序:起 ≪試験≫
閃き合う剣と剣は、夜空に鋭く浮かんだ月と同じ色をしている。
受け太刀するときは下手に踏ん張るな、と習った。相手の剣術が判然としていない時は特に。
武器の破壊に特化し流派はそれなりにあって、万一相手の業がそうであった場合、受け止めた時点でこちらの刃が叩き折られてしまうからだ。
そのセオリーを陸歩が思い出したのは、まさに剣で敵の横薙ぎを止めた瞬間。
「――ちぃ!」
斬撃を逸らして流す方法も教えられてはいたが、覚えたてで指が、手首がイメージの通り連動しない。
陸歩はとっさに後ろに飛び退ることで、何とか代わりにした。
二の太刀が追いかけてくる。
さっきの打ち合いで手に伝わった衝撃から、武器殺しでないと判断した陸歩は、今度は剛力で敵の剣を迎え撃つ。
「おぉおっ!」
右手で握った剣で、左から右に上弦を描く一閃。
対して敵は諸手の剣で受け止めるが。
純粋な力比べなら、陸歩は何にだって負けない。
刃を弾き上げられた敵が体勢を崩した。
好機ではあるが陸歩もまた鈴剣の切っ先を流してしまっており、すぐには斬り返せず、なのでもっと単純かつ手っ取り早い方法で追撃を見舞う。
すなわち、胴への拳打。左手でのボディーブローだ。
敵は、しかし拳が触れるか触れないかの完璧なタイミングで右肩を大きく振るように引き、また右足も下げ、威力を全て流してしまった。
「くそっ、」
のみならず左足を軸にしてその場で回り、十分な勢いをつけた右足でもって蹴りを返してくる。
とはいえ、繰り返しになるが、膂力差では陸歩に分がある。腕で受け止めれば微動だにしない。
が、敵の目論見はさらにその先。陸歩の腕を足場にして後方へ大きく跳んだのだ。
仕切り直しだ。
「……器用なやつ」
呼吸を整え、鈴剣を正眼に構え直しながら、陸歩は呟く。
敵の動きは思ったよりもずっと柔らかい。
さすがはクレイルモリーの自律人形、といったところか。
見た目は二メートルほどの甲冑だ。兜のスリットから覗く眼光が赤い。
その装甲の下にどのように緻密な原理が収められているのか、剣術に関しては陸歩を数段上回る使い手だった。
今は長剣を手に、だらりと腕を下げて、まちまちのリズムで肩を左右に揺らしながら、じっとこちらを見ている。
その様はどこか呆としているようにも見えて、仕立ての悪い玩具のようで、そのせいで陸歩は初撃を見誤った。あれほど鋭敏かつ激烈とは。
剣術流派三つをインプットしてある――事前にそう聞いてはいたが、人形のくせにここまで自在だとは恐れ入る。
しかし、この難敵は陸歩にとって喜ぶべきこと。
クレイルモリーという街のカラクリ技術の高さが、はっきりと示されているのだから。
なればこそ、負けるわけにはいかない。絶対に。
押し通る。
陸歩は手の中で、剣を回した。
鈴の音に編みこまれた術式が働き、刀身を長く、そして広く変える。
伴って重量も増すが、むしろこの加重も都合がいい。
剣技比べでは圧倒的に不利。
であるならば、それ以外の『力』でもぎ取る。
「――せっ!」
猛然と地を蹴り、陸歩は突っ込んだ。
自分の体躯よりも巨大となった鈴剣を、彼はほとんど鈍器のつもりでいる。斬るというより叩きつけるを意識し、人形めがけて幹竹割りに振り下ろす。
脳天を真っ二つに――
さすがにそうは上手くいかず、人形はバックステップで回避し、激しく抉れたのは地面のみだ。
立ち昇る土埃で一瞬不明瞭となる視界。
ただし人形には眼球にゴミが入ることを嫌がる必要もなく、未だ次の動作に移れない陸歩を正確に狙い澄ましていた。
だが。
まだ、手番はまだ陸歩だ。
叩きつけに際し、一層の力を籠めるために大きく吸い込んでいた、息。
胸郭が膨らむほどのそれを、陸歩は人形へ向かって、渾身で吐きつけた。
「かぁ――!」
流れ出すのは漠々たる火炎の奔流だ。
その様は火竜の吐息を思わせる。波を打った赤は地を焼き、夜を焦がし、人形を飲み込んだ。
しかし大陸に名高いクレイルモリーが謹製の戦闘人形だ。
耐火性にも並みならぬ性能を発揮し、剣を二度打ち振るって炎を吹き散らす。
再び開けた視界で、人形のアイサイトに映ったもの。
それはさらに壁のように刃幅を広げ、地面に突き立てられた鈴剣である。
人形は瞬時に意図を計算する。
カラクリの目には色や形のみならず、その他にも沢山が読めていて、あの刀身の裏側に熱源を認めた。
――対象発見。なんらか予備動作が必要な技・術のための時間稼ぎと判定。
この間一秒以下。
自らも鈴剣を遮蔽とする巧妙、かつ間をあけない高速の足取りで回り込む人形。
同時に上半身では必殺の剣技を練っていて、対象がこちらを視認するより先に、そして自らも対象を確認するのを保留にして、首の位置と予測した地点を迅雷の速度で刈り取る。
――手ごたえ無し。
人形の挙動が一瞬フリーズする。
鈴剣の向こう側、そこに陸歩の姿はなく。ただ赤々と燃える焚き火が立っているのみである。その温度は陸歩の戦闘時の体温と酷似していて、つまり、即席の影武者……。
見失った陸歩の姿を探すべく、人形が首と視線をバラバラに巡らせる。
――上。
火を吹き、鈴剣を立てた時点で陸歩は真上へ跳躍していたのだ。
今は火炎を纏わせた両手をがっちりと握り合わせ、ハンマーさながらに全力で振り下ろした。
「おぉおぉ、らぁっ!」
今度こそ、脳天。
……しかし捉えたのは左の肩口だ。
人であれば迫力に負けて恐怖にかられ、とっさに防御を取って、より致命的な事態となったところだろう。
しかし人形はきっかり計量し、腕一本を捨て、辛くも機能停止を免れた。
左肩から脇にかけてをごっそりと欠損させ、よろけるように間合いを取る人形。
この機を逃す手はない。
鈴剣を再び携えた陸歩は、右手の中で柄を滑らせ、激しく回転させる。適正な大きさに縮めるためだ。
あわせて左手は指鉄砲の形にし、礫状の炎をいくつも人形へ発射した。
片腕を失ってはさすがの人形も精細を欠く。
顔に向かってしつこく放たれる炎弾を嫌って剣で払っているが、打ち漏らしたいくつかが兜にぶつかって爆ぜる。
今だ。
陸歩は左手を開いて、握りこんでいた一際大きな炎弾を放った。太陽の子どものようにギラギラと照る、それ。
のみならず、陸歩はその炎弾へさらに指鉄砲を連射する。
追加の火をくべられて、肥り切った炎弾がついに破裂した。
辺りが昼の明るさに包まれ、その中心にあった人形はひとたまりもない。
人形が眩ませた目を即座に明順応させたとき。
すでに陸歩は必殺の間合いにいる。
だが諸手で握り、肩に担ぐように構えた鈴剣。そこに、刀身がなかった。
「く、らえぇ――っ!」
柄だけを、満身の力を込めて振るう陸歩。
人形は意思なくとも、ありありと困惑していた。
消えた刀身に。
陸歩の気勢に。
その時、陸歩は振り抜きながら手の中で鈴剣を回している。先ほどまでとは逆向きに。力いっぱいに。まるでドリルだ。
それは鈴の音を導き、それは刃の成長を促す。
一時なくなったと見えた刀身は、実は髪のように細くしていただけのこと。
両断に必要なだけの幅を取り戻した剣が、今、人形の胴へと突き刺さる。
「ぜ、りゃあああああ!」
……だが訓練したわけでもない、思い付きの一手である。刃の角度までは未熟な陸歩には操れず、人形へ打ち付けたのは剣の腹。
それでも半身を削られていた人形に、陸歩のフルスイングは耐えきれない。胴の真ん中からボキリと折れ、その場にバラバラとパーツを零した。
残心。
しながら、陸歩は苦い思いでいる。
自らの服の、腹部分が斬れているのだ。肌を剣が撫でた感触が残っているのだ。
最後の最後、人形に反撃を許し、斬られていた。
肉を切らせて骨を断った形……どっちが骨の側か、甚だ怪しい。
「…………ふぅ」
息を吐く。
と、集中力によって意識から追い出されていた周囲の音が耳に雪崩れ込んできた。
歓声。口笛。繰り返される陸歩の名前。
駆け寄ってくる少女二人の姿も認めた。
「リクホ様、お疲れ様です」
「あぁ。苦戦したなぁ」
「いえ。お見事でした」
イグナが恭しく捧げる鞘を受け取った陸歩は、苦心して鈴剣の大きさを戻し、何とか納めた。
「ちょっとお腹見せなさい」
「な、おい、キア?」
「あんた最後に斬られたでしょ。手当てを、」
「大丈夫だって、オレは頑丈なんだ」
それでも陸歩の服をめくり上げたキアシアは、しばらく彼の腹筋を睨んでいる。
嘘でも強がりでもなく、人形の剣に引っ掻かれはしたものの、切傷になどなってはいないのに。
続いて、拍手とともに寄ってくる者があった。
三十手前と思しき短髪長身の、人形一座の座長を名乗った女性である。
「やぁ、やぁ。なかなかやるじゃないか」
そのほかにもジョッキや酒瓶を持った老若男女の芸人たちが、わらわらと。
口々に褒め言葉をかけてくるそれらに構わず、陸歩は鋭い目つきで座長へと問う。
「それで、テストは合格?」
「あぁ、もちろん。もっとも仮に負けてたとしても、元より招くつもりではあったがね。
いやいや、いい酒の肴だった」
「…………、」
ここの者たちは終止がこのような揶揄う調子で、陸歩もさすがに苛立たずにいられない。
落ち着け落ち着けと、内心で念仏のように唱え、どうにか堪えるが。
その心中を察してか否か、座長は大仰な身振りで後方を指し示し、気取った礼と共に告げた。
「ようこそ、クレイルモリーへ。歓迎するよ、必死な者よ」
その手の先、平原の向こうには、巨大なドームが闇夜の中で眠っている。




