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手記No.49:『聖痕』ロッドルセン
―― 剣の月/裏耳の曜 ――
かつてこの地には、清流が満ち、新緑が満ち、豊穣が満ち、煌めきが満ち、それを幾柱もの神が善しとされた。
足しげく通われる神もあり、多くの祝福がもたらされた。
この地には、花が満ち、鳥が満ち、風が満ち、月が満ちた。
あるとき、神の更なる来訪と寵愛を望んだ人々は、階を立て始めた。空の青よりさらに上、黒き神域まで続く巨大な螺旋の階を。
この通い路を神々に、降臨の一助としてご利用いただく……しかしそれは、神の不興を大いに買った。
神の住処に人の手のものを入れようとした罪は重く咎められ、降り注ぐ雷によって罰せられた。
人の街は焼き滅ぼされ、天高く積み上げられた階は砕かれ、千年を経た今や苔生した礎のみが残る……。
という伝説。
近い話をオレは、自分の世界でも聞いたことがあるな。
ただこちらの場合は、あるいは史実かも……そう思わせるだけの材料をロッドルセンは備えている。
ムワブ大陸北西部、ロッドルセン。ここは瓦礫の街だ。
すっかり緑に浸食されつつあるが、何かとてつもなく大きなものを建てようとした痕跡がはっきりとある。
この台地は、規格外にデカいが、間違いなく人の手で築かれた。おそらくは建物の基礎として。
周囲には彫刻の入った石くれがゴロゴロしている。砕かれる前は壁だったのか、柱だったのか。
地面に散らばった欠けたプレートは、根気よく探せばパズルになって、一枚の瓦になるんだろう。
人の営みがあったのは遠い昔のこと。
この街はもうずっと遺跡だ。
今日ではとっくに朽ち果て、太古の生活は垣間見ることも出来ない。
だから目を閉じる。耳を澄ます。
そして遥かなる過去へ思いを馳せるんだ……行き交う人々を思い浮かべる……。
石を運ぶ労働者、ノミを鎚で打つ職人、議論を白熱させる設計士、作業者を相手に飲み物や食料を商う店の数々……。
感受性を凝らせば悠久の静寂の中に、その賑わい、息遣い、粉塵と汗の匂いまでが想起される気がする。
かつて人々が、天まで届く階段を造ろうとして、神の怒りがそれを壊した――史実だろうとオレと直感し、イグナも頷く。
この辺りから、神威の気配を感じるのだ。
多分、神罰として降ったという雷の名残。
1000年経っても未だに、微弱ながら帯電しているのだとしたら、当時の威力は想像するだに背筋が凍る。
神の領域に踏み込もうというなら、それだけの覚悟をしなくてはならないということか。
……なーんて信心深い感慨もすぐに台無し。
だってロッドルセン、ふっつーに観光地だもの。
さっきまでつらつら挙げていたのは旧市街の様子だ。
それを取り囲むように新市街があって、今やロッドルセンといえばこっちのこと。
その活気は喧騒と言える勢いで、旧から新へ戻れば途端に、神秘性はどこへやら。
いや、そりゃあ、この街が遺跡を武器にした観光都市だとは聞いていた。
だけど、なんつーか……売り方がどうも……商魂たくましいというか。
新市街を歩けば、右を見ても左を見ても土産物。
これがねぇ……言わせてもらうなら、不謹慎。
雷型のキーホルダーとかペナントとか……。
すっぱい水飴が、ずばり『痺れる神の鉄槌の味』だとか……。
『積み上げられた階ステーキを、君のナイフとフォークで成敗』だとか……。ステーキ好きだなムワブ大陸は。
あとは、おもちゃのハンマー(各神の聖印入)とか、神の怒り饅頭とか、神の逆鱗クッキーとか……。
開き直り過ぎじゃねぇかな。
もう一回落雷があるんじゃないかと本気で心配してしまう。
平然と『階の破片』と銘打たれた石ころも売っている。イグナの生温い表情から察するに偽物っぽいけどね。
カードとダイスに従って、ブロックを積み上げていくってゲームがあって、これをアインが購入。崩したプレイヤーが神の怒りに触れたことになって、罰ゲームを受けるんだそうな。
いやはや。
ロッドルセンの人らは天罰をちっとも恥じてない。旧市街のことを『聖痕』なんて呼んでいる辺りからも、明らかに。
っていうか、ぶっちゃけ、伝説の出来事が本当にあったとも思ってなさそう。
遥か昔にこの街が超弩級の建築に挑み、その最中で何らかの災厄に見舞われたのは確かであるとしても、それは設計ミスによる倒壊、あるいは避雷設備が不十分だった、などと現実的に考えているようだ。
まぁ無理もない。何しろ神様が地上から去って1000年だ。
人の心が神性よりも物質性に寄っていくのは自然なことだろうよ。誰だって確かなもののほうが好ましい。
ロッドルセンの末裔たちが特にそうってのは、皮肉ではあるけどね。この街が神々に愛されていたのも、まず事実だろうに。
で、オレたちの本題に入ると。
見学の甲斐があったかは正直、微妙。
不用意に空に上がろうとしたら酷い目に遭うことは察せたが、それは始めから分かっていたことだ。
天罰を防ぐ妙案を、天罰の落ちた地に探しに来たってのが、そもそもおかしな話だったのかもしれない。
シルヴィも消えたまま現れないし、こっちの方向は本格的に行き止まりかな。
月に行くのには別の手立てを考えるか。




