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転:破 ≪衝突≫

 1344913……オレの受験番号だ。

 「13」と「4」と「9」だけで出来てるところが最高に縁起悪い。


 専用のウェブページにアクセスして、所定の窓へこの数字を打ち込むと、合否が表示されるって寸法。

 オレの受けた大学は違うが、気の利いたところではこれをわざわざフルダイブにしていると聞く。

 掲示板に合格者の番号を列挙し、その前にごった返す受験生――という大昔の光景を、わざわざ仮想現実上に作るのだそうだ。


 さて、合格した。


「……あぁ」


 オレは、合格した。志望の大学に。


 画面には「おめでとうございます」の文字とともに桜が満開で、これ以降の日程や諸々の手続きの画面へリンクが張ってある。


 オレは、合格した。

 なのに……心は、ちっとも上向いてはくれない。


 とにかくリビングに降りて、言葉少なに母へ画面を渡す。

 オレの沈み切った様子に母さんは察したようで、口の端に(なぐさ)めを登せながら、しかし合格通知を見て、盛大に首を傾げた。


「う、受かってるの?」


「みたいだよ。そう書いてあるし」


「……やったじゃない! もうなによ、母さんてっきり! 

 おめでとう、頑張ったわね!」


 聞けば誰でも知っているような名門に息子が入学を果たしたとあって、母さんは有頂天だ。


「お父さんにも早く教えてあげなきゃ!」


「親父は?」


「書斎でお仕事してるわ。もうすぐ休み時間だから。

 そうだ、今晩はご馳走にしなきゃね!」


「うん……」


「陸歩? どうかしたの?」


 さすがにテンションが低すぎるか。

 熱でもあるかと額に母の掌が置かれるが、それもされるがまま。


「大丈夫、何でもないから。……ちょっと出かけてくる」


「どこに?」


「学校。先生に報告してくる」


 とにかく、歩きたくて、とっさに(しぼ)り出した目的地だが、そう悪くない。

 小学生の頃からオレたちと学校の面倒を見続けてくれた先生だ、これを機会に今一度きちんとお礼を言うのは当然の義理だろう。


 コートを着て靴を履く間も、母さんは怪訝な様子だった。


「気を付けてね」


「ん」


 とはいえこの田舎で気を付けるものってのもそうない。

 (ろく)に車ともすれ違わず、滅多に人とも出くわさないんだから。

 

 おかげでオレは思う存分ボーっとしながら、散歩が出来た。

 大したもので、十年以上通う学校への道筋は身体が覚えていて、意識なんて半ばなくても辿(たど)り着ける。


「――そうか合格したか! おめでとう!」


「ありがとうございます。先生のおかげです」


 職員室……といってもデスク一つあるだけの小部屋で先生を見つけ、お祝いの言葉とお礼を交換した。


「陸歩、頑張ってたもんな! そうかぁ、よかったよかった」


「はい。……、……」


 よかった。


 よかったのかな。本当に。

 大人たちは、片っ端から喜んでくれるけど。


 何のためだっけ。

 何のために頑張ったんだ?

 何のために、頑張ろうとしてたんだ?


 学校を後にして、でも家に帰るほど気は済んでいないから、とにかく歩くけど。

 その間も、それをばかり考えている。


 何のために……。

 ナユねぇは、ちっとも望んでいないのに。

 それどころか、拒絶しているのに。


 ――落ちちゃえばいいのに。

 あの言葉が、まだ耳から抜けない。

 あの時から、まだ会ってもいなかった。


 大したもので、十年以上通うナユねぇの施設への道筋は身体が覚えている。

 気が付けばいつの間にか、分かれ道に差し掛かっていて、この先をずっと行けばナユねぇのところだ。


 立ち止まって、ひどく迷った。


 会って、何を言えばいいんだろう。

 何を言われる覚悟をしていけばいいんだろう。


「ナユねえ……」


 内心、(おび)えがあった。


 けれども最後は結局、ただ単純にナユねぇに会いたくて、行くことにした。

 もしかしたら(じき)に、長い別れになるかもしれないのだし。


 道の途中、路肩に止められたトラックを見つめる。


「……チギラ製薬?」


 荷台にはそう書かれている。

 確か医療品関連の大手で、どうもナユねぇのラボへ向かうところであるようだ。

 トラックには古風なことに運転席があって、ドライバーが乗っていて、帽子を目深にかぶって休憩中の様子。

 流通という激務に携わるプロに、素直に頭が下がる。


 ……ふと思ったんだが、あれだけナユねぇの周りの研究員たちは隠されているくせに、来訪する企業のトラックにはデカデカとロゴが張り付けてあるっていうのは、矛盾じゃないのか?

 まぁ言ってもオレも、これより前にそういうものを見かけたのは、あの運命の日、ナユねぇに初めて出会った日のカニマークだから、実は十分に()されているのかもしれないけど。


 噂をすれば影、とはいう。

 けれども一人で考えるだけでも、それを引き寄せる力が働くのやも。


 チギラのトラックを過ぎてしばらく行くと、向こうからまた別の大型車がやってきた。

 獰猛かつ優美な装甲を持つ、件のカニマークのオートトラックだ。


「あぁ、懐かしい」


 ナユねぇのラボから帰るところと思しきその車を、オレはしばし立ち止まって見送る。

 あの日、あのとき、このトラックに出くわさなかったら、現在はどのように変わっていただろうか。


 この日、このとき、このトラックに出くわさなかったら……現在は、どうなっていた。


 運命は回る。

 車輪の速度で。


 さて、とカニマークから視線を切った次の瞬間だった。

 轟音と衝撃が辺りに響く。


「なっ、はっ?」


 オレはとっさにその場にしゃがみ込み、振り返って何事かを必死に(うかが)った。

 ……何が何だか判らない。


 つい今しがた通り過ぎて行ったオートトラックの、車体の先端から、チギラトラックの荷台が生えている?

 違う、

 違う、あれ、真正面からぶつかったんだっ。


「う、っそだろオイっ!」


 すぐさま消防にコールしたとも。


「すみません車の事故が! トラック荷台の衝突で、片方は人間の運転手! すぐ来てください!」


 オートトラックの方は、さすがの装甲だ。相手の車体に顔を(うず)めながらも、ほとんど原型を失っていない。


 逆にチギラトラックは悲惨だった。

 容赦なく押し(つぶ)され、荷台までグシャグシャ、火の手も上がっている。

 ぺしゃんこになった運転席からは、ドライバーの身体がぐったりと垂れ下がり、(したた)る血……。


「まずいだろ、あれ……っ!」


 火の回りが早い。

 このままじゃ、あのドライバーは焼け死んでしまう。

 事故には近づかないのが鉄則だ。でも、放っておくなんて……。


「大丈夫ですかっ!」


 駆けよってから、ほんの少し後悔した。

 (そば)で見ているよりも炎はずっと強く、もはや熱いというよりも痛い。


 ドライバーの手を握り、もう一度声を掛ける。

 彼は、ひぅひぅと()()れた呼吸をか細く繰り返していたが、掌は思いのほか強い力で握り返してきた。


「すぐ消防が来ますから!」


「……、……うな、て、……ゅ……」


「あ、何!?」


「……つよ……じゅ……」


 わずかに唇が動いているが、聞き取れない。

 

 火が早い。

 このままじゃとても、救助の到着は間に合わないだろう。


「くそっ!」


 意を決して、ドライバーを引っ張り出そうと試みた。

 が、ひしゃげた車体にがっちりと(くわ)え込まれ、とても人の力でどうにかなるものではない。

 このままじゃ。


 火が早い。

 このままじゃ。


 ぞっとするのはチギラの荷台から、液体が(こぼ)れて水溜(みずたま)りを作っていることだ。

 何の薬液か知らないが、それは炎を映して紅玉のように赤い。

 もし可燃性で引火したらと思うと気が気でなく、表面で火が躍るのを見て心臓が止まるかと思った。


 が、燃え広がるようなことはない。

 助かったか……。


 しかしこの液体は、また別な常軌(じょうき)(いっ)し方をしやがった。

 炎を食べたんだ。

 炎を食べた。


「…………は?」


 炎を食べた。

 そうとしか見えなかった。

 表面に点いていた炎が飲まれるみたいに消え、どころか荷台で盛んだった火事までが(すす)り取られるみたいに液体へ吸い込まれ、みるみる鎮火していく。

 ものの数十秒で平らげてしまった。


「なんだアレ……」


 ひとまず助かったが、安心とは全く遠い。

 だって意味が分からないもの。


 さらに液体がその場で渦を巻き、次の獲物を求めるように範囲を広げ始めたのだから。

 どう考えたって流体力学に当てはまる動きじゃない。

 オレがドライバーを置いて後ずさろうとしてしまったのも、仕方ないと許してほしい。

 しかも結局、逃げられなかったのだし。


「なんっ、な、なぁ!?」


 気付けば脚に液体が(から)みついていた。

 嫌に粘度が高く、蛇でも巻き付いているようにがっちりと掴まれている。

 今も刻一刻と、オレの身体を()い上がっていて。


「ひぃっ!」


 悲鳴を合図にしたかのように、液体はまさしく捕食者の速度となった。

 オレは目の前いっぱいに飛沫(しぶき)が広がるのを見た。


「がっ――」


 全身が薬液に呑まれる感覚にぞっとする。

 皮膚の下へ灼熱が、激痛が潜り込んでくる感触がする。

 頭の天辺(てっぺん)からつま先まで、痛点を余すとこなく同時に刺激されて、オレはのたうち回った。


 鼻腔、口腔を侵され、眼球まで責められる感覚は、受けたこともない火あぶりを強く連想させる。


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