転:序 ≪手札≫
準備なら入念にしてきた。
それこそ起こり得るシチュエーションを、及ぶかぎり想定し、その全てに対応するCodeを用意してきたのだ。
この点においてイグナは、自身は人間を遥かに凌ぐと、驕りでなく確信している。
電脳による思考には意識の偏向や希望的観測がなく、妥協や甘い見積もりとも無縁。さらにはヒトでは臨むべくもない膨大な可能性を、樹形図状に並列・分岐させて演算可能。
目を背けたくなるほど凄惨な不利的状況すら仮想しており、これを最大限に挽回するべく、策の用意がある。
もちろん、不測の事態は常に付きまとう。
現実を現実たらしめるカオスは、模擬実験では決して再現し切れず、想定外を0にすることは絶対に出来ない。
だからイグナの備えが完全、ということはあり得ないにせよ。
しかし新規に数百作り上げたCodeは、まさしく万全。
【Self Order , Code : lycanthrope】
赤髪の乙女の身長、手足が延長し、真っ黒な獣毛に覆われた。
鼻と口元が前方へ突き出して、乱杭歯が揃う。
「Grrrrrr……」
一秒後、その姿は、屈強な人狼へと変じている。
卓越した嗅覚を凝らした。
真っ白く立ち込めた煙幕の中、まぎれた敵の存在を、感知。
「Grrrraaa!」
鋭い爪牙で襲い掛かる。
「――――」
が、さっと上空へ逃れる敵。
視界の塞がれていた間にあちらもまた変身していて、あの上半身は、コウモリだ。
広げた両腕は翼と化し、大きな耳の付いた顔は犬に似る。
今、口を開けた。
「――――ッァ!」
放たれる、超音波。
衝撃で空気が悲鳴を上げ、大地の砂に波紋が立ち、浴びせかけられたイグナは首を竦めて膝が折れかける。
しかし。
音響攻撃にはイグナもまた、一家言を持っているのだ。
【Self Order , Code : banshee】
人狼がその場にうずくまって身体を丸め、黒の一塊となった。
と、次に立ち上がったときには、毛皮のフードを被った黒髪の少女である。
上空へ向かって、こちらも開口し、
「――――ァッ」
逆位相の音波を撃つ。
互いの響撃が打ち消し合い、周囲は束の間、静寂。
イグナはさらに肩部に、スピーカーを構築した。
頭より高い柱型の二基がフードを押し上げ、彼女と同様に咆哮する。
その音量たるや。拮抗を押し切るに十分だ。
「っ、うぉ、」
コウモリ男は宙でバランスを崩してよろめき、堪え切れずに墜落していく。
この機を逃す手はない。
イグナはフードを脱ぎ捨て――毛皮は途端に黒い砂となって彼女に追従し――右の袖からEブレードを伸ばして、肉薄した。
「いっつつ……」
地べたに尻餅をつき、こちらもまたコウモリを脱いだメディオが、顔をしかめて腰を擦っている。
両目はかつて家庭内の不和から潰してあり、だから刃を持って迫る少女が見えていないのか。
Eブレードが、振り上げられても、まだのほほんと。
「や、強いねぇイグナちゃん」
「お覚悟を」
「そんな、もうちょっとしようよ」
メディオの白衣の、襟首が持ち上がった。
まるで二人羽織のように、彼の背中に潜んでいた人形が上半身を現し、振り下ろされた電光熱の刃を受け止める。
「手札の見せ合いっこを、さ」
「……っ」
さしものイグナも、顔をしかめた。
背中の人形……さっきはコウモリ型でメディオに被さることで飛行能力を付与したのに、今度のは胴ほど太い腕と仁王の表情をした超人タイプ。
彼は、バックパックを装備している様子もない。まさか背中に窪みを作っているわけでもあるまい。
なのに、身体と白衣の薄い隙間にどうやって、どれほどの、人形を仕込んでいるのか。
周囲の地面から、数機の人形が飛び出す。
のっぺらぼうで骸骨のように細いそれらは、しかし意外にも強い力でイグナに掴みかかった。
「くっ、」
彼女が振り払おうとした瞬間、
メディオが仁王人形を被り、その腕に自らの手を通し、
「そぉれ」
「――――っ!」
イグナの腹部を、殴りつける。
掛け声の呑気さに全く釣り合わない剛力よ。
少女は十数メートル吹き飛び、身体で地面に轍を刻んで、ようやく止まった。
「く……」
ただちに飛び起きようとして……身体が軋んで上手く動かない。
喘いだ。
損傷は、深刻ではないものの、機能を戦闘レベルに復旧させるには数十秒は必要だ。
仁王を背中にしまったメディオは、やはりのんびりと、明らかに追撃ではない足取りでやってくる。
そして、必死に歯を食いしばって小鹿のように立ち上がるイグナの前で、くるりと回って見せた。
「ねぇどうかな? どう? ちゃんと折り畳めてる? 外から見て分かんない?
――着る形式の多目的人形さ。君や、ユーリーのクランシュを参考に開発したんだよ」
「光栄……とでも、申し上げれば、よろしいので?」
「いやぁ。君たちのような知能を持たせるところまでは、まだ全然届いてなくってね。
木偶とでも笑ってくれ」
今度はその背から、甲冑の騎士が顔を出した。
剣と楯を携えたそれは、まだメディオに被さらず、守護霊のよう。
表情を渋くするイグナ。
新しい形態だ、あの騎士も。
メディオが披露した着る多目的人形とやらは、ここまでいちいちデザインと能力が異なり、その数は二十か、三十か。
全く底が知れない。
まさか……と思わずにはいられない。この天才は、自分が万全に用意してきたCode数百と同数を、人の身で準備してきて纏っているのでは。
あるいは、さらに上回る数を、ということもあり得る……?
「イグナちゃんは、ないの? こういう騎士モードは。それとも、もう品切れ?」
「……。安い挑発です」
背筋を伸ばしたイグナは、自身の口元を手の甲で乱暴に拭う。
ダメージはあらかた回復した。
赤い眼光で、メディオを射抜き、
「しかし、あえて乗りましょう。メディオエディオ・ダラディエ。
……ところで、アイネさんは」
「夕飯を作って、家で待ってるよ」
「左様ですか。
――貴方の最期は、こちらで伝えておきますので、ご安心を」
お返しの挑発、ではない。
本心でイグナは言っていて、だからこそメディオも口角を上げた。
「いよいよ切り札登場?」
「そちらもジャックでなく、エースを出すべきかと。
いえ、待ちませんけれどね。
――Self Order , Code : Demi-God】




