承:破 ≪決意≫
二年を経て、ドローンアームはついにマーク20を迎える。
オレはといえば、まぁ未だにガキのまんまではあるんだけど、十四歳になって多少は背も伸びた。
ナユねぇは、変わらない。
老けもせず、今日も瓶の中で、ほへーっと口を半開きで映画を観ている。
今日スクリーンに映されているのは、実験のためにわざわざ宇宙まで出向いた科学者の主人公とその仲間たちが、謎の光を浴びて超能力を得るってやつ。
彼ら四人はやがてヒーローチームとなるのだが。
現在の場面はそれよりももうちょっと前の段階。
一番のお調子者が検査を抜け出して、衆人環視の中で発火能力を披露していた。
ヒーローたちの葛藤があって。
苦戦があって。
結束。
逆転。
こじゃれた一言。
エンドロール。
「あー。面白かった」
いつもそうであるように、ナユねぇは満足そうに息をつく。
オレはおざなりな「そっか」で相槌を打った。機械いじりに夢中だったもんでね。
ナユねぇはそれが不服らしくて、むーぅと唸り声を上げていた。
かと思うと、オレの肩へカメラアイ付きアームが乗せられる。
「…………、」
「…………、」
オレの手元を鮮明に見ようと、頬っぺたのすぐ傍でフォーカスするカメラの振動がこそばゆい。
いや……本当は、ナユねぇの視線が、くすぐったくて仕方ないんだ。
「……ナユねぇさ、暇ならもう一本、映画観れば?」
「んー? 今はいいやー」
「……そう」
ここ数年のオレは、ナユねぇに対して、言葉に出来ないモヤモヤをずっと抱えていた。
つまりは、思春期ってやつだったんだ。
ナユねぇのことが嫌いになったんじゃなくて、好きだから、好きなのが、苦しい。
上手く目も合わせられない。
ナユねぇの視線に当てられると、熱を感じるよう。
それはカメラアイが眺める手元もそうだし、
本当の瞳が見つめてくる首筋もそう。
「ナユねぇ、さ……退屈じゃない?」
「全然。りっくんの工作、見てて面白いもん」
カメラアームが優しい手つきで撫でてくるが。
そうじゃなくて。
「外、出たくない?」
振り返ってカプセルのナユねぇをしっかりと見て――あぁ本当、久しぶりにちゃんと見た気がする――問えば。
水槽の中、泡沫と苦笑が浮かんでいる。
「出られないからねぇ」
諦観の色濃い答え。
オレはそれが堪らなく嫌で、嫌で、急き込むように言った。
「考えたんだっ」
今の今まで組み立てていたものを揚げてみせる。
ドローンアーム21、ではない。
カメラアームに被せるアタッチメントだ。
発想は一昔前のVRゴーグルと同じ。
対となるカメラで捉えた映像が、アタッチメント内部の全球モニタに表示され、これを取り付ければナユねぇにはまさに目の前のこととして映るだろう。
「こいつで、出かけた気分には、なれるんじゃないかな」
ナユねぇは、何度か目を瞬かせた後。
ニッコリと笑った。
「じゃあ、デートだね」
そんな、こちらを赤面させるようなことを言う。
>>>>>>
次の休日にさっそく出かけた。
オレたちの田舎町じゃとても遊ぶような場所はないから、モノレールを用いで都市部へ向かう。
車内ではナユねぇがしきりに「昔は電車がー」とか、「通勤ラッシュっていうのがー」とか話してくれて、またモノレールの無人運転室を見たがった二人で眺めた。
ナユねぇに景色を送るカメラはタイピン型にして、オレの襟元に二つ付けてある。
まぁ多少は目立つかもしれないが、柄の強い服を選んできたし、アクセサリで通るだろう。
会話も、こちらの発言はタイピンカメラに拾ってもらって、ナユねぇの声は右耳に入れたイヤホンから流れてくるようになっている。
ずっとはしゃいでいたように思う。
ナユねぇも、それからオレも。
目的の駅で降りると、途端に都会だ。
いやまぁ、いっても県からは出ていないから、本物の都会、渋谷やら新宿やらとは比べ物にならないのだろうが。
オレの普段からしたら、目が回るほどの喧騒だ。
人の行き交いが忙しない。
車や、配送用ドローンがあっちこっちでブンブンしている。
空にはホロミネーションの広告が色とりどりで、アイドルの笑顔が大写しだったかと思えば、次には新型オートマトン・フレームの宣伝が現れた。
「じゃあ、ナユねぇ、どこ行こうか。どこ行きたい?」
一応候補となる場所は、こっ恥ずかしい思いをしてダウンロードしたデートプランアプリで挙げてある。
今日はナユねぇのための外出なのだから、ナユねぇが決めてくれと事前に検索内容を押し付けてあって、さてどこが選ばれるやら。
美術館か。
それとも植物園か。
映画も定番だろうけど、今日くらいは別なところにしたい。
「んーっと、まずはねぇ――」
モールだった。
それはいいんだけど……。
居並ぶ店舗の中から、おもちゃ屋が選ばれるのはどういうことか。
「かっこいいねぇ!」
ナユねぇは模型コーナーのショーケースに収められたプラモに歓声を上げる。
もっとこう、知識乏しいながら定番のデートをあれこれ想像していたオレとしては、脱力するよりない。
まぁ、らしいっちゃ、らしくもあるんだけど。
「あ、りっくん見て見て! これ! この前見たアニメに出てたやつ!」
「買ってく?」
「え? うーん……いいよ。それより次はさ、」
他の店もあちこち見て回ったが、全部ウィンドウショッピングだった。
気に入ったのなら買えばいいのに、ナユねぇは見るだけで満足してしまう。
あの部屋の惨状から鑑みるに、物欲の薄い人でもないはずなのに。
やっぱりオレの財布に気を遣っているのだろうか。
「りっくんあっちあっち! なにか面白そうなのやってる!」
さすが都会、路上パフォーマンスだ。
結構な人数が囲んでいるのは長身の青年。
表面をモニタ加工したサッカーボールでリフティングを繰り返し、ボールは弾むたびにエフェクトを発している。
脚だけでなく肩や背、頭なんかでも器用にボールを操り、また衣装にも薄膜モニタが張り付けてあるらしく、ロゴが躍っていた。
胸には現在までに稼いだ御捻りの総額が表示されており、今も数百円単位でカウンターが進み続けていて、せっかくだからオレも二百円を電子クレジットで簡易振り込みした。
「硬貨があればねぇ」
ナユねぇがそんなことを言う。
「硬貨?」
「うん。あのお兄さん、ほら、帽子を置いてるでしょ。
路上パフォーマンスったらね、ああいう帽子にお金を入れてあげるものだったんだよ。今ではみーんな電子クレジットだけど」
「ふーん……」
きりのいいところで場を離れ、今度はオレの要望で遊覧飛空艇へと向かった。
あるビルの屋上が離着陸のポートになっていて、八機ジャイロの大型艇が客を乗せるのだ。
休日ということもあり、順番待ちの列は長かったが、ちっとも苦ではない。
なぜって、ナユねぇと一緒だから……とでも言っておけばいいんだが。
実はオレの目的は待ち時間の暇つぶしに見せてもらえる、飛空艇の構造図で、これに食い入っていたからだ。
「――やっぱり、プロペラの形かな。
機体に対してのプロペラの枚数と大きさは単純に比率の問題だから、ドローンアームにもこのまま応用できるはず。
都市上空を運行することを想定して設計されてるんだから、風圧の悪影響もきちんと考えて抑えられてるはずで、ってことは屋内用にも適してるはずで――」
「……りっくんさぁ」
「ん、なに?」
「私以外の女の子にそういうの、しちゃダメよ?」
「え?」
はい、すみませんでした。
ようやく順番が来て、他の客と共にオレたちも飛空艇に乗り込む。
たっぷり三十分の遊覧。
空から眺める遠くの景色、地上の街は、単にリアルな模型のよう。
画一化された、システマチックな街並み。
右の耳に、ナユねぇの熱っぽい吐息が響く。
「もし生まれ変わることができるのなら、鳥になるのもいいかもね」
「鳥?」
「そう。広い広い空を、思うように羽ばたいたら、きっと心地いいんじゃないかな」
「……ねぇ、ナユねぇ。思いついたんだけど、今度このカメラをドローンに付けてあげる。飛んでる気分になれるよ」
イヤホンからナユねぇの苦笑いが零れた。
「ありがとう、りっくん」
ヘリポートに戻った飛空艇から降りたオレはビルを出て、しばし歩いたが。
公園を見つけたら限界だった。
ベンチに腰を下ろす。
「ごめん、ナユねぇ……ちょっと休憩」
くたびれた。
同年代では体力はあるほうだと思っていたのに。
雑木林を歩くのと人ごみを縫うのでは勝手が全く違って、全身ともくたびれた。
「りっくんだ、大丈夫?」
「うん……平気……あーぁ、ダサいなぁ」
「そんなことないけど。こっちこそごめんね? 無理させて」
「無理じゃないもん……」
「そっかそっか、ごめん」
こうして座ってそよ風を受けているだけでも、だいぶ疲れが癒えていく。
視界の端で、自転車の後ろに無理やりワゴンをくっつけたようなのが、ゆっくりと進んでいた。
それを漕いでいるのは人ではなくて、ブリキ人形を思わせるバケツ頭のオートマトン。
目の付くところにいくつも張られた社名で、正体は分かった。
「りっくん、アイスクリーム屋さんだよ」
「だねー」
「ほらほら、買ってきて食べなよ。元気になるよ」
「えぇ? でも……」
確かに喉も乾いているが、ナユねぇの前で一人氷菓子を舐めるのも気が引ける。
けれどもナユねぇはなおも言い募った。
「いいから。ね、お願い。私のためと思って!」
「なんだいそりゃ」
結局一つ買った。
近づいてオートマトン宛てに電子マネーを送金。
するとワゴンが工具箱みたいに割れて展開し、同時に注文受付の電光仮想モニタが手元に現れる。
指先で「チョコレート」に触れると、目の前で機械によってコーンにアイスの球が乗せられて、差し出された。
ベンチに戻って、最初の一口。
冷たくて甘くて濃厚だ。
「りっくん、おいしい?」
「おいしいよ」
「んふふふふ、だよね。おいしいよね」
何か知らないが、ナユねぇはひどく上機嫌である。
オレはこの口の中に広がる冷たさを、ほの苦さが混じる甘さを、どうにかナユねぇにも味わわせてあげる方法はないものかと思案していた。
「感覚共有技術が、早く実用化すればいいのになぁ」
「今でも十分だよ。共有は出来なくても、共感は出来るから。
気持ちの通じ合う人となら、ね」
「そういうもんかな」
「りっくんもそのうち分かるよ。大人になればね」
大人に。
オレが大人になった時、ナユねぇはどうしているだろうか。
……きっと今と何も変わっていない。
研究所の奥の奥、瓶の中で、一人。
オレが老いて朽ちて死ぬ時が来たとしても、ナユねぇは、ずっと。
コーンを齧る頃には、オレはすっかり上の空だった。
物思いに忙しく、最後の一欠片を飲み込んでも、しばらく口が聞こえない。
「あのさ、ナユねぇ――」
共有は出来なくても、共感は出来る。
全くその通りだ。大人にならなくても分かった。
大好きな姉のことなら。
ショーケースに収められて、永遠を過ごすなんて。
辛いはずだ。
悲しいに決まってる。
痛くて傷んで、誰かの助けが必要なんだ、絶対に。
「――外に、出たくない?」
「……今、こうして、」
「そうじゃなくて!」
思わず大声を出して立ち上がっていた。
周りに人がいなくて幸いだ。
息を整えてから、座り直す。
「ねぇ、ナユねぇ」
「…………、」
「ナユねぇ?」
「…………無理だよ。無理だから」
イヤホンが伝える声は、今まで聞いたこともないくらい、か細くて弱々しいものだった。
そこに深く滲んだ悲哀と疲労が、むしろオレを奮起させて決心させてしまったことは、彼女にとって皮肉だろうか。
「きっと出来るよ。何か方法は絶対ある! どうして無理なんて言うのさ!」
「無理だってば」
「無理じゃない! オレが、オレがカプセルから出してあげる!
いつか必ず! 絶対! オレがナユねぇの身体を創る!」
ごく当然に抱いた夢だ。
大切な人が、自由を奪われて孤独でいる。
ならばその鍵を解いてあげたいと、誰だって、子どもだって思うに決まっているんだ。
なのに。
よりにもよってそれが、ナユねぇには伝わらなかった。
「っ、どうし、て……どうしてなの、りっくん……」
ナユねぇの呼吸が、不安になるほど乱れる。
溺れているのかと思うほどだ。
「ナユねぇ?」
「…………、」
「ナユねぇ? ナユねぇってば」
イヤホンから何も聞こえなくなった。
無言とかでなく、通信が途絶したんだ。
オレは慌ててナユねぇへのコールを繰り返すが、一向に出ない。
まさか。
ナユねぇの身に、何か。
本当に溺れた……?
「ナユねぇ!」
冷静に考えればありえない話だ。
ナユねぇの貴重な身柄は、ガチガチに監視されモニタリングされ、万一があったってすぐに対処されているに決まっている。
でもそのとき動転しきっていたオレは、一目散に駆け出した。
帰路はひどくもどかしい。
走っている間も、モノレールを待つ間も。
一分一秒が致命的に思える。
一時間なんてもう、想像を絶する。
早く、速く、早く、速く、ナユねぇの元へ。
日の暮れる時刻になって、ようやくナユねぇの部屋に辿り着いた。
「ナユねぇ!」
彼女は、そこにいた。
目を固く閉じ、口を真一に引き結んで、白くきめの細かい顔をいつも以上に蒼白にしてはいるものの。
モニタに映し出されたバイタルステータスは、特に異常を訴えていない。
とりあえず安堵し、オレはその場にへたり込んだ。
今さらのように走り続けた反動で酸欠がきて、滝のような汗を流しながら、しばらく呼吸のみに努める。
「……。……、はぁ。ナユねぇ……どうしたの?
……いきなり通話が、切れたから、……心配した」
「……ごめんなさい」
「いや、無事なら、いいんだけどさ」
「…………怖かったの」
「怖かった?」
怪訝に問い返すと、ナユねぇは唇を噛んで躊躇いを見せる。
あるいは何らかの痛痒に耐えていた。
が、やがて血を吐くようにして、答える。
「いつか、今日みたいな日が来るんじゃないかって。
りっくんも、さっきみたいなこと、言い出すんじゃないかって。怖かった」
「どう、いう……」
「…………、」
――今まで弟は何人もいたけれど、妹もたくさん出来たけど。どうしてみんな最後には同じことを言うの?
――身体を創ってあげる。今までそう言った男の子は何人もいた。女の子もいた。
――でも誰一人、大人になっても出来なくて、老いてもそれは出来なくて。誰もが失意のうちにここを去っていった。
「な……っ」
正直に言うと、口も利けないくらいショックだった。
ナユねぇにはオレ以外にも、山ほどの弟妹がいたんだってことに。
考えてみれば、久遠を生きる彼女のことだ。十分あり得る話だったが、この時までオレはそれを想像すらしていなかった。
ナユねぇの目尻に付いた泡が、涙に見える。
きっと本当に泣いているのだろうが、羊水に紛れて分からなかった。
「傍にいてくれればよかった。
それだけでよかったのに。
私は私自身のこと、とっくに納得しているの。
なのに、どうして挑むの?
身体をなんて……。私はとっくにあなたたちから、多すぎるくらいをもらっているのに……」
「…………、」
「だから、りっくんも、そんな夢は見ないで。
ただ私の弟でいて。
うぅん、このまま二度とここへ来なくったっていい。あなたの人生を、私なんかに浪費しないで」
「…………、」
オレの思考は千々に乱れ、ちっとも定まらなかった。
どれだけの間、俯いて座り込んでいたのかもよく判らない。
自分はナユねぇにとって何ら特別でない……そんなことはないのだけれど、そういう考えに取り憑かれて、心臓は伸び縮みを滅茶苦茶に繰り返している。
息も絶え絶えだった。
完膚なきまで打ちのめされていた。
やっとの思いで立ち上がって、ナユねぇにバイバイもしないで、よろよろと出口へ向かう。
オレの足取りはまさに、夢遊病のそれだ。
家に帰った、気がする。
ベッドに倒れ込んだ、気がする。
考え事をしているのか、それとも眠っているのかもあやふやなまま、オレは何度も何度も何度も何度も頭の中で繰り返していた。
――オレは、ナユねぇにとっては何十人もいた弟、その一人。
何にも特別なことはない。
一人残らずがあの人の身体を創ろうとし、オレもまたその通例に倣っただけのこと。
「……、……でも、」
でも、ナユねぇは今も、カプセルの中にいる。
何十人が決心して、人生を捧げても、誰も成し遂げてはいない。
ナユねぇの身体を創るという業は。
「なら、オレがやる。やらなきゃ」
だったら、それが出来たのなら、自分は間違いなく彼女にとって特別だ。
「オレがやるんだ」
オレが、やるんだ。




