結:結 ≪出血≫
「ふふふふっ……」
夢現の心地。
自我がどこまでも肥大し、世界丸ごとが己が意識の内にあるよう。
黄色の空、薄紅の雲海。
想像の中のものが、そのまま外にあり、脳内で好きにこねれば景色もそのまま変容する。
これぞ神の御業。
魔女は今、人生最高の創作体験していた。
……それも長くは続かない。
「んふふ…………んぷっ!?」
喉に酸っぱいものがこみ上げて、魔女は反射的に左手で口を押さえる。
途端に偽造していた異界が解け、辺りは元の月面に戻っていた。
頭上には暗黒と、無数の綺羅星。
なだらかに起伏する、浜辺のような白砂の大地。
「……っ!!」
うっ、と魔女が内股になって身を震わせる。
身体を曲げ、唇を固く結び、頬を膨らませて耐えるが。
せき止めきれない。
「、おぇっ!」
地べたに膝を付き、滝のように嘔吐した。
……余計に苦しいのは、その吐瀉物に真っ赤なガラス片が細かく混じっていて、腹の底から出てくるまでの通り道全部を傷つけることだ。
言うまでもなく、昼食に食器を食べた覚えはない。
魔女はまだ吐き、咳き込んで余計に切りつけられて、また血を零す。
「……あー…………」
一時とはいえ資格も許可も持たない者が神を模倣した、これがその罰か。
右腕は、肩ごと感覚がなかった。
これを確認する度胸を……魔女は、振り絞らなければいけない。
「…………」
光の手はすでに霧散していた。
残った二の腕は無惨な青紫……壊死している。
視認してしまえば感覚もまた自覚され、鈍痛が疼いて、かゆみもあって、魔女の表情が険しく歪んだ。
「こ、れ……治すのに、手間、かかりそうねぇ……」
だがリスクは承知していたし――それに甲斐もあった。
顔をあげた魔女は、目の前に浮かぶモノに、ニヤリとする。
一対の、極光の翼。
神に見初められた者のみが負う、代行者の証が、そこに。
持ち主と繋がっていた付け根の部分は、片方は鍵型で、もう片方には鍵穴が穿たれていた。
今、それらが自ずから一つに、連結。
双方が独りでにそれぞれ逆方向へと捻じれ、錠の音が響く。
かっと瞬くと。
一連なりの翼は、一本の鍵へと変じていた。
「……ふふっ」
ゆっくり回りながら宙で浮沈するそれへ、魔女は手を伸ばしかけて。
ちらりと陸歩へ目をやる。
伏した彼は、ピクリとも動かない。
背中からドクドクと血を流し、真っ赤な水溜りを描いていた。
じっと見つめても。呼吸の上下は一切なし。
静かに、魔女が息を吐く。
「……。……今になって、貴方が惜しいわ。ジュンナイリクホくん」
そうして、頭を振って、ついに鍵を掴む、
「っち……?」
指先に刺激がして、思わず手を引っ込めた。
眼帯の下で、魔女は目を見張る。
熱。炎だ。
鍵は、とんでもない熱量ゆえ透明に至った清炎を、纏っている。
神威の翼が簒奪を拒否しているのだろうか。
……それよりも、もっと悪い想像が魔女を凍えさせる。
炎熱。
まさか。
「っ」
ぱっと陸歩を見た。
彼は伏したままピクリとも動かず、背中からドクドクと血を流し、呼吸の気配も依然なし。
ドクドクと血を流し、そろそろ小さな池が出来そう。
……ドクドクと。
「ちょっとぉ……待ってよぉ……っ!」
どう考えても心臓が止まった者の出血量ではない。
吹き出す赤の勢いは、一向に収まらず、彼の全身をしとどに濡らし……。
……血溜りが、むくりと立ち上がったではないか。
グニグニと粘っこくうごめき、人の形を取り始める。
「は……」
循内陸歩の背中の上に立つ、真っ赤なヒトガタ。
魔女はそれを、雰囲気というか、どことなく彼に似ているとぼんやり思った。
「…………」
ヒトガタは、凹凸のない顔で、じっと魔女を見返す。
次に鍵を見て、足元の陸歩を見て、もう一度魔女を見た。
「…………」
「っ、な、なによぅ……」
「…………、」
唐突にヒトガタが、弾けた。
おびただしい赤は全て陸歩へと降り注ぎ……彼の身体を染め、あまつさえ包み込んでコーティングするのだから。
「なにって、訊いてるじゃなぁい!?」
起き上がる。
「――――」
「り、リクホくぅん……?」
陸歩は頭の天辺から爪先まで残らず、つるりと硬質化した赤を纏い、光の失われた双眸で魔女を……鍵を、睨んでいた。
前傾になって腕は前にダラリと下げて、気配はさながら獣。
何かを、魔女が言おうとした、それより先に、
「――――ッ!」
陸歩が声なき声で吠え、馳せる。
その速度たるや。
矢や弾丸などでは比喩として正確でない。
赤い閃光か、稲妻か。
「かはっ――」
魔女は抵抗の余地なく後方へ飛ばされながら、自らが腹に受けたものは拳なのか蹴りなのか肩か頭突きか、どれとも判断すらつかない。
「――ッ!」
もう一度、陸歩の咆哮が響き渡る。
彼の背中から、真紅の翼が伸びた。
……違う。それはひどく長い、腕だ。
新たに生んだ両手を、自分が伏していた地点まで伸ばし、置き去りにしていた鈴剣を取った。
「――ッ!」
そして天高く振りかぶって、遠くの地面にぐったりと倒れた魔女めがけ、渾身で振り下ろす。
「――ッ!」
斬撃の成果を、しかし陸歩は確かめもしなかった。
それよりも例の鍵を求めて四足で走り、未だ穏やかに浮いているそれを……大きく開いた口で呑み込む。
ごくりと嚥下した。
たちまち輝きが燃え、彼の目や口や耳や、身体中の関節から、眩い無色の炎が立ち昇る。
その熱量。さしもの陸歩にも大きすぎるのか、胸を抱えて震えた。
「――ッ!」
……そこへ、近づいてくる者がある。
「うっわ……どういう状況?」
那由多だった。
さすがに騒ぎを聞きつけた彼女は、城を出てここまで様子を見に来て。あまりの事態に途方に暮れている。
想い人の登場に、陸歩は、啼いた。
「――ッ!」
「え、もしかして、リクホさん?」
赤き獣に少女は顎を引き、獣のほうはもはや堪らず少女へ駆ける。
「うわっ!?」
「――ッ!」
抱擁の格好で。
陸歩は、那由多へ飛びかかった。
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「あぁもう……めちゃくちゃだよ」




