承:転 ≪開口≫
危うく下げた頭の上を、あまりに巨大な剣閃が行き過ぎる。
「っ、ちっ、っ!」
躱したというのに、斬撃の余波よ。
吹き付ける剣圧は、まるで刃そのものに触れたように固く鋭く、肌を擦った。
煽られたサネツグは転びかけ、だが鍛え上げた体幹で即座に姿勢を戻す。
この間にすでに塔剣は、次の一閃を描いていた。
「っそ! 本っ当に、めちゃくちゃだなぁ!」
さっきまで戦いの全てを掌握し、手玉に取っていたサネツグが、今は……。
駆け抜け、身を翻し、襲い来る超サイズの凶刃を避け続けるしかない。
それも無理からぬこと。
何しろ、彼我で寸法が違い過ぎる。
イコールで間合いに差があり過ぎ、向こうの桁が外れた射程に対して、サネツグからは飛び道具も無しにどう手を出そう。
おまけに、アインの剣捌きは精妙にして高速。
塔剣には鈍重なところが少しもなく、振り回される速度は魔剣と同じ……いや、さらに軽やかではなかろうか。
本来の得物を手にし、羅刹はますます生き生きとしていった。
未だ常人の背丈のまま、刀剣の柄に無数に生えた柄を扱い、より速く、より鋭く。
「どぉうしたよオキタぁ! すっかり大人しいじゃねぇかっ!」
「おうよタイミングを見計らってるもんでな!」
叫び返しながら踊り、何度も降り注ぐ巨大斬撃からかろうじて逃れる。
むしろ、ここに至ってもアインの猛攻をやり過ごしているサネツグをこそ、称えるべきか。
大渦に弄ばれる木の葉も同然であるのに、依然としてただの一撃も、掠ってもいないのだから。
大地に墓標のように、無数に突き立った棘のおかげだ。
これらはアイン、サネツグ両名の身体に刺さったものと同様に、剣が触れると鳴り響いて剣圧を伝達する。
――ごっそりと刈るように撫でる塔剣。
――真っ赤に染まりながらキンキンと歌う棘の野原。
押し寄せる音を聞きつけたサネツグは、一瞬だけ待ち、跳んだ。目前まで迫っていた塔剣を越えた。
草履の爪先のすぐ下を、通過する恐ろしい質量。
「ヒヤっヒヤだよちきしょう!」
周囲に棘を展開して剣圧の感知範囲を押し広げていなければ、とっくに捉えられていておかしくない。
だが。
そういつまでも、翻弄されたままではなかった。
タイミングを見計らっている――負け惜しみではない。
「ふっ」
再び塔剣を潜り、サネツグは、機を見て前へ。
距離を詰めようと試みる彼に対し、アインとて追い払うべく刃を振るい、突き、振り下ろすが。
サネツグの体幹が柔らかい。
半身になったり上半身を逸らしたり、飛んだり跳ねたり。
あたかも蛇が宙でうねるが如く、巨人の刀身をヌルリと躱し、その疾走は一切止まらなかった。
「ぬたぬたすんじゃねぇっ!」
「ご好評につき、よっと! もひとつっ!」
いま彼は、一秒先を完璧に読み、二秒先も解し、三秒後もつぶさに知っていた。
並外れたリーチの剣と、それを非凡な速度で振るうアイン。しかしその二点さえ具合を把握できてしまえば、アクションを読んで予測するのはサネツグには容易い。
塔剣の発する剣圧が膨大で、実際より大きく長く分厚く視えていたのが厄介だったが。
もはや詳細は掴んだ。
「っしゃあ!」
ついにアインの懐に、入る、
「もらっ、」
――サネツグの鼻先に魔剣の尖端。
「っぁおっ!?」
咄嗟に首を傾けた。
羅刹の刺突は左頬を擦り、血の筋をはっきりと引く。
盲目のサネツグは、気付かなかったのだ。アインが途中から塔剣を右手一つで振るっていたこと。
そして左手の、魔剣の存在に。
「なっ」
驚愕のままサネツグは跳んで、大きく下がる。……あと一瞬でも遅れていたら、いま喉に刻まれた刀傷、これがこの首を刎ねていたはず。
しかしそれよりも、背筋をひやりと冷やすのは。
――視えない。
気配、剣圧、そういったものが読み取れない。
アインの左手が、今どうなっているのか。
剣を振り上げているのか、正面に構えているのか、それとも地を指しているのか。
肩。腕。その先がおぼろで、何も……。
羅刹がニヤリと口角を上げた。
「ようやくコツがわかったぜ」
「……お前を侮ってたよ、アイン」
達人ともなれば剣圧も自由自在。
それは何も、『通す』ばかりではなく、通さぬことも範疇だ。
単純ながら明確な、サネツグ対策。
とはいえ、剣圧を抑えるのは簡単ではない。
剣速を遅くせず、弱くもせず、斬ったときに音をさせない風を立てない。そんな真似をしようと思ったら、相応の繊細さが求められる。
しかも命のやり取りの最中で、敵を前にして、力まずに刃を振るうという芸当は、口で言うよりよほど難しい。
少なくとも豪腕が売りの巨人かつ重量操作剣士たるアインヴァッフェ・イリューには無理と、サネツグは予想……高を括っていた。
「…………っ!」
二刀流にしていたことにも気付かなかった。
衣擦れの音一つからでも動作を察知する『弔琴』のサネツグ・オキタが、完全に欺かれた。
サネツグの口元にも笑みが浮かぶ。
ただしこちらには、余裕のニュアンスが欠片もない。
「びっくりだな。お前がそんなに器用だったなんて。
……いや。器がでっかくなった、って評するべきかな」
「おーぅ、もっと言え」
「俺たちのとこを出て、ジュンナイリクホについた成果か?
けどよ、そんな付け焼刃、いつまでも通用、」
言葉をふっつりと切り、「か、」と小さく呻いてサネツグはよろめいた。
反射で右手の棘剣を出し、空を突いて。
左手では自らの顔を覆い……その掌の隙間から、流れる鮮血。
斬ったのだ。アインが魔剣で、隙をついて。接近も攻撃もサネツグに悟らせず。
音も、風も、気配も、もちろん剣圧も、全くさせずに。
その場で軽く放っていた塔剣が、落ちる前に元の位置まで戻った羅刹は、愛刀をキャッチしチッチッチッと舌を鳴らした。
「コツはわかったんだっつったろが」
「このっ……やり、やがる……っ」
サネツグは、掌で顔を擦った。
目に走っていた古傷。今そこに重ねられた真新しい傷を、拭おうとするように。
表情に血を塗り広げ、真っ赤にしながら。
「く……っ!」
反対の手の棘剣で、傍らの地面に生えた棘の一本を、叩いた。
轟音。
――白い大地が砕けた。
サネツグの棘は剣圧を伝達する。
地面のそれらはアインの塔剣に散々撫でられ、その威力を地中へ送りつけ、充満させていたのだ。
あとは的確な場所と角度で、最後の一押しをくれてやれば、この通り。
「っ、おぁ、」
大荷物を抱えたアインはたまらずよろけた。
塔剣の重さを剣技で誤魔化して、崩落する地盤の欠片を飛び移り、退避しようとする。
が。
「いやいや本当に、やりやがったなぁアイン」
次に飛びつこうとした場所には、先んじてサネツグがしゃがみ込んでいた。
ベロリと舌を出して。
……両目に渡る傷が、ぱっくりと開いて、そこから血の涎を垂らしながら、べろりと舌を、出して。
「なん、」
問う間もアインには与えられない。
心臓を、投げつけられた棘剣が貫通する。
のみならず、全身に生えた半実体の棘が、漆黒に転じ――羅刹の肉を穿つのだった。




