転:急 ≪邂逅≫
思い出す。
大量のガンマ線を浴びて、緑の巨人に変身する能力を得たヒーロー。
思い出す。
蜘蛛に噛まれた青年が、一夜の高熱にうなされて、ヒーローとしての能力を得るシーン。
思い出す。
ミュータントの主人公が未知の金属を注入され、心停止しかけながらも成し遂げたパワーアップ。
思い出す。
超人能力を発芽させるために、拷問され続けたヒーロー。
……そうやって、オレは何とかこの一瞬をやり過ごす。
次にやって来る一瞬には、死ねていますように、と。
「ギゃああああああああああああああ」
何分経った? 何時間? 何日?
……本当は十秒もない。
耐え難い責め苦だった。
「ギゃああああああああああああああ」
焼死は最も辛い死に方とされる。全身の痛覚が刺激されるのだ。
謎の薬液の浸食は、それを内包していた。
オレは、熱の持つ苦痛を嫌というほど味わわされる。
苦痛の持つ熱量を、嫌というほど。
骨のすぐ上で。肉のすぐ下で。炎が暴れているようで。
赤に纏わりつかれたオレは、地面をのたうち回った、と思う。
何せ目も耳も碌に聞こえず、感覚はただ痛いってこと、熱いってことだけに向けられていたから、それ以外は確かめるべくもなかった。
アスファルトの焦げる臭いがした気がする。
肌が爛れる臭いも、ゴムが溶けるような臭いも。
辛うじて正気が保てたのは、暗記するほど観た映画のおかげだ。
意識を逃がす先がなかったら、とっくに心が壊れている。
まぁ、いっそ狂ってしまった方が幸せだったのかもしれないが。
せっかくの正気も、死を願う他に使い道がなかったし。
「ギゃああああああああああああああ」
この辺りの記憶はだいぶ曖昧。
覚えているのは苦痛。
オートトラックの荷台が展開した。ような気がする。
中から少女が立ち上がった。ような気がする。
彼女の髪は赤かった。でもこの時は全然自信がない。だって見えるものは何でも赤かったんだもの。
女の子が、何か、言った、ような。
【生命反応、確認数、一。当該機の関与した事故による負傷者と判定。
倫理規約第六条二十三項に従い、当該期は応急処置を実行。
処置レベルを六に繰り上げるため、負傷者を暫定的にユーザーに設定します。】
少女が糸に解れて、燃え盛るオレに銀色が被さった。
オレは与えられたその冷たさに必死で縋りついたが、体内を蹂躙する熱もまた、抗うようにより強く暴れる。
「ギゃああああああああああああああ」
【――処置レベルを七へ移行します。
心拍上昇異常。処置レベルを十へ移行。】
半端に冷却されたせいで、熱と苦痛が倍になった気がした。
オレは最期の力でことさら悶え、周囲に飛び散った赤と銀が歪な曼荼羅を描く。
――それは多分、神様が用意した偶然だったのだと思う。
オレが地面に刻んだのは、この世界のものでない、約束の言葉。
意識が光った。
地面が光った……本当に光った。
血と鉄とで編まれた魔方陣が。
オレは痛みと自己が薄くなっていくのを感じた。
浮く。沈む。その両方の感覚が同時にあって、
オレはオレの存在が破裂するほど肥大していくのを、
点に消失するまで凝縮するのを、
他人事のように感じる。
あぁ、ほっとした。ようやく終わったか。
いっそ穏やかだった。
真綿に抱かれているようで。生まれ出でる前のまどろみにそっくりで。
もうずっと……このまま……。
「…………、」
………耳元で薪の爆ぜる音がして、はたと意識が焦点を帯びた。
オレは、焚き火の中で寝てる。
「うわっ、わっ、わっ!」
慌てて炎の中からまろび出た。
肌の上で踊る火を、掌で必死に叩く。
そのうちに気付いた。なんで、オレ、裸じゃん。
ってか、こんなに筋肉ついてたっけ?
ってか、全然熱くない。
ようやく火を消し止めて、人心地。
周りを確かめるに至った。
愕然とした。
「どこだ、ここ?」
岩の地面に岩の壁、岩の天井。
つまりはどこともしれない洞窟の中で、群馬の片田舎は面影もない。
いったいいつの間に?
どこだここは?
事故はどうした?
あの少女は、やっぱり夢?
それとも本当に頭がどうかしたか。
轟轟と派手に焚かれた篝火。今オレが出て来たのはこれだろう。
煙が溜まらないところを見ると、天井に空気穴でも通してあるのかと、明後日なことを考える。
篝火を中心に地面には複雑怪奇な幾何学模様。意味は不明。
またそこら中に山積みされた木箱には、ぎっしりのリンゴ。これも意味は不明。
目の前には、びっくりと目を見開いた女。
女。
「ぅわっ、わっ! わっ!」
火をつけられるよりも慌てたさ。だってオレ、裸だもの。
せめて肝心なとこは隠すように、とっさに膝を抱えて丸くなった。
にしても――今のオレが言えたことじゃないが――みすぼらしい女だ。
というより痛々しい。
ぼさぼさの髪は幽鬼のようで、身に付けた衣服はどこぞゴミ箱から拾ってきた端切れのようだ。靴なんて当たり前のようにない。
全身の至る所に巻かれた薄汚い包帯には、真新しい血が滲んでいて。
何より顔。
化粧の代わりに泥。
怨嗟に隈が黒く黒く、黒く、老婆のように映る。
右目にはやっぱり包帯が巻いてあって、まだ止まらない血が涙のように頬を伝っている。
これが実はキアシア。今の別嬪とはかけ離れた姿だろう。
「かみさま……?」
彼女は、そう呟いた。
「か、神様っ、ですかっ」
繰り返して、にじり寄ってくるものだから。
「いや、違う、オレは、」
「そう、彼は違う。神はボクだ」
新たな声が答えた。
オレの肩へ、気さくな手が置かれた。
その手、手、手!
父のように偉大で、母のように柔らかく、太陽のように雄々しく、月のように慈悲深い……。
ダメだ、オレはあの手を表現する言葉を持たない。多分どんな詩人にも無理だ。
声だって『そう』だ。この人から発散される気配すら、そうなんだ。
オレも、キアも、吸い寄せられるように振り返った。
でも駄目。目の当たりにしたのは、焦がすほど眩い神の裸体。
そして極光の翼。
ヒトの眼では、とても見ること適わない。
「うん。うん。ボクを呼んだのは君か、娘。リンゴがあるな。良い心掛けだ」
「あ、はい……」
「で。こっちの彼は、あっはははっ、いやはやこれは面白い。たまには重い腰を上げて地上に来てみるものだな」
「えぁ、うぇ?」
混乱しきりのオレたちを余所に、神様は一人で得心してて全能してて、しきりにクスクスと笑っていた。
この人の微笑み一つでも、オレたちは人生がひっくり返されるほどの衝撃を何度も胸に受けているんだが。
「まぁ、まずは服をもらおうかな。それから食事を。一通り済んだら、君たち二人の未来を決めてあげるよ」
これが、オレの旅の、始まりの始まり。
手記もつける前の、欄外の零章。その一文目。




