承:急 ≪進路≫
身体を創るなんて、子どもじみた益体ない妄想はきっぱり捨てた。
……ナユねぇにはそう伝えた。
まぁ口先だけなんだが。
ナユねぇも、オレが内心では諦めてなんかいないんだってことに、薄々は気付いている風だったが。
それ以上言えることもなくなり、この件は何となく二人のタブーになった。
この頃、十七歳ともなるとオレは、機械いじりに昔ほどのめり込んじゃいない。
もちろんたまには触るが。
オレは目的があって高校に入っていたし、計画があって勉強に余念がなかったから。
一つ、言い訳をさせておいてほしい。
もういつまでも子どもではいられなくなった、この年頃のオレは、あの思春期に抱いた野望のうち、最も身勝手な部分は克服していた。
つまり、あー、あの……ナユねぇの、特別になるんだってやつ。
ナユねぇが今日までオレへ注ぎ続けてくれた親愛は、オレにとって間違いなく特別だったし。
オレも同じものを返そうとして……そしてそう出来ていることは。彼女の笑顔から十分に察せられたから。
だから今のオレは純粋に、ただ直向きに、下心なく、ナユねぇに身体と自由を与えたい。
これは変わらない、これは譲れない。
だからオレは勉強に余念がなかった。
場所は自室でも学校でも図書館でもなく、ナユねぇのとこ。
オレのテキストを辿る手は、背中や頬に彼女の視線を感じていると、いつまでも動くんだ。
ナユねぇは、今日も今日とて映画を観ていた。
事故で大量のガンマ線を浴びた主人公が、怒りをトリガーに緑の巨大モンスターに変身するやつ。
気にしなくていいって言っているのに、ナユねぇはわざわざ音を消して映像だけを眺めている。
オレは、課題の最後の一問を解いて、ふと区切りが付いてしまった。
次の問題集をどれにするか選ぶ前に、何口か息継ぎをする。
「りっくんさー」
「んー?」
ナユねぇは何の気もなさそうに訊ねてきた。
多分深い意味もなくて、純粋に世間話だったんだろう。
「彼女とか、作らないの?」
彼女とか作らないの。
オレ、思わず、吹き出しちゃったね。
笑っちゃった。
腹がよじれるかと思った。
「なんで笑うのよーっ!」
「だって、ナユねぇが、女子みたいなこと言うんだもん。似合わねぇー!」
「ちょっと! 女子なんですけど!」
頬をぷっくりと膨れさせたナユねぇに、そろそろまずいなと思い、笑いを必死に噛み殺す。
「ごめんごめん」
「……で。どうなの? りっくんももう、高校生なんだし」
「ってもなぁ」
ナユねぇの瓶に背中を預け、脚を投げ出しながら頭をかいた。
「まず同年代の女子がいないよ、こんな田舎じゃ」
「オンラインだってあるじゃない。クラスメイトは?」
言うに及ばないことかもしれないが、オレの通う高校はオンラインだ。
ネット上に開設された教室へ、自宅からアクセスしてカリキュラムを受ける。
そこには他にもログインしてくる百人単位の生徒がいて、まぁ確かにその半分は女子なわけだけど。
「仲良いのも、いるっちゃいるけどさ。
オンラインで恋愛って、いまいちピンとこないかな」
「ふーん、古風なんだね。
……あ、じゃああの娘は? ほら、たまに話してくれた、シズちゃん」
「中学の頃からヨジローと正式に付き合ってるよ。親公認で」
シズなんてあんまり候補の埒外だったもので、全然力のない返事になってしまった。
ナユねぇはそれをどう勘違いしたか、バツの悪そうな顔をする。
「あの、ごめんね、りっくん?」
「何の謝罪ですか、それはー? 言っとくけど二人をくっつけたの、このオレだからね」
「そうなの?」
へぇ、と感心したような素振りをナユねぇが見せる。
恋バナに興味津々の様子は、あぁこの人は本当に女子なんだと思わせるが。
言わない言わない、あえて逆鱗に触れたくない。
オレは、大した事情はないよという意味を込めて、肩をすくめる。
「だって小さい時から二人とも、あからさまだったもん。見せられてる方はあんなの、たまんねぇよ? だからあれこれ手ぇ使ったの」
「……。りっくん、もしかしてちょっと寂しい思いした?」
「はぁ?」
この人ときたら。
……なんでこんなに察しがいいの?
「……まぁ、高校入る前は、少しだけね。
なんていうか、オレだけ取り残してあいつら、一足先に大人になろうとしてるみたいで」
「そっか」
「だから、ここがあってよかった。
この場所がなかったら、オレ、もうちょっと捻くれてたかも」
「そっか。うぅん、そんなことないよ。りっくんはここに来なくったってちゃんと大人になってたよ」
「……そのわりには、子ども扱いなんだね」
「あ、ごめん、つい」
いつの間にかナユねぇのロボアームの一本が、オレの頭を撫でている。
樹脂で表面をコーティングした指はプニプニと柔らかく、手つきも繊細だから心地はいいが。
「でも、じゃあ本当に彼女いないんだ。モテそうなのにねぇ」
「それ絶対、身内の色眼鏡だぜ。
そういうナユねぇは? 彼氏いないの?」
問えばナユねぇは、また頬をぷっくりさせた。
「分かってて訊くのは意地悪だぞーっ。いるわけないでしょ、君しか訪ねてこないのに」
「…………、」
オレしか訪ねてこない。それが嘘だってのは、さすがに見破れる。
第一にナユねぇ自身が言った通りオンラインがあるし、それを別にしても、ここには多数の研究員が出入りしているに違いないのだ。
ナユねぇの身の回りを整え、この施設を維持・運営し、ナユねぇから成果を上げる者たちが。
オレは、結局ただの一度も、たった一人にだって出くわしたことはなかったけれど。
上手く身を隠した連中の中に、若い男が含まれているってのは十分すぎるくらい有り得る話。
そいつがオレとは別な時間割りでナユねぇと逢瀬を重ねてるってのも、また、ない話ではない。
その、いるかもしれない何某かは、いないかも分からないからこそ、オレの中で日増しに存在を濃くしていく。
白状しなくちゃならない。
オレは嘘をついた。
思春期を克服したってやつ。
あんなのはちっとも嘘っぱちで、このところのオレは、一つの妄想に取り憑かれていた。
もしかしたら。
オレがナユねぇがいなくて寂しいと思うほどには……、
……ナユねぇはオレがいなくても、寂しくないのかも。
オレの前にも弟はいて、妹もいて。
そいつらとの別離を乗り越えたナユねぇは、もしオレが忽然といなくなっても、へっちゃらなのかも。
そう思うと、ナユねぇと面と向かうことが出来ない。
目をそらしたまま、告げた。
「ナユねぇ、オレさ……」
「なぁに?」
覗き込むようにカメラアイ付きロボアームは伸びてきたけど。
それとも目を合わせないまま。
「……東京の大学に、進もうと思ってるんだ」
アームの挙動が停止する。
多分ナユねぇも、オレの口ぶりから、ただならぬものを感じたんだ。
「へぇ、りっくんももう、進路を考える歳か」
あくまで平静を装うかのように「大学生になれば本当に彼女が、」とか続けるナユねぇを、オレは遮るようにして。
「実際に、キャンパスに通おうと思うんだ。この街を出て、あっちに部屋を借りて、一人暮らししようかなって」
「え」
突然のことにナユねぇは、二の句も呼吸も継げないようだった。
……そのショックが、オレには卑しいことにも、嬉しくて仕方なかったんだ。
「お、オンライン通学じゃダメなの?」
「実地で学びたいんだ。それに、工学は設備のあれとか、色々、あるし……」
「ここから通えばいいんじゃないかなっ」
「なるべくたくさん、研究室にいたいんだ。家から遠いと……不便だよ」
「…………、」
ナユねぇは、何かを言おうとしては止めてを繰り返していた。
それはやがて、自らを納得させようとする「そっか」に変わっていく。
「そっか。そっか……そっか。そっか。ん。り、りっくん、が決めたなら、ね。そっか。がんばってね」
「……うん。頑張るよ」
勇気を出してオレは振り返った。
けれども彼女と目を合わせることは出来ない。
ナユねぇのほうも、何かに怯えるみたいに、どこでもないところへ視線をやっていたから。




