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祈りについて

 心に願いや望みがあれば、祈りあり。

 かつて無宗教だった(ころ)のオレも、チャンスや苦境(くきょう)には思わず神を(おも)ったもんだ。きっと誰だってそうだろ?

 祈るってのは何も、信仰の専有物(せんゆうぶつ)じゃない。

 日々の(いとな)みに起伏(きふく)――感謝や納得、不満や反発――があった(さい)に、当たり前に(おこな)われる精神の動作なんだ。


 だけどここでは、そういう広義のではなく、もっと専門的な祈りの話をしたい。宗教活動としてのやつ。

 なにせこの世界には、八百万(やおよろず)の神々が存在して、信仰派閥(しんこうはばつ)数多(あまた)あり、祈祷(きとう)も種々のバリエーションがあるからな。

 その形態は一度まとめておきたかった。


 イグナに『祈祷』を辞書で引いてもらうと、「声祷(せいとう)黙祷(もくとう)に大別される」とのこと。

 つまり言葉に出して祈るか、自らの内面で祈るか。

 ただ、どちらであっても求めているとこは同じなんじゃないかな。

 (よう)は、神様と交信するには自己という(から)を超えなくてはならない。神様は個人の精神よりも開けたところに御座(おわ)すから。

 そのための準備として、ある種のトランス状態になる儀式。


 リズムにはそういう力がある。

 特定の拍子(ひょうし)で歌や言葉を(とな)(つづ)けると、ふと自意識が希薄(きはく)になってるって体験、したことはないだろうか。

 あるいは延々と行進し続けているとき。まるで白昼夢を見ていたかのように、何かを思考していたはずなのにそれが何だったかおぼろな……魂が肉体の(くびき)から一時(いっとき)()かれていた感覚。

 聖歌(せいか)祝詞(のりと)読経(どきょう)はそれを意図したものだと思う。

 力のある、それ自体が祝福されたワードを、自らの喉から内外へと響かせる。

 やがて精神が猥雑(わいざつ)な自己を超越し、神の領域の一端(いったん)に触れるのだ……。

 

 瞑想(めいそう)にもまた、そういう力がある。

 目を閉じ、(まぶた)の裏側の暗闇にひたすら集中する。

 けど人間っていうのは、何もないところを注視し続けられはしないものだ。

 焦点のない意識は、やがてぼやけて……。

 半人前だとそのまま眠っちゃうんだろうが、熟練(じゅくれん)すれば精神を堅持(けんじ)したままその状態になれるんだ。

 いわゆる明鏡止水(めいきょうしすい)

 オレはそれを、心が神羅万象(しんらばんしょう)と同じステージにある瞬間、と解釈(かいしゃく)している。

 達人(たつじん)ともなれば、例えばうちの師匠とか、目を開けてても(いた)れるそうだ。


 この世の宗教では多く、声祷が採用されているように思われる。

 流転神の聖歌。

 深潭神(しんたんしん)の祝詞。

 因果神の読経。

 魔法の呪文がある世界で、それらは摩訶不思議(まかふしぎ)調(しらべ)に聴こえ、素人の耳にも何か圧倒的なものを感じたよ。


 それぞれには独自の歴史的・宗教史的な()()ちがあるから、一括(ひとくく)りには言えないんだろうけど。

 祈りを声に出すのは、祈祷を大人数で一緒に行うものと想定しているから、というのは理由の一面としてあるんじゃなかろうか。

 (みな)唱和(しょうわ)し、混然一体(こんぜんいったい)となる。快感にも似た充足(じゅうそく)があるよな。

 あれは他者を助けとして、神という人よりも大きな存在に近づいた、その実感なのかも。


 あとは真言(しんごん)偶像(ぐうぞう)と同じで、その神様をイメージしやすくするって効果。

 宗教を分かりやすくするのは、信者の獲得のために絶対必要なことだ。

 一般人にはどうしても、姿形(すがたかたち)のない(おお)いなるものはピンとこないから。

 絵やエピソードや言葉で、神様にキャラクター付けをするのも、やむを得ないところ。


 武芸に関わる神々、屈強(くっきょう)な僧兵がいるような派閥(はばつ)は、黙祷に寄っている気がする。

 オレが剣士だからそう思うのかな?

 廻風神(かいふうしん)、鉄血神、起臥神(きがしん)、拳闘神などなど。


 でも皆が皆、目をつぶって手を合わせて、ってわけじゃない。

 むしろ声祷よりもこっちのが種類が多いんじゃない?


 例えば心静かに落ち着けて、ひたすらに正拳突(せいけんづ)き。

 例えば剣舞(けんぶ)

 例えば滝行(たきぎょう)もそうだ。

 例えば清掃(せいそう)雑巾(ぞうきん)がけが黙祷に当たる宗派(しゅうは)もある。

 医療系の神様だと、薬を(せん)じる行為がそうって場合も。


 多くがその行為や、技の中に神の叡智(えいち)の一端を見ていて、それに(せま)ろうとしている……のかな。

 オレもまだまだ青二才、あんまりよく分かってないんだけどね。


 自分のところの話をさせてもらうと、オレは神様との対話を求めるときには、座禅(ざぜん)を組んで剣を()いてる。

 そうして一心に神様の姿を思い浮かべるんだ。直視できたことはないから、イメージというか存在の感触というか、そういうのをね。

 上手くいくとあちらから(たず)ねて来てくれるんだ。

 それとも、実はいつも(そば)にいてくれている……?


 まさに黙祷ってやつだけど、まぁうちの宗派は曖昧(あいまい)になりきってるからね。他にやりようがないんだ。

 歌なんて無いし……。

 言葉、はいくつか頂戴(ちょうだい)してるけど、くり返し(ねん)ずるようなやつじゃないし。

 今度、何かそういうのが無いのか()いてみようかな。神様もだいぶ存在を取り戻してきたらしいから、思い出してるかも。


 もしくは……オレが作る?

 考えてみたら、一度()えた宗教を復活させたら、オレって教祖(きょうそ)じゃん。

 いやぁでもそういうセンスないしなぁ。

 素振(すぶ)りとか筋トレになっちゃうぜ。


 あぁでも、それでいいかも。

 筋肉は自分を裏切らないしさ。

 健全な魂は健全な精神と、健全な肉体に宿(やど)るんだろ。神様だって筋肉に宿ってもいいじゃん。


 さぁ一緒に、ホーリー腕立(うでた)て、しようぜ。


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