あれもこれもが出歩くせいで街並みは一定でなく、余所者のオレたちでは絶対に迷っていたはずだ。高名な人形師を見つけ出すまで、一体何日かかったことか。
目のやり場にはだいぶ困る。
というのも……クレイルモリーにはごく一般的に、美しい愛玩人形がおり、歩いていたり踊っていたりするのだが。
これを眺めていると、明らかにイグナの機嫌が悪い。
京都の舞妓を思わせる白塗りのカラクリ人形を、オレは嘘偽りなく下心抜きの興味と関心からのみ見つめていたのだが。イグナの咳払い……怖かったよ。
社の設置は早々に諦めた。ここの人間は宗教とは無縁だ。
教会なんて一つもない。
神の奇跡を信じてない、ってことでもないようだが。さすがカラクリの街と呼ぶべきか、人の時代には人の成す業あるのみ、というポリシーがあるのだそうだ。神の奇跡はいずれカラクリで再現してやろうって気概らしい。それを冒涜とするべきかは、オレには分からない。
まぁ宗教に対して否定的って態度でもないんだが……いや、どうなんだろ?
他の街に輸出するために、『全自動信仰人形』なんてものが開発されたんだって。売れなかったって。そりゃそうだ。
座長に案内されて、これからメディオエディオの工房を訪ねる。
正直に言えば、この上なく緊張している。
頭の中は、悪い「もし」でいっぱいだ。
でも今は……とにかく……期待するよりない。
天衣無縫のカラクリを生み出す天才ならば……きっと。




