転:結 ≪双神≫
突然、イグナが走るのを止めた。
その場で佇んで、鎧に覆われた肩を大きく上下させている。
深呼吸の素振り。まさか息切れしたのか……いやそんなはずはあるまいと、メディオは夜空で顎を擦、れない。腕を広げていないと落ちてしまう。
とにかく。
「仕掛けてくるのか。いいね、期待しちゃうよ。
――さぁ、魅せてくれ!」
視力を失くした目で、しかしメディオは地上のイグナをつぶさに観察していた。
彼は今、空気を媒介に全てを悟る。新月龍の感知能力だ。
正確には『夜』、世界を満たすこの暗がり。闇に走る全ての刺激を、祖たる龍は感じ取るのだ。
だからメディオには、イグナが鎧を脱いだことも分かった。
「……?」
あれほど聡明な彼女が、敵前で無防備を晒す意図とは。
メディオは答えが知りたくて、笑みを深めて待った。地中の這龍、空中の鳥龍たち、いずれもけしかけずに。
彼の待つ構えを、イグナのほうも見て取って、ぞっとしなさそうに鼻息を漏らす。
「やはり、そういうおつもりで」
それならそれで好都合。
横へ肘を差し出す。そこへ輝きが凝縮し、猫ほどの大きさの流星龍となり、留まって翼を休めた。
そうして少女は左手の篭手、掌の孔から、鍵を一本取り出す。
いざというときの戦闘力とするために、主が預けてくれたものだ。
「リクホ様――お借りいたします。
Self Order , Code : Demi-God……!」
胸の錠前に、挿す。
たちまちイグナの表情は透明に透き通り、しかし機械的でなく、むしろ神懸かりか。
【key:Zanamu を認証。
Code:Demi-God を受諾。
ライブラリ参照。神域照会。
パターン検索…解釈実行…最適を抽出…表現プランを構築…。
当機はこれより、偽神体化を実行します。】
それは拳闘士たちの聖地、『赤錆の決闘場』とあだ名された街、ザナムゥの鍵。
眩い輝きに全身を包まれた彼女は、先ほどの鎧とはまた意匠の異なる、道着を思わせる装甲を構築し出した。
Demi-Godを切り替えての連続使用。
このCodeのエネルギー効率をイグナは再三見直しており、当初のように一度でガス欠とはならなくなったが……すさまじい熱量が総身を巡る。
油断すれば四肢がバラバラになりそうだ。
だがまだだ。これでは足りない。
「来な、さい……! 流星龍!
Self Order , Code : God-Link!」
促されるまま流星龍が翼を翻した。
少女の頭上を旋回し、星色の残像で、光輪を描く。
そしてその勢いのまま――イグナの胸へ、錠前を目指して、飛び込んだ。
今度の閃光は先ほどの比ではない。
「うぉ……っ!?」
世界が白く染め上げられ、メディオも思わず顔を背けた。
なんたる神威値。
なんたる奇跡量。
夜闇が退けられ、周囲は昼よりもなお明るく、新月龍の五感はいずれも働かない。
「ちょっと……! これじゃあ……!」
さしものメディオも取り乱しかけた。
これでは――見えないじゃないか。
せっかくイグナがなにか、トンデモでオモシロなことをしようとしているのに。
もったいない。目撃しなきゃ、もったいない。
「しょうがないなっ!」
十指で糸を繰る仕草をする。
イグナの足元に控えさせていた這龍に、命令を申し送ったのだ。
たちまち天まで伸び上がる肉の塔。
元より視力の退化した這龍は少女の眩しさも物ともせず、丸のみにしている。
まるでランプのように、腹の中に光源を閉じ込めて……、
真ん中から弾け跳んだ。
「なぁ!?」
メディオの口が丸く開く。
悪食で知られる這龍、その胃袋の頑丈さは神代の生物に相応しく、他の龍を呑んでも何ら差し支えなかったほど。
あの人形はそんな存在をほぼほぼ再現した自信作。現にフェズとオルトとライヤを同時に中に入れて耐久実験をし、見事に閉じ込め切った逸品だ。
それを、内側から破った。
「――――」
再び姿を晒したイグナは、先ほどまでのようにやたらに輝いてはいない。
神威はその身に強く収束され、漲り、立ち昇るオーラはメディオの潰れた目にも黄金に映る。
纏う鎧は格闘家然として細身で軽装。兜もなく素顔を露わにして、腰に長くたなびく帯を巻き、何より特徴は両の拳を包むガントレットだ。
左手は龍の頭を模す。
右手は尾の形をした装飾が、手首から甲へと巻きついている。
「――――」
「それは、なんだいっ、さっきより進んだ形態なの、」
問いの途中でメディオは彼女の姿を見失った。
……衝撃。
「かはぁ!」
彼は宙で身体をくの字に曲げ、派手に血を吐き零した。
天才の頭脳をして、殴られた、ただその単純な事実を理解するまで一瞬以上かかる。
「――――」
いつの間にか目の前にイグナが、透明な瞳でいて。
左の拳を――矛盾しているが――刹那の間にゆったりと引いた。
肘のブースターから流星龍の息吹が迸る。
二度目の殴打がメディオの頬を襲う。
「がッ! ッ!」
抗いようもなく遥か彼方まで飛ばされた。
その威力。最初に腹を打ったのはほんの小手調べ、軽いジャブだったのだと思い知らされる。
「ッ! ッ! ……っ?」
メディオが白む思考で、踏ん張って止まらなければ、と考えたとき。
止まった。
誰かが背を押さえていた。
「――――」
「は!?」
殴り飛ばした張本人である、イグナが何故か、先回りしてそこに。
……いや、何故も何もない。
たちどころにメディオは理解する。
速いのだ、彼女は。ただただ速く、強く、そして――容赦ない。
三度、拳打。
「ぼがッ!」
殴られ、飛ばされ、来た道を強制的に戻らされる。
今度はかろうじて知覚だけは働かせ、メディオは視た。
イグナが空を踏み、炎の足跡を点々と残して駆け抜けて、自分を追い抜いていくところを。
……この後、我が身がどうなるかは、考えるまでもない。
受け止められる。
殴られる。
追い抜かれる。
また受け止められる。
くり返し。
くり返し。
「ッ! ッ! ぶッ! ッ!」
サンドバッグより酷い。
ピンボール以上に惨め。
やがて散々グチャグチャにされ……なお痛烈なアッパーを顎にもらった。
「か……」
とっくにメディオに抵抗の術はなく、だらりと力なく上空へ飛んで。
そこに、やはり、イグナが先んじ、待ち構えている。
「――――しぅ」
振り上げた、左の正拳を。
昇ってくるメディオに、合わせて。
さながら瓦割り。
振り下ろした。
「か……ッ!」
「――――」
殴りつけられ、地面に叩き付けられ、クレーターを作るメディオ。
その大の字になった身体を、跨ぐように着地したイグナ。
「ふぅ――」
少女は残心を決め……顔をしかめた。
胸を押さえると、掌の中に二本の鍵、ザナムゥと流星龍が排出される。
「くっ……」
イグナは歯を食いしばって耐える。
やはり、反動が大きい。
こちらは終始攻撃側だったのに、それでも全身にレッドアラートが灯っていた。
もしもあと10秒でも戦いが長引いていたら。まず自壊していたに違いない。
そしてその10秒は、実はあり得たのだ。
「か……はッ……。つ、よいね、イグナちゃん……」
血を吐き、ぐったりと伸びながら、しかしメディオは言う。
あの猛攻にさらされて未だ意識を保っている。
新月龍の皮の硬度ゆえか。イグナは呆れとも賞賛ともつかない感慨を抱いた。
結局、この着ぐるみ自体は健在で、破ることも出来なかった。
兵器としての性能は、認めざるを得ない。
「愚かでしたね、メディオエディオ。それほどの装備なのですから、手を抜かなければ今、貴方とワタシは逆だったかもしれないのに」
「いやぁ……手抜き、なんて……」
「嘘は結構です。貴方は常に、ワタシと戦闘力が同程度になるようにし続けていましたね。
ワタシの力を探るためですか」
「はは……だって……参考に、したくて……」
血塗れの顔でバツ悪そうに苦笑するメディオは、子どものように無邪気で、恐怖も後悔もまるで抱いていない。
厄介な男だ、とイグナはこっそり息を吐く。
「ひとまず、この場はワタシの勝ちということでよろしいですか。
納得がいかないようでしたら、」
「あーいや……いいよ……うん、降参……。
……というか」
「殺すのは保留です。あくまで保留ですよ。貴方の処遇はリクホ様にお訊ねすることにします。
――ワタシもその着ぐるみに、興味が湧きましたので」
自慢のおもちゃを褒められて、天才は心底嬉しく、ニッと笑った……血に染まり、ところどころ歯の欠けた笑顔は不気味だが。
「君を……改良、し、て……あげ、られると、思うよ……」
「ワタシの肌に触れられると? 思い上がりも甚だしい。
それに貴方、だから既婚でしょうが。節操は持ちなさい」
「ははは……つれない、ね……」




