起 ≪起床≫
昏睡からわずかに浮かび上がった意識が、途端に疼痛に苛まれ、一気に目が覚める。
「……っ……っ!?」
うつ伏せの全身を震わせた陸歩は、その振動でまた痛み、震え、また痛み……。
だが、起きねばと心が焦った。
まずいことに、魔女によって異界に放り込まれた。
黄色い空、薄紅の雲海、敵の手中。
神威の翼をもがれ、数秒程度、意識を失ってしまったのだろう。
おそらく今まさに魔女がとどめを振り上げているところに違いなく……。
「っ、……っ」
動けない。全身が軋み、特に背中が燃えるようだ。
視界も霞んで判然としないまま、奥歯を噛んでもがき、顎を擦りつけた、枕に。
……枕に。
「――……?」
陸歩はようやく気付く――ここはどこだろう。
顎に下には枕。
どうやら布団に寝かされているらしい。
腕に力を入れて起き上がろうとするが。これが相当につらい。
四肢がいずれも筋肉痛のように強張り、何より背中だ。背中が心臓の鼓動に合わせて痛んで。
……はっとした。
そういえば、翼は、どうなった。奪われてしまったのか……。
「く……っ」
とにかく、浅く深く呼吸を何度もして、どうにか身をもたげた。
布団の上で正座の姿勢になり、周囲を見渡す。
「…………」
広い、年季の入った板の間。
そこにぽつりと陸歩はあった。
四方は襖で囲われ、ここがどこかはやっぱり分からない。
枕元に鈴剣を見つける。
包帯だらけの自分に、陸歩はやっと悟った――戦いは終わっているんだ。
誰かが、仲間たちか、救出して手当てをしてくれた。
ということは……。
襖が開いた。
「――おや? 起きたか。ちょっとタイミング悪かったな」
盆を持って現れたのは法衣を纏った、禿頭の少女だった。
その出で立ち、何よりその神秘の雰囲気、陸歩はあっと思う、忘れはしない。
回路神の『承院』、その住職。
ではここはバーミングラウゼ。
何故、どうして。
「あの、っ、」
前のめりになって状況を訊ねようとした陸歩だが、背中がまた痛んで呻いた。
そんな彼の、布団の傍にしゃがんだ住職は、運んできた椀にこれまた持参したヤカンの中身を注ぐ。
飲め、と陸歩に差し出した。
「正直驚いたよ。あの状態からそこまで綺麗に回復するとは。しかもたった数日で」
「数日……? 今って、一体……?」
「まずは、飲むといい。楽になるはずだ」
促され、飲む。
むせる。
ほどよい温度の薬湯だが、これを胃に通すのに、今の陸歩には四苦八苦がいる。
何とか飲み干し、もう一杯を貰い、今度はさっきよりもすんなりと。
人心地についた。
「あの、住職。……他の、みんなは?」
「イグナとキアシアはついさっきまで、君を看病していたんだがね。ちょうど家に着替えを取りに行ったところだ。
アインは分からん。
ユノハはとっくに出て行った」
「ユノハ……?」
なんであいつの名前が出てくるのだろうか。
表情を怪訝にする陸歩に、住職はふむと息を吐く。
「覚えてないか。まぁ君は、全身が焼け爛れた大怪我だったからな、無理もない。
リクホ。君と友人たちをここへ連れてきたのは、ユノハだよ」
「なっ」
つまり、月面にユノハも来たということか。
それとも元からあそこに居たのか。奴が何を企んでいるかは知らないが、魔女と何らか通じているのは明らかであるし。
けれど、ユノハと魔女が組んでいるなら、今ごろ自分は死んでいなくては話がおかしい。
果たしてあの男は敵、それとも味方。
……薬湯の影響だろう、陸歩はどうにも思考がまとまらない。
それに、『全身が焼け爛れた大怪我』とは何だろう。
魔女に神威の翼を毟られたところまではかろうじて思い出せるが、火傷は記憶にない。
いや、と思い直す。
事の顛末も大事だが、まずは。
「住職、ありがとうございます。オレの治療を」
「たいしたことはしていない。
というか、出来なかった。リクホの回復力ったら度肝を抜かれたよ。私たちにはせいぜい軟膏を塗るくらい、あとは見守っていたくらいかな」
「それでも、お世話になったんですから」
言って、ふと陸歩は首を傾げる。
なんだって自分は承院に身を寄せているのだろう?
担ぎ込んだのはユノハだというから、奴が自身に縁の場所として選んだと考えれば無理はない。
ないが、今の自分たちには自宅がある。療養するならそちらでもよいのでは。
という理路を陸歩が辿るのを、回路神の高僧である住職は予め察していたのだろう。
彼女は頷いて、ちらりと鈴剣に目をやった。
「リハビリだ、ついておいで」
腰を上げた住職に続いて、陸歩も手にした鈴剣を杖代わりに、重い身体を上げる。
部屋を出ればそこは縁側で、たちまち暖かな陽光を浴びる。
よく掃き清められた庭が目の前にあった。
風は少し冷たく、今の陸歩の火照った身体にはちょうどいい。
それは修行の果てに辿り着く歩法なのか、住職は全く足音をさせずに先を行き、しかし怪我人を気遣った速度だ。
「さて。当院はユノハより、君たちを匿うよう要請された」
「匿う?」
「左様。なんでも、妖の輩と揉めてるとか?」
「あぁ、はい、まぁ」
「せめて君の傷が癒えるまで、面倒を見てやってくれとユノハに頼まれてね。
なんでも、それがこの世の道理のためになるらしい。あんな奴でも一応は神託者であるからな。その口から道理と言われれば、当院としてもまさか否やはない」
陸歩としては正直助かる。
住職にはともかく、ユノハに借りを作るのは大変不気味だが、魔女たちを襲撃し失敗した今、報復は警戒していなくてはならない。
が、この体調ではそれも難しい。
仲間たちに負担をかけることも可能なら避けたいところであるし。
「ありがとう、ございます。お礼は必ず」
「おや殊勝だね。
けれど、事はその前の段階でな」
「はい?」
ちらりと肩越しに振り返った住職は、目に何か、面白がる雰囲気を滲ませている。
「ユノハが当院に借金をしているというのは、覚えているかい?」
「あー、そういえば、そんな話も」
「奴はそれを、君から取り立ててくれってさ」
「はぁ? なんでオレ……。
いや、確かに今回あいつには助けられたみたいですけど。なにあいつ、金目当てだったわけ?」
「と、君は当然渋るわけだ。
だが、彼女を見せれば喜んで払ってくれるだろうとも言っていた」
「彼女?」
す、と住職が上向きにした掌で示す。
そこにはさっきとは別の中庭があり、年少の僧たち数人がボールで遊んでいた。
その中に混じり、一番楽しそうにはしゃいでいる、少し年上の少女。
「――――っ」
陸歩の呼吸が止まる。
ぎゅっと心臓まで縮んだ。
頭の中には今日何度目かの、何故。
どうして。
なんで彼女が。
住職が腕組みし、いっそ厳かなくらいの口調で、告げる。
「彼女は、君が敵から奪ってきた捕虜だそうだ。
貴人らしいな。しかも、リクホ、君の姉だとか?」
「あぁ――那由多!?」
「あ、陸歩さん。生き返ったんだ」
原初神、那由多が、そこに。
訳も分からず、しかし陸歩はとにかく夢中で縁側を飛び降り、裸足のまま庭を駆ける。
どうしよう、どうすれば、彼女がそこに。
とにかく、後先も分からず、とにかく抱きしめよう、触れようとして、
「――おわっ?」
顔面にボールをぶつけられた。
ふん、と投げつけた那由多は鼻を鳴らす。
「お触り禁止! また私のこと絞め殺す気!?」
「え……」
「あー、覚えてないんだ。ふーん。
私にあれだけのことしたのに。あんなに、激しく、襲ったくせに……」
「え……」
何が何やら。身に覚えがなく、途方に暮れる陸歩。
そんな彼に、那由多は傍の小僧から借りたボールを、また投げつけた。




