起:承 ≪到達≫
あっという間に雲の高さにまで達する。
地表はすでに遠く、さっきまでいた山林は緑の絨毯のようだ。
龍に変じ、四翼で力強く天へと昇り続けるイグナ、その腹の中で。
「…………」
コックピットカプセルに各々縮こまった陸歩たち。
上昇に伴って降りかかるはずの加速度は、イグナに組み込まれた宇宙工学の叡智によりほぼ完璧に無効にされ、負荷や体調は平時と同じ。
ただ全員が緊張から、息を潜め身体も強張らせ、自然と会話も断って、モニターに映し出される景色をひたすらに眺めていた。
遥か上空から、大陸を見下ろす。
駅街ホーキードーンも、駆け抜けた道も、その他の街も、全てが針先で描いたように小さく、人々の姿などもはや分からず……あそこを必死に歩き回っていたなんて、ちっともピンとこなかった。
さらに上がれば、世界が見渡せる。
ここまで来ても、神器で形作った流星龍が功を奏し、一向に天罰の気配はない。
神、あるいは神によって許された者だけが望むことの出来る景色が、画面越しとはいえ、目の前に。
点在する大陸と、それらを結ぶ海洋。
山があり、森があり、湖があり、砂漠があり、広野があり、岩谷がある。
ナユねぇの作った世界。
ひたすら平面に続く一枚の世界。
外縁は未だ想像されず、創造されず、白い虚無の靄に覆われた世界。
固く結んでいた口も、思わず、
「きれい……」
キアシアの圧倒されたような呟きが、カプセル間の通信機能によって陸歩にも聞こえた。
まったく、彼女の言う通り。
神が空を封じ、独占したがるのも無理はない絶景だ。
人の身には過ぎたスケール。
やがてイグナは、上昇を止め、横方向へと顔を向け直す。
この世界では地は固定され、天のほうこそが巡る。
日々、太陽を中心とした空、月から広がる空が交互に入れ替わり、それが昼と夜。
現時刻で月を目指すなら――世界の裏側に、回り込む必要があった。
流星龍の飛行能力。
かつ、極彩色の翼。
それらが合わされば速度は光にも比肩する。
世界の果てに辿り着き、虚無の靄さえ越えるまで、さほどかからない。
眼下に海も大地も無くなり、底に溜まった『夜』が伺えると、イグナは今度は下方向への移動を開始した。
ぐんぐんと高度を落とし、地平線と同じ高さ、ついにはマイナスに……。
「え……」
あまりのことに陸歩は言葉を失う。
すれ違いざま、横から目撃した世界は……まさかと思うほど厚みがない。
こんな薄皮の上に、何もかもが乗っている。いやそんな馬鹿な。これでは少し掘っただけで突き抜けてしまうはずで――
――その時、境界を越えたのか、突如として……向きが変わった。
下へ飛んでいたはずのイグナは、いつの間にか上を目指していて、頂点には燦然と月が輝く。
再び見下ろす世界……世界の裏側は、つるりと起伏なく平らで、蛍光緑のグリッド線が格子状に描かれ……否。
あれは、正しくは、
「……ジグソーパズル?」
「のように、見えますね」
通信でイグナも唸る。
キアシアとアインは『ジグソーパズル』に心当たりがないようだが。
無数に敷かれた、淡く発光するピース模様。
まるでこの世はおもちゃだとでもいうような……あるいは実際そうなのか。
あんなもの、自然科学に照らせば全くデタラメで……。
「…………」
いい加減、陸歩は頭を振った。思考に意味はあるまい、と。
ここはサイエンスとは別の理、ナユねぇの想像力によって作り上げられている。
なら、真に考察すべきは天文学・物理学・化学・地学・生物学のいずれでもなく――姉の気持ちなのでは。
それに、目的地がもう近い。
月はほんの目と鼻の先にあり、踏み締める地面さえあれば陸歩にも走っていけそうだ。
あちらもまた、球でなく、銀盤を思わせる平面。
あそこに魔女の根城が。
イグナが各員へ告げた。
「皆さま、ご用意を。
まもなく敵勢力圏へ突入します」
入念な盗聴を行ったが、魔女がどれほどの対空防衛を張り巡らせているかは未知数。
だが月など通常は来れる場所ではなく、わざわざ侵入を阻む罠を仕掛けはしまい、というのが陸歩たちの最終的な見解だった。
加えてこれは奇襲・隠密作戦。完全に不意を突いている……、
カプセル内にイグナのアラートが響いた。
「どうしたイグナっ!?」
「何らかの飛翔体を確認! こちらへ向かってきます!」
けっ、とアインが笑った。
「やっぱバレてたわけかよ。
おい俺を出せ。迎え撃つぜ」
「こんな何もないところで放り出して貴方に何が出来ますかっ!」
一喝の後にイグナは、レーダーに映った敵影から逃れるべく、龍の身を翻した。
……振り払えない。
「なっ」
絶句も当然だ。よもや流れ星の速度に並ぶ者があろうとは。
どころか、ぐんぐんと迫ってくるのだから。
「――――ッ!」
ついに視界に入ったのは、猛然と襲い掛かってくる、青・緑・黄・白・黒。
五頭の翼龍だった。
それらはいずれも、流星龍の三分の一程度の大きさ。
だが体格差などまるで気にせず、我先にイグナへ爪牙を立てんと肉薄し、口の端からは種々の息吹を零して剣呑。
「このままでは……っ!」
追いつかれる。
翼龍は巧みな連携を見せて機先を制し、ドッグファイトはいかにもイグナに分が悪く、とうとう身体のあちこちを突かれ引っ掻かれ始める。
息吹を吐きかけられた。
流星龍は必死に羽ばたき、尾を振り回し、まとわりついてくる五頭を払おうとするものの。
陸歩たちはイグナに抱えられたまま、見守るしかない。
モニターには彼女の概念図が映り、各部に被ダメージが募っていく様が……。
「っイグナ! どうにか月面へ行くんだ! 不時着でいい!」
「か、しこまりました!」
決死の流星龍は錐揉みしながら、月へと飛ぶ。
そして追い立てられるまま、白き大地に、墜落と変わらない勢いで降り立った。
濛濛と立ち込める銀の砂埃。
翼龍たちはその上空でしばし、旋回をくり返していたが。
緑、次いで黒が様子見に焦れ、ほのかに浮かび上がる獲物の影に飛びかかった。
雄叫びをあげ、鋭利な爪を備えた後ろ足で、凶悪なストンピング。
「――ッ!」
――陸歩の鈴剣が受け止める、緑を。
黒はアインの聖剣が。
「この、こいつらぁ……オレのイグナによくも!」
「トカゲ風情が、飛べるようになったくらいで調子に乗ってん、なぁ!」
二人の剛力が、龍の一撃を押し返した。
仲間たちの高さに戻った緑黒は、苛立ちからか警戒からか、ギィギィと喧しく吠える。
乙女の姿に戻ったイグナ、肩を貸して支えるキアシア。
彼女たちを背中に庇って、剣士二人は愛刀を構えた。
「……くそ。あれだけ騒がれちゃったら、もう奇襲も隠密もないよな」
作戦の瓦解に陸歩が苦く呟けば。
対して羅刹が喉で笑う。
「しゃーねぇって。こっからはド派手な戦争に切り替えてこうぜ」




