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起:破 ≪姉弟≫

 とりあえず次の日は寝込んだ。

 

 幸いというか、あらかじめシズが風邪を引いていたことで、両親はオレもそれだと思ったらしい。

 まぁ実際、測ったら熱は出てたんだが……。多分、知恵熱の亜種。

 おかげでオレは理由を根堀されることもなく、一人存分に布団で悶絶できた。


 正直、怖くって目もつぶれない。

 八歳の子どもには、首だけ女は十分すぎるほどホラーでグロテスクで。

 朦朧とする中、何度も夢に見てはうなされた。

 自分の身体がケーブルになっている……跳ね起きて確かめたことも、何度も。


 ところが我ながら豪胆なもので、一晩経つ頃にはもう、すっかり恐怖も薄れてきてしまった。

 次の一晩がまた経つ時には、残っているのは強烈な好奇心ばかり。


 あの人は、何者だったんだろう?

 あんなカタチで、どうやって生きてるんだろう?

 あんなところで、何をしているんだろう?


 とにかくスゴイモノを見た、という実感はある。

 となると、もっと知りたくなるのも、まぁ道理かとも思うんだが。


 既に例の施設の前に立っている辺り、オレには思慮とか躊躇いとか、色々が足りてなかった。


「……よし。いこう」


 前回と同じく、茂みに隠された穴から不法侵入をあっさり果たす。

 さて、左右を見渡して。

 ……どっちだっけ。


 あのとき地下へのルートを見つけられたのは偶然が大きい。

 あえて探すとなると、大変に骨が折れた。


「どこだよぉーっ!」


 ――あった。

 やっとだ。

 もうすっかりヘトヘト。

 そうか右回りで探したのは失敗で、逆ならすぐに着けたのか。


 車両用の巨大な地下道は、今日は隠されることもなく、シャッターが全開きしている。


「…………、」


 今になって、前回の緊張が再燃してくる。

 歩き回って切れていた息は落ち着いてくるのに、心臓はずっと速くなっていって。


 それでも未知に対して、尻尾を巻くなんてことは、出来ない。

 だってだって、せっかくこうして、なのに、勿体ないじゃないか!


 坂を下って、地下へ。

 

 その先の扉はすでに開放されている。


 病的に白い通路は、鍵と隔壁でルート案内されていて。


 迷うことはなく、最奥の間へと辿り着いた。


「…………、」


 今になって、前回の緊張が再燃してくる。


 ドアノブを、掴んだ。


 ここまでの道中はあからさまに招かれていた。

 けれど当時のオレにそれを察するだけの頭はなく、入室に際して無意味に忍ぶ。

 薄く開けたドアの隙間から、こっそりと身体を通らせたのだ。


 部屋の中は相変わらず、とっ散らかっていた。

 この間よりは多少、足の踏み場が増えているのかもしれないが、気のせい以上の変化でもない。


 中央にはカプセル。

 彼女は、夢でも幻でもなく、やっぱり確かにそこにいる。


 首から下を、欠いた状態で。


「…………、」


 その目は、静かに閉じられていた。

 眠っているのだろうか。

 それともついにこの世の理を思い出して、死んでしまった……?


 ふと彼女が目を開く。

 そしてニッコリと微笑んで言うのだ。


「こんにちは」


 知らないうちに不注意なほど彼女に近づいていたオレは、びっくり仰天。

 とにかく手近な機材の陰に隠れた。

 そうしてからチラチラと何度も彼女の方を伺う。

 少なくとも直ちに危害を加えてくる様子はない――不法侵入者がなに言ってんだかな。

 なのでオレも、挨拶を絞り出した。


「…………こんにちは」


 たったそれだけを、彼女はひどく嬉しそうにして受け止める。


「また来てくれたんだね」


「…………、」


 オレは警戒心と、子ども特有の人見知りから、むっつりと黙った。

 同時に子ども特有の無遠慮で、じっと彼女を、その身体の有様を観察する。

 彼女はそれに対し、気分を害するでもなく、ニコニコとしていた。


 改めて見ると、彼女はずいぶんな美人だ。

 長い髪がカプセルの中で複雑に揺蕩い、幻想的に映る。

 ぱっちりとした瞳はきらきらとして子どもっぽくもあり、

 唇などは紅も引かないのに瑞々しく大人びていた。


 そんな彼女が、けれども致命的な欠落を抱えている様は、余計に痛々しさに拍車をかける。


「痛く、ないの……?」


 そのことを、不躾なくらい素直に訊ねるオレである。


「うん、どこも痛くはないよ。優しいんだね、君は」


「…………、……あんた、おばけ?」


 どう考えたって無礼千万は問いかけだが。

 彼女は、声を上げて笑った。

 そうすると水で満たされたカプセルの底から、真珠のような泡が立ち昇って、彼女の艶やかな黒髪を飾る。


「そうかも。おばけかも。

 お姉ちゃんはね、ナユタっていうんだ」


 ナユタ。

 それがこの人の名前なんだってことを、理解するまでにしばらくかかった。


 そういえば、どこから声がしているのかと思ったら、カプセルの下部のよう。

 どうもスピーカーが備えられているらしい。


 ナユタ、ナユねぇは、続けて「君は?」と訊いてくる。

 オレは質問の意味を取り違えて、多少ムッとしながら。


「ニンゲンだよ」


「えー? 本当かなぁー?」


 ナユねぇは、もう愉快で仕方ないって様子だった。


「君もおばけなんじゃないのぉー?」


「ちがうよっ!」


「ふーん? じゃあ名前は?」


「じゅ、」


 ジュンナイリクホ、と答えかけて、思い直してまた隠れた。


「しらないヒトに、なまえを言っちゃいけないんだ」


「でも私、人じゃないよ? おばけ。

 それにナユタだって知ってるでしょ?

 ほら、知らない人じゃなくて、知ってるおばけじゃない」


「…………、」


 このときのオレ、確かにそうかも……と本気で黙考。頼むぜオイ。

 まぁさすがに、何かおかしいと気づいて、「だめ。おしえない」と突っぱねるが。


 ナユねぇの双眸が、愛おしげに細くなる。


「そっか。しっかりしてるんだね」


 言うと、これが上手いところで、ナユねぇはオレへの注意を完全に切った。

 顎を上げて顔を中空へ向け、目を閉じて。

 自分を包む水の温度だか流れだかを楽しむようにして。


 子どもってやつは、大人にぐいぐい来られると畏縮して逃げていくものである。

 が、こうやって一回引かれると、相手にされないのが面白くなくって、むしろ自分から寄って行ってしまうんだ。

 ナユねぇはこのことをよく心得ていて、オレは見事に釣り上げられてしまった。

 隠れるのを止めてカプセルの前に出て行って、今度は自分から話しかけている。


「おねえちゃんは、ここで、なにしてるの?」


 ゆっくりと目を開いたナユねぇ。

 問いに対して首を傾げ、うーんと呻きを漏らした。


「なに、かぁ。難しいなぁ。

 何しているかって言えば――生きてる、かな」


「いきてる、だけ?」


 オレが怪訝に訊き返すと、ナユねぇは重く頷く。


「生きてるだけ。

 私は、ここで、ずっと、生きてるだけ」


 生きてるだけ。

 今でこそ彼女の境遇と心中を想像し、その言葉に潜む無数の苦痛を、おこがましくもほんの一部だけ感じ取ることが出来るが。


 子どもの共感はもっとずっと漠然としていて。

 かつ圧倒的なものだった。

 神懸かりと言ってもいい。

 このときオレは、ナユねぇから漂った哀しみの波長とでも言うべきものに、はっきりと当てられたんだ。

 息が詰まるよう。

 つんとした同情が胸を塞ぐ。


「……ひとりで、さびしくないの?」


 多分、核心を突いたんだ。

 ナユねぇに、濃い諦念がにじんだ。

 微笑んでいるはずなのに、その表情はひたすらに傷だらけで。


「もうね、慣れちゃったんだよ」


 一人前の身体さえ欠き、瓶詰めとなって孤独に暮らす。

 それは一体、どれほどの責め苦だろうか。


 あんまりだと思う。

 かわいそうだ。


 慰めてあげたいって、誰だって子どもだって思うはず。


「――おれ、またくるから!」


 必死で叫ぶと、ナユねぇは息を呑んで目を見開いた。

 そして上目遣いになって、彼女はオレと同い年まで心が巻き戻ったみたいにオズオズとしながら、訊ねるのだ。


「ほんとう?」


「ほんと! だから、ナユタねえちゃん、もうさびしくないよ!


「うれしいな」


 ……その笑顔。

 ナユねぇの、この笑顔。

 気づかなかった。

 ガキにはただ喜んでくれているよう見えてた。

 でも、今こうして見返してみりゃあ……なんだよ。

 泣いてんだか何だか、複雑すぎて区別もつかねぇじゃねぇか。


「おれ、りくほ! 今日からおれとナユタねえちゃんは、……、」


 オレとナユねぇは何なのか。

 束の間、言葉に困った。

 

 オレとナユねぇは、なんだ、友達?

 でも年上異性の友達なんていたことないから、そう呼ぶのはすごく違和感があって、適切か判らなかった。


 その間にナユねぇは、妙案を思いついたって顔をする。


「じゃあ。私とリクホくんは、姉弟ってことにしようか」


「きょうだいぃ?」


「うん。ダメかな」


 姉弟。姉弟、か。

 うん、悪くない。


「……だめじゃない。いいよ」


 本当に妙案だったよ。

 本当に。


「やった。嬉しいな」


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