後 ≪談合≫
ダメ元のつもり。
というより、そういえば今どうなってるのかが気になって、ロッドルセンの扉の樹でアインに鍵を使わせた。
これは篭手とセットでなくては効力を発揮しないため。
かつてこの羅刹が、まだ高弟の十六人に数えられていた頃、月のアジトへの出入りに用いていた鍵だ。
それはアインが破門になった際に、魔女の手から陸歩へと贈られ、通じていた先は群馬の隅っこを模した箱庭。
「開けるぜ」
「頼む」
ゆっくり、扉を、開く……。
「…………」
真っ暗闇だけが広がっている。
完全な虚無。
まさか飛び込んでみる度胸はなく、腕を突っ込むのさえ躊躇われ、陸歩はアインに合図して閉めさせた。
振り返ると、イグナが自らの唇を撫でて黙考し、キアシアは恐ろしそうにしている。
「どういうこと?」
「あの場所は、魔女と原初神が創り出したもののようでしたから、」
「畳んじまったんだろ、あいつらが」
何でもなさそうにアインが続ける。
陸歩は、改めて敵の底知れなさを見せつけられた気がする。
ほいほい空間を作ったり消したり……確かにあれだけの呪いを操る魔女と、神の中の神なら、容易いことかもしれないが。
アインがノブから抜いた鍵を無造作に放ってきた。
「ほれよリクホ」
「投げるなっての。
……案の定だけど、こいつにはもう意味なさそうだな」
とはいえ、アインから返ってきたそれを、今すぐ捨ててしまう気にはなれない。
紛い物とはいえ故郷に繋がっていた鍵だ。思うところがないではないし……誰かが拾って使って、虚無へ転落しても大事だし。
篭手の孔へ納めた陸歩は、我知らず手を二度三度と握った。
「――ってかよ、意外と原初神ってのも出歩いてるんだろ?」
レストランで注文したメニューを待つ間、アインがお冷の氷を噛み砕きながら言う。
「もう外出先で直接攫っちまえば?
イグナがクランシュ経由で覗いてんなら、そのうちタイミングはあんだろ」
乱暴な言ではあるが、意外と上策かもしれない。
テステクニコで不意に出会ったとき、那由多は一人だった。
今後陸歩に、彼女を元の世界へ強制送還させる術が身につくのなら、ああいう隙を狙うのは十分にありだ。
だがイグナは「どうでしょう」と慎重である。
「あの魔女が全く無防備にさせるとは思えません。那由多様の身に何かあれば、察知して駆けつける仕掛けくらいはしてあるのでは」
「ありそうな話だがよ、こっちから連中の根城に乗り込むのだって、リスクはどっこいじゃねぇかな。
まぁ本丸を強襲ってほうが派手だし楽しそうではあるが」
「えぇ、ですので、『忍び込む』のが良いかと」
先ほどアインが言った通り、魔女たちの動向は断片的ながら、イグナが監視している。
手薄のときを見計らうのもそう難しくはない。
「敵に気取らせず、可能なら那由多様自身にも気付かれないうちに、不意打ちかつ電撃的に彼女を元の世界へ返してしまうのです」
「とすると、」
ウェイターが料理を運んできたので陸歩は一旦言葉を切った。
肉やサラダ、パンを互いにとりわけ、各々が昼食を頬張り始める。
「ん。でだ。
とすると、当初の目論見通り、高弟の誰かから鍵を奪うか……」
「月まで飛んでいくか、ですね。
ワタシとしましては後者を推奨しますが」
イグナが気にかけているのは、敵に念話の能力があることだ。
ヨルドンドで最初にユーリーたちとやり合った際、彼らは明らかに何か連絡を受けて撤退していった。
魔女たちが自在に交信できるのであれば、手下の誰かを打ち倒して鍵を取り上げても、そのことは向こうに筒抜けになってしまい、隠密作戦はそもそも成立しない。
「――でも、飛んだら天罰が待ってるからなぁ」
取った宿で荷物を降ろしながら、陸歩はため息を吐いた。
さて振り出しに戻った。
ユーリーとクランシュが『星船』と呼んでいたあの形態。
あれを形だけ真似ることは、イグナのスペックをもってすれば楽勝だ。
だが彼らは、どうやって落雷を回避していたのか……なんらかの印章術か。
「めちゃくちゃ単純に、耐電性を上げるってのは、イグナどう?」
「……難しい、かと思われます。
先ほど見学した旧市街の様子から推定される威力は、耐えたり逸らしたり出来るものではないかと」
「そっか……」
お手上げだ、とソファーにどっかり腰を下ろした。
部屋の内装、調度品はどれも豪華かつ絢爛である。
当然か。なにしろ今回の選んだ宿は、観光街ロッドルセンでも一二を争うホテルだ。
が、その割に宿泊費は思いのほか安い。これは部屋が、高層階にあるため。
この街では、高い場所ほど験が悪いと――本気でなく冗談のテンションで――されていて、スイートルームが一階、上に行くほど安価になるのだ。
バルコニーからは足元の新市街、その先の旧市街までが見渡せて、まさしく絶景。
それを一望したキアシアが、旋回する白鳩を見つけて、ふと呟く。
「鳥は、天罰を受けないわよね」
その言葉に、室内の陸歩たちは視線を交わす。
イグナが応えた。
「それは。本能的に、罰せられない高度を心得ているからでは?」
「いや違う、そうじゃないな」
異を唱えるのはアイン。
「あいつらは、眷属だからだ、神のどれかの。
羽を持ってるやつは、自分の主神に飛ぶのを許可されている」
「じゃあ……翼を持ってるオレも、オレの神様から許可をもらえばいいってこと?」
「さすがにそこまでは分かんねぇよ。
だいたい、神託者の羽は飛ぶためのもんじゃねぇんだし」
戻ったキアシアが、まるで石でも吐き出すように、重たく言う。
「もう一つ思い出した」
「キア……?」
「……あの城に。
浮遊城、マギュラに、雷……落ちたことない」
その名を上せるだけでも相当な力が要ったのか、彼女は顔を青ざめさせてくったりとベッドに座った。
すぐにイグナがその隣に着き、背中を丁寧に擦る。
決着した過去とはいえ、なかったことになったわけでもない。トラウマの名残は当然か。
キアシアに申し訳なさと感謝を抱きつつ、陸歩は思案を巡らせる。
翼。神器。
神の許可、神にまつわる器物。
いずれかがあれば天罰を回避し、月まで届き得る。
にあ。
「っシルヴィ?」
いつの間にか有翼の黒猫が、キアシアたちの背後、ベッドの上で丸くなり、ゆったりと尻尾を左右に振っている。




