結:破 ≪街主≫
現在に至るまでの一連を見終わったところで、陸歩は目を覚ました。
彼の全身へ張り巡らされた、青白い光の蔓。
細かい六角形を数珠のようにいくつも連ねたそれが、するすると引き上げていくところだった。
「ん。おしまい?」
辺りは格段に濃い湯気に覆われている。
景色を見通せない、まるでまだ夢の中にいるみたいに朧げだ。
その中で確かなのは目の前の巨岩だけで、陸歩は触れていた両手をそこから離した。
「――よもや時と空を超えし客人であったか」
応えたのは巨岩の上へ座した巫女だ。
ネルエルと名乗った彼女は、だが微睡みに目を閉じていて、口を利いてはいるが陸歩と話しているのはこの少女でない。
いま彼女の代わりに意図しているのは、巨岩の方。
正しくは岩でもないのだ。
それは、この街を五百年に渡って治める者が背負う楯。
モンプの街主は、甲羅を持つ雄大な蛇だった。
「まさしく運命者よ」
街主が鎌首をもたげ、陸歩をじっと見つめる。
ヒトとは創りの異なる黄色がちの目は、なんと深い叡智を湛えていることだろう。
きっと数多の過去を見通し、真実を見極め、真理を目の当たりにしてきたんだ……陸歩はそう思う。
「信託者ジュンナイ・リクホ。其方の目的は、しかと見せてもらった。
最愛の姉の、身体創成」
「えぇ。オレの世界じゃそれは絵空事です。人間の似姿は作れても、人間は創れない。でも……」
「この世界の業であれば、あるいは、か」
陸歩は力強く頷く。
「この世界には魔法と、何よりカラクリがある。
――ナユねぇの身体を創り出す方法が、きっと」
「その見立ては間違いではない」
巫女の声を用いて、蛇は厳かに告げる。
あるいは未来を視ているかのように、きっぱりとした確かさで。
「其方の答えはこの世界にある。いずれ解は、旅路の中で示されるであろう」
「……ありがとうございますっ」
陸歩は微笑とともに頭を下げる。この上なく心強かった。
これだけで有頂天になるほど能天気にはなれないが、言ってくれた相手が相手だ。茫漠とした希望だけを胸に進み続けるより、ずっと手ごたえがある。
さて、と街主は続けた。
「社、か」
まだ陸歩は、それについて何も言い出していない。
とはいえ今しがた、過去の全てを開示したのだ。驚くほどのことではちっともないのだろう。
「そう、社。協力してもらえませんか?」
もしカラクリ由来の義体技術を手に入れたとして。それでナユねぇの所へ帰れないのでは何の意味もない。
陸歩が神の眷属などやっている理由はそれで、あの神様の力が取り戻された時には見返りとして、その御力でもって元の世界へ戻してもらう契約になっている。
「まだ信仰が全然足らなくて、奇跡も加護も起こせない神様なんですけど……いえ、そのうちいずれこの街にもメリットが……」
歯切れ悪く言うと、街主は思案するように二又の舌をチロリと出した。
そして。
「――これでよいかな」
湯気の一部が晴れた。
そこには既に、渡してもいない設計図に忠実な社が建っているではないか。
陸歩はビックリと、それと主とを見比べる。
蛇の表情なんて分からないが、どことなく口角が上がっているような。
「我らも一口噛ませてもらおう。其方の神が復活せし暁には、社を目印にこの街にも威光が満ち、一層の栄えがあるであろうからな」
「っ、ありがとうございますっ!」
これ以上ない激励だ。
身体を細く震わせた陸歩は再び、今度はより深く深く頭を下げた。
と、そのときシュロシュロと音がする。
街主の喉から漏れたもので、それはどうやら含み笑いのよう。
「さてそれでは、次はこちらの要望に其方が協力するのが筋かと思うが?」
「あー……。はい、なんでも仰ってください。何をご所望で?」
また一部、湯気が晴れた。
今度そこにあるのは陸歩の胸くらいの高さの若木で、その一本しかない枝には、見事に実った鍵が。
「これ……」
「持っていけ。ここ、モンプの鍵だ」
陸歩は眉根を寄せることで、言外に意図を訊ねる。
蛇はそもそも瞼のない生き物だから、これは雰囲気の話なのだけれど、街主は目を細めて見つめ返していた。
そうしていると不意に陸歩の心は子どもに巻き戻り、なんだか、祖父と一緒にいるようにさえ感じる。
「偶でよい。湯治にくるがよい。その折、其方の旅を聞かせてはくれまいか。その物語が、この年寄りには何よりの楽しみとなろうよ」
「そんなことでよければ、いくらでも」
「うむ。励めよ若人よ。世界は広大だ。よく歩み、よく悩め」
するすると蛇の頭が甲羅へ収まり、合わせてネルエルの肌からも光の蔓が引いていく。
それが済むと少女は目を覚まし、伸びをした。人目を憚らない大あくびで。
「ふぁ……あ……。お話、終わりました?」
「あぁ。偉大な街主様だな」
陸歩が快活に言うと、ネルエルは我が意を得たりと微笑んで、甲羅からぴょんと飛び降りる。
「あっ、リクホさんそれ、鍵もらったんですかっ」
「うん。なんか、何から何まで良くしてもらっちゃったよ」
「気に入られましたねぇ。じゃあこれでリクホさんもモンプの兄弟ですね。でも、まだ駄目です」
「ほ?」
ネルエルが陸歩の腕を取り、早く早くと引っ張った。
「さ、さ。温泉に行きましょ! モンプの湯につかれば晴れてこの街の家族ですよ! キアシアさんもイグナさんも向かってる頃です!」
「そりゃあいい。この汗を流せるの、ずっと楽しみだったんだ」
さてさてそれでは音に聞こえしモンプの名湯、お手並み拝見、という具合。




