序:承 ≪一服≫
朝食はキアシアが腕を振るった。
大陸中を巡業し、その人気ゆえに行く先々で手厚い歓待を受ける人形一座のメンバーたちは、一様に舌が肥えている。
それでも彼女の料理には度肝を抜かれ、中には涙ぐむ者もあり、楽器を手に取ったかと思うと賑やかなドンチャンが始まった。
朝っぱらから宴会のような有様である。
だが陸歩はそれに呆れるでもなく、というより視線すら払わず、ずっと平原の向こうを見つめていた。
朝靄に煙る、鉄の巨大なドーム。
クレイルモリー。
とうとうここまで来た。
あの街に答えがあるのだ。
早く、早く、早く――
「そう一所ばかり睨んでいると、肝心なものを見落とすぞ?」
声を掛けてきたのは座長だった。
両手にマグカップを一つずつ持っていて、片方をくれる。
受け取った陸歩は、おずおずと口を付けた。エスプレッソのコーヒーは口の中を苦味ですっきりと洗い、ため息を誘う。
「…………やっとここまで来たんだ。他に目移りしてる暇なんてないよ」
「難儀な奴だな君は。ゴール間近ならちょっとくらい緩めたっていいじゃないか」
「違う。クレイルモリーはスタート地点だ。まだ何も得ちゃいない」
陸歩の焦燥感すら混ざる言葉と呼気に、座長は肩を竦めた。
それから彼女は口笛を短く二度吹く。するとカラクリの椅子が二脚、よく躾けられた獣のようにピョコピョコと駆けてきた。
一方に腰を下ろした座長は、陸歩にも勧めるが、彼は立ったまま。
それならそれで気にしないようで、座長は足を組んでリラックスし、コーヒーを楽しんでいる。
むしろチラチラと気にするのは陸歩の方。
「……いつ出発する?」
「全員が一服つけたら、だな。
――だからそう睨むなって。ちゃんと連れて行くよ」
「……なぁ、本当にあるんだよな? クレイルモリーには、人体を丸々創り出すカラクリ技術が。それを生身に継ぐ技術も」
昨日の時点で「ある」との返答をもらっている質問を、陸歩はまた繰り返してしまった。
少なからず失礼に当たるかもしれない。信用してないのかと思われるかも。
それでも確かめずにはいられないのだ。彼には掛け値なしの死活問題なのだから。
対して座長は、別段気を悪くした風もなく、きっぱりと同じことを答える。
「ある」
「……、……そっか」
バツが悪くなった陸歩は、空いている方の椅子にどっかりと腰を下ろした。慣れていない尻に座られ、カラクリ椅子はむず痒そうにわずかに身を揺する。
座長は、もう一口コーヒーを飲んでから。
「メディオエディオを訪ねなさい」
カップの中の黒に目を落としていた陸歩は、ぱっと顔を上げる。
「なんて?」
「メディオエディオを訪ねな。クレイルモリーに着いたらね」
「それは、あー、場所? それとも施設?」
座長は小さく笑った。
「人の名前だよ。男の名前。
メディオエディオ・ダラディエ。
クレイルモリーで一番の天才さ」
「いけすかない奴さぁ!」
通りがかった団員の一人がリュートを鳴らしながら、陸歩の背に自らの背をくっつけて言う。
座長はそれを手振りで追い払うが、とはいえ言葉は肯定した。
「あぁその通り、いけすかない。だって本物の天才なんだからな。
――いいかリクホ。世の中にはね、周囲が全部凡人で、相対的に抜きん出ているから天才と呼ばれているだけの秀才が、吐いて捨てるほどいる。
……でもね。あいつは別なんだ」
「別?」
「あれは別。メディオエディオは別。あいつは別格に天才だ。
私たちとは見ている世界が違う。見つめている次元が違う」
「……そんなに?」
座長は空にしたカップを、軽く放り投げた。地面に落ちる前、カップの底から節足が生えて見事に着地し、カラクリ仕掛けの歩き方でトコトコと草の上を走っていく。
コーヒーがなくなって、でもまだ座長は苦そうだった。
「分かりやすいエピソードを聞かせようか。
二十年前と比べて今のクレイルモリーには、カラクリ工房が十分の一しかない。メディオエディオのせいで大半の技師が工房を畳んだのさ。同年代も全滅だ、誰一人、技師にはならなかった。
なぜって? 誰もあいつの作るものを、超えられなかったんだな。何を思いついても何を完成させても、それはとっくにメディオエディオがやっている。どう足掻いても後追いにしかならないってんじゃあ、こんな屈辱はない」
ひどく躊躇ってから、結局陸歩は訊いた。
「……あんたも、そうなのか?」
「私は最初から動かす方を目指していたからね。助かったよ。
とにかく、あいつはそういう天才だ。
限りなく人体に近いカラクリと言ったな。そんなものを習おうというのなら、メディオエディオ以外ないだろう」
街の技術全てを包括しているような人物というのなら、確かに。
しかし、ため息が出るような相手だ。
「そんな悪魔みたいな脳みそしてる人が、オレなんかを取り合ってくれるのかな」
「その点は心配いらない。あの男は無類の面白いもの好きだ。そしてリクホ、君は間違いなく面白い」
「炎の異能を持ってて、神託者だから?」
座長が微笑む。
そこには確かに、励ます色が含まれている。
「君が必死だからさ」
「…………、」
言葉だけ捉えればなかなかの言われようだが。ニュアンスできちんと受け取った陸歩は、コーヒーの最後の一口をぐいと呷る。
そしてカップを放ると、やっぱり節足が生えて走り去っていって、それを見届けてから座長が立ち上がった。
「さてと、これで全員の一服が済んだな。
それでは行こうか。我が故郷に」
陸歩も立ち上がろう、と思ったその時、椅子自身が身体を大きく揺すって立たせてくれた。
なんとまぁ。生活に張り巡らされたカラクリ技術であることよ。




