起:結 ≪相手≫
「――ぷは、っ!」
影から解放されるのは、底なし沼を這い出るのに似た心地がする。
キアシアは絨毯に手を突いて、荒い呼吸を何度か繰り返した。
……絨毯。
はっと背後を仰ぎ見た。
中腰のオルトが「大丈夫?」と手を差し伸べているが。
払いのけて飛び起き、流れる動作でホルスターの拳銃を抜いて、彼に向ける。
「オルトっ、ここ、どこ!?」
撃鉄を起こす。
思い出すのはかつて彼に攫われ、闇の牢獄に囚われた数日間だ。
肩を竦めるオルトを視界に納め続けるようにしながら、キアシアはさっと周囲の様子を伺った。
一見して、談話室、という印象を受ける。
穏やかな木造の部屋に、アンティーク調のテーブルとソファーが並び、暖炉では静かに火が燃えていた。
菓子の匂い、紅茶の匂い、煙草の匂い……微かなそれを、キアシアは嗅ぎ取る。
少なくとも影を材料に創られた空間とは思えない。
「オルトっ、ここはっ、」
「心配しなくても月の上だし、さっきの場所からすぐ傍だよ。魔女様のお城さ」
爆発音が聞こえた。
ついキアシアがそちらへ目をやれば、バルコニー、そのさらに向こう、白く平坦な大地に上がった炎が垣間見える。
バルコニー。誰かが、手すりに寄りかかって身を乗り出し、景色を眺めていて……。
誰か。豪奢なドレスを着た、その背中。
「お、姉ちゃん、」
「あぁキア。あなたもこっち来て御覧なさいよ。
あの人たちってホント派手よね。見応えあるわ」
振り返ったゼアニアはにっこりと微笑み、手にしたオペラグラスを差し出してみせた。
「お姉ちゃん……」
いつぶりにか再開した姉に、キアシアは――拳銃をもう一丁抜く。
一方はオルト、一方はゼアニアに照準を合わせ、態度をことさら逆立てた。
「言っておくけどねっ、あたしを人質にしたつもりなら、」
「そんなんじゃないわよ。ただ妹とお茶がしたかったから呼んだの。
――オルト、ここからは姉妹で水入らずにしてちょうだい」
「はいはい」
お礼もお願いもなしか、とぼやきながらもオルトは、自らの影へと沈み込んで消える。去ったことをアピールするためか、気配もあからさまにこの場からなくなった。
後には妹と、姉。
「…………」
「ねぇキア、それ降ろしたら? 落ち着かないでしょう。
っていうか、お姉ちゃんが落ち着かないんですけど」
などと言いつつゼアニアは、銃口をほとんど気にも留めていないようで、軽い足取りで部屋に戻ってくる。
どころか両腕を抱擁の形に広げて、妹の目前まで。
むしろ凶器を突き付けているキアシアのほうが、半歩後退る始末である。
「う、動かないでお姉ちゃん!」
「キア」
「撃つよっ。
……撃てるよ、あたしは……撃つ準備をしてきたよ。
前に、お姉ちゃんに、言われた通りに!」
「…………?」
何の話か、とゼアニアは首をかしげた。
全く。キアシアは口内が苦い。この姉は、これだから嫌なんだ。
何もかもが無責任。彼女の言葉を真剣に受け止めた、こっちが馬鹿みたいじゃないか。
拳銃の片方をホルスターに戻し、残った一丁を両手で支え、ゼアニアの額をピタリと狙う。
感情のままに吠えた。
「次に会ったとき、そこがあたしたちの戦場なんでしょ!
お姉ちゃん言ったじゃない! 言ったんだよ!」
「あー……。あぁ、えっと、そう?」
やはり思い出した素振りもない。
しかしさすがにバツは悪いのか、ゼアニアは妹の剣幕に、頬を掻いて。
「でも、じゃあそれはさ、この次にしない?
今回は≪神魔の目隠組≫の出番で、アタシは参加できないのよね。
ほらアタシの眼帯、片目だけだから。準メンバーだから。
ね。今日のとこはお茶にしよ」
「…………っ。
そういうわけには、いかない。みんな命懸けで戦ってる!
あたしも戦う! お姉ちゃんはもう敵なんだから!」
「えー。お姉ちゃんが頼んでも、ダメ?」
言って、上目遣いで、自身の唇に右手の指先で触れるゼアニア。
そのいかにも男向けのあざとい仕草に、キアシアはカッとし……あえてその熱に乗ることで、引き金を、引いた。
「さよなら、お姉ちゃん――」
「――――」
発砲。
鉄の弾丸が、過たずゼアニアの額に命中する。
大きく仰け反った彼女は、
「か、」
……だが、倒れることはなく。
背筋の力で、姿勢を戻すではないか。
キアシアの絶句も当然。
「なっ」
「いつつ……。
どう、気は済んだ?」
姉の頭部に穿たれた銃創。
そこから零れるのは、血でも脳漿でもなく……目玉だ。
泡のようにボコボコと、無数の魔眼が漏れ、かと思えば傷口へと戻っていく。
ゼアニアが掌で拭う頃には、完全に元通り、痕すらなかった。
「お姉ちゃ……っ、それ……っ」
「もう一発撃つ? もういい?
なら、お茶にしましょ。
お菓子も茶葉も、キアのために奮発しちゃったんだから」
>>>>>>
戦闘は激しく入り乱れる。
魔女が左手の荊から、幾つもの鍵を纏った鎖を伸ばし、鞭のように打ち振るう。
これを剣と左の篭手で弾いているのは、アインだ。
羅刹にかかりきりの魔女を、横からイグナの拳が襲う。
肘に増設したブースターで威力を高めた、文字通りの鉄拳。
メディオの白衣の袖から、彼のものではない腕が伸びた。どこに隠していたのか、おびただしい数の関節を持った、数メートルはあろう人形の腕だ。
その手が魔女の腰を掴み、ぐいと抱き寄せる――イグナのパンチが空を切る。
赤髪の乙女の体が泳いだ隙を狙って、和装の男が相変わらず三味線を爪弾いたまま、蹴りを放った。
が、これをアインの魔剣の腹が受け止める。
交錯した二者の肩を踏み、陸歩が跳んで、鈴剣から紅蓮を迸らせて、魔女とメディオへと浴びせかける。
「お、りゃあぁっ!」
「――。――、――」
詠唱は魔女のもの。
襲い来る炎が赤い毒蛇の群れとなり、共食いを始める。
瞬く間に一匹のみに。生き残りは、巨大な蛇蠱となり果て、鎌首をもたげ、
それを、イグナの剛腕に放られてきたアインが、一刀両断。
陸歩は咄嗟に振り返り、和装の男の撥と鍔迫り合いになった。
「くっ」
「おぉ、ジュンナイリクホ、噂に違わぬ良い腕だ」
「そりゃ、どうも!」
『――リクホ様。アイン。』
囁きが聞こえる。イグナの声。
蚊の形で耳に取り付いたワスプによるメッセージだった。
切迫した戦いの最中、彼女は早口に伝えてくる。
『敵のうち二人は魔法使いに人形師。
3対3では手品をさせる隙が多くなり、こちらに不利かと。
1対1を三つ作りましょう』
「んなぁら俺はぁっ!」
喜色満面に叫んだアインは、正面の魔女に迷わず突っ込んでいく。
振るわれる鎖の鞭。
これを受け止めた羅刹は、重量操作剣技。
ただし自らの体重を限りなく減らす目的で用い、羽のように軽くなると、鞭に乗じて飛んだ。
そして力比べする陸歩と和装の傍らに着地すると。
そのまま両者の間をめがけて、剣を振り下ろすではないか。
「そぉらよぉっ!」
「んなっ!」
「おっと」
「オキタぁ! 付き合えよぉ!」
「割り込みやがって、しょうのない野郎だ」
アインの打ち込む一閃。
これを、オキタと呼ばれた男は三味線で受け止め、だが堪え切れず……あえて堪えず、彼方まで押し飛ばされた。
羅刹も追いかけて、乱戦から離脱する。
続いてイグナが、メディオに目で訴えた。
相手方も意図を察しているようで、微笑むと散歩の調子でその場から離れる。
イグナは主人に頷いてから、その後に続いた。
残るは、魔女と陸歩。
「んふっ、二人っきりねぇ。
ねぇ、リクホくんもぉ、ドキドキ……してる?」
「あぁ、あんたを討つ千載一遇のチャンスだからな。さすがに心臓がうるさいよ」
「やん、あたしで興奮してくれてるのぉ? 嬉しい。
じゃあ――しっぽり、やりましょう、かっ!」
「――しぁっ!」
魔女が飛び込み、陸歩も踏み込む。
互いが互いの死線へと。躊躇なく。
鋼が交わり火花が散った。
鋼が擦り……鮮血が、散った。




