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起:急 ≪不死≫

 オレの世界に、ナユねぇという摩訶不思議(まかふしぎ)な姉が加えられた。


 ナユねぇの部屋を訪問するペースはまちまち。

 でも三日は開かない。

 折が合えば毎日のように入り(びた)る。


 彼女のことは、両親やヨジローとかシズとかには言ってない。

 内緒にしてほしいと、ナユねぇに頼まれたからだ。

 まぁ八歳のガキに隠し事なんて、土台無理な話ではあって、当時のオレは上手く秘密に出来ていたつもりだったけど、周りは絶対にある程度は勘付いていたはず。

 

 それでも誰も何も言ってこなかったのは。

 今にして思えば、ナユねぇのバックの『組織』が手を回していたに決まっている。


 結局オレの世界は囲われて、閉じられていた。

 それは少し間違っていて、正確にはオレのでなく、ナユねぇの世界は、だ。


 あの人は、存在そのものが秘匿(ひとく)されるべき超常だった。


 段々と教えてもらったことだが、この施設は全体がナユねぇの生命維持に必要なものだそうだ。

 この施設こそが、彼女の全身。


 あっちの建物はナユねぇの肝臓。

 こっちの巨大な設備は膵臓(すいぞう)

 

 大げさだって? いやいや。


 例えば人間の消化器系の一連。

 これと同じ機能を人工物で再現しようとした場合、グラウンド何個分にも匹敵する、広大な化学プラントが必要になる。

 摂取した物体を、溶かし、()し、エネルギーを取り出し、吸収し、不要なものを固め、排出するという、複雑なプロセス。


 まぁこれは一番派手な例であって、部位によっては人工臓器は、小型化がかなり進んでいるものもあるけれど。

 何が言いたいかっていうと、人間ってのは神様が作り出した、芸術のように高密度圧縮された機能体だってこと。


 義体やサイボーグは、未だにSFの領分だ。

 人型自律人形(オートマトン)が家庭用販売された時代になっても、人間はちっともニンゲンを創るには至らない。


 何故か。

 人工臓器は、複数個を連動させるのが非常に難しいからだ。


 心臓のリズムが微細に変化したとき、肺もそれに正確に対応しなければ、人体は死んでしまう。

 それは噛み合う歯車の関係よりも、もっと親密であらねばならないものだ。

 そんな風にフルタイムで柔軟に対応する機械群を用意しようとしたら、とても人間の内側に収まるサイズにならない。


 一般的に人工臓器を一部位から二部位に増やした時の生存難度は、二倍ではなく二乗倍とも言われる。

 もちろんどの臓器かにも()るんだけどな。

 三部位ともなれば、さらにそこへゼロが二つ、くっ付いてくるとか。


 だから、ナユねぇは奇跡の人だ。

 身体の全機能を、機械に任せて、生き続けているのだから。


 となれば彼女に与えられたその神秘、解き明かしたいと思うのが、人の業。

 こんな大規模な施設が作られたのも、第一は研究のためだ。

 テーマは人工臓器の小型化・効率化・連立化。

 ナユねぇは被検体として日々を過ごし、引き換えに身の回りの保証を得ていた。


 ナユねぇは奇跡の人だ。

 それは、臓器についての話ではなくて……。


 その日は学校帰りにナユねぇのところへ直行した。

 

 オレは来月には十歳って頃で、ここ最近はヨジロー・シズと遊ぶことが徐々に減っている。

 別に仲が悪くなったとかじゃなくて、むしろ進んだというか。

 なんともませた話だが、ヨジローとシズはすっかり水と魚、相思相愛なわけだ。

 となればオレは馬に蹴られないよう、退散するしかなかろうて。

 そんなオレを、あの二人は何くれと気にかけてはくれるんだけどね。

 こっちとしてもやっぱり気を遣って、二人っきりにしてやりたいとこで。


 なので都合も悪くないし、ほぼ毎日のようにナユねぇのところへ行く。


 で、まずは宿題を片付ける。これはナユねぇの言いつけ。

 親に言われたって(ろく)に聞きやしなかっただろうが、姉に言われてはオレも素直だった。


「んー……」


「分かんないとこあった?」


 肩越しに、カメラ付きのロボアームが手元のタブレットを覗いてくる。

 タブレットの方は教材用にオレが持ち込んだもので、

 ロボアームの方はナユねぇが伸ばしたものだ。

 彼女のカプセルには多関節のアームが二対四本備えられていて、それで室内であれば多少の自由が効く。


 ナユねぇの直接の目に見えるよう、オレはタブレットを(かか)げた。


「これ」


「あー。インターネット基本人権法ね」


 内容に目を通したナユねぇは、懐かしそうに目を細める。


「これが成立したときは、また時代が変わったって思ったよ。

 昔はソーシャルネットって、匿名が当たり前でね。今みたいに身分証明が必要なんて、考えられなかったんだ。

 まだネットってコンテンツが現実と完全にはリンクしきってなくて、テレビとか雑誌とかも娯楽として十分生きてて――」


「…………、」


「ん? どうしたの?」


「ナユねぇさぁ。何歳なの?」


 途端にナユねぇは真っ赤になる。


「お、女の子に歳の話はマナー違反なのっ!」


 インターネット基本人権法成立なんて、爺様世代がさらに子どもの頃の出来事だ。

 それをさも、目の当たりにしてきたかのように。

 ナユねぇは瑞々しい少女にしか見えないのに。


 彼女は歳を取らない。

 それは、人工臓器の連立による結果なのか。

 はたまた生来の性質でそうなのかは、判らないが。


 不老不死。


 ナユねぇは奇跡の人。

 だからこそ、研究対象。


 当時のオレは彼女の神秘を、単にずっと姿が変わらず長生きなんだ、くらいにしか分かっていなかった。

 それを時間をかけて、数年かけて、じっくりと咀嚼(そしゃく)したとき……。

 心底ぞっとし、吐き気に襲われたよ。


 ナユねぇは、じゃあ一体いつから、ここにいるっていうんだ?

 どれほどの月日を、この(ビン)に押し込まれて過ごしたんだ?


 この人の孤独は、いったい誰に理解できるっていうんだろう。


 とても人間の受けるべき、責め苦じゃあ、ないんだよ。


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