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起:序 ≪八歳≫

 今にして思えば、オレの世界はほんの小さなものだった。


 いや、あの世界のあのような時代。

 あんな時と場に生きた人間で、本質的に開いた世界を持っていた者など、きっといない。

 人間のソーシャリティが電子ネットワーク上に展開され、肉体の所在地に寄らなくなった時代。

 日々氾濫する情報を、自己の内に蓄えるより他ない時代。

 そんな世界にあって、どうして魂が外へ開くのか。


 ひどい逆説だ。

 オレたちはテクノロジーで社会性を補強したが故に、世界の広さをモニタの中に限定した。


 それに気付いたのは、ずいぶん後のことだ。

 この未開の地と見果てぬ天とがどこまでも続く世界を、自らの足で歩いて、歩いて、歩き続けた後のこと。


 それまではどんな意味でも、オレの世界は小さかったのだ。


 なにせオレには、オンライン・コミューンにならともかく、現実での友達はわずか二人ばかりだったんだから。


 ただ、大事なことなので特に念入りに断っておきたいのだが。

 それはオレに問題があるとかでなく、単に身近に子どもが少なかったってだけ。


 少子高齢化、人口減少がいよいよ深刻となった昨今。

 競争相手が目減りしたため、人間の魂から資本主義が薄れつつある昨今。

 AIとドローンが経済と労働のほとんどを肩代わりした昨今。

 仕事の場はオンラインへと移り、『通勤』が前時代の文化となった昨今。

 それでも都市の一極集中が、何ら緩和されない昨今。

 ホログラムも強化外骨格もありふれて、SFはより荒唐無稽にならざるを得なくなった昨今。


 オレの暮らす群馬の隅っこは、木と山と川と畑ばかりで、二十年前から人の乏しい田舎町で。

 オレのオフライン友達はヨジローとシズくらいのもので。

 あとそれに、家とかスクールとか諸々を少し加えただけが、すっかりオレの世界の全部。


 それでも。それだけで。十分に足りていて。

 何ら不安も不満もないくらいには、当時八歳のオレは、子どもだったんだ。


>>>>>>


 近く――といっても三十分以上歩いた先だが――に校舎があったのだ。


 初等教育が生徒を一か所に集めるという非効率をやめ、オンライン・セッションへ移行して久しい。

 自室でヘッドセットを被って、ネットのスクールにアクセスする。これが今時ってやつだ。

 件の校舎はその過渡期の、末期も末期に建てられたもので、ほぼ未使用なまま老朽化もしていなかった。


 そんな無駄なものを作ったのが誰なのかは知らないが。何でかは聞いている。

 つまり、学校がネットに建つことを嫌がった、頭の古い大人たちがいたのだ。

 有り得ないことだが、一生を部屋の中で過ごす子どもが現れるのを、恐れた大人たちが。


 だから最後の抵抗に、通いたくて仕方なくなる学校を作ろうとして、この様。


 ただ、おかげというか、設備はとにかく充実していた。

 教室も、体育館も。楽器、工具、画材、遊具。

 子ども三人ではとても使いきれないくらい。

 近所の、オンラインスクールで先生をしているおじさんが、半ば道楽で管理してたんだが、子どもが来るなら喜んで面倒を見ると請け負ってもくれた。


 なのでオレと、ヨジローと、シズとは、『通勤』とともに消滅していた『登下校』をし、実体のある学校で授業を受けていた。

 ……まぁ結局、教室についたら皆でヘッドセットを被ってオンラインにアクセスして、先生の開いているスクールセッションに参加するってだけなんだが。


 一日四コマか五コマの授業が済めば放課後だ。

 カリキュラムに体育を盛り込むのだけは無理があって、まさかネット上で走り回るわけにもいかないし、多少の運動が宿題として申し付けられる。

 が、オレたちには全く不要な話。

 そんなことを言われるまでもなく帰り道には散々道草を食うし、山と林と川との環境で遊び回っていれば、勝手に体力も付くってもの。


 ところがその日の下校は、真っ直ぐ帰路に付いていた。

 シズが風邪をひいて休んでいたからだ。


「りくほー、じゃーねー」


「おー。よじろー、またあしたな」


 別にヨジローと二人で遊んだってよかったんだが。

 シズが寝込んでいるときにオレたちだけってのが、子どもながらに何となく不義を感じたんだ。

 どちらからともなく寄り道は止めにして、素直に解散した。


 ヨジローと別れ、オレは一人の帰り道を歩く。


「シズのやつ、あしたはこれるのかなぁ」


 家に着いたらメッセージを送ってみようか。

 きっとヨジローもそうするだろうし。

 そんなことを考えていたと思う。


 舗装もひび割れた田舎の道を、場違いなほど最新鋭のトラックが一台。

 オレを追い越すように通って行った。


「あ、すげぇ、カニマークだ」


 カニマークというのは、車体にレタリングされた企業ロゴのことだ。

 『Eugene & Eddington Industry』の頭と尻尾の文字が大きく、しかも赤であるため、ハサミを上げた蟹に見えるからオレたちはそう呼んでいた。


 で、何の会社かというと、ロボティクスの世界的大手。

 工場ラインのアームから、愛玩用のオートマトンまでを広く手掛ける、現代のコッペリウスだ。


 そんな企業だからトラックもすごい。

 荷台は装甲が複雑に組み合わされて、滑らかな黒曜石の匣を思わせる。

 運転席は鼻先から潰されたように平べったく、それは人が乗り込むことを考慮していないからだ。

 近年になって浸透してきた自走車両である。


「……カニマークが、なんで?」


 こんなところへ何の用事があるというのか。


 この道の先は知っている。

 元は研究所だか発電所だかの、大きな廃墟があって、地元の人間も寄り付かない。

 そんな場所、子どもには格好の遊び場なんだが……以前両親にこっぴどく叱られてからは、まぁ、たまに見に行く程度。


「もしかして!」


 雷に打たれたようだった。一瞬で脳内を駆け巡る閃き。

 さてはあの廃墟、カニマークの秘密研究施設があり、超兵器か巨大ロボか異次元ゲートかを開発している!

 ……だから、オレも子どもだったんだってば。


 ただ、子どもの妄想もあながち馬鹿に出来たもんでもない。


 とにかくこのときのオレは思いつきに興奮しきっていて、

 自分が世界で唯一陰謀に気付いた人間のつもりでいて、

 トラックを追って駆け出していた。


 当たり前だが追いつけるわけはなく。

 オレが息を切らして施設の前へと着く頃、辺りは静まり返っている。

 門は固く閉ざされ、本当にトラックがここを通ったかも分からない。


「むぅ……」


 そびえる五メートルはあろうかという門に壁。

 けれども諦めて帰るなんて選択肢は既になく、オレは施設を大きく回り込んだ。


 手入れもされない藪、藪、藪。

 ……あった。

 

 生い茂った茶色と緑に隠された、壁の崩れた部分。

 身をかがめれば、子どもなら簡単に通り抜けられるほどの穴だ。


 掌と膝小僧を汚しながら、施設への侵入を果たす。

 ここに至って心臓が早鐘のようだ。

 何度も探検したこの廃墟のどこかに、究極合体ロボが格納されているに違いないのだから!


 何棟も灰色の建物が並ぶ敷地内部は、そういえば学校や病院と趣が似ている。

 そのくせ窓が全然見当たらない。

 ドアも少なくて、前にヨジローやシズと一緒に片っ端から引いてみたけど、一つとして開いたことはなかった。


 とりあえず駐車場を探した。

 トラックを見つければ、次に進む先が測れると思ったからだ。

 けれども。


「いない……」


 車なんかどこにもない。

 地面にタイヤの跡、くらいのヒントもなかった。

 もう全部勘違いで、トラックは余所へ行ったんじゃないか、そう思い始める。


 入り組んだ敷地の中を、大きく二周ほどした。


 ひどい落胆を覚えて、もう帰ろうかと考えたときだ。

 無意識に、偶然に、オレはさっきとは違う角を曲がっている。


「……あ」


 地面に穴が開いている。

 コンクリートで固められた、巨大なスロープになっている。

 つまり、地下駐車場への入り口まんまなやつ。

 普段は蓋をしているであろうシャッターが、今は半分しか閉じていない。


「あぁ!」


 そうか地下かと膝を打った。

 納得だ。廃墟じみた地上の施設は全てがダミー。本丸は足の下というわけ。

 そういえば、プールを割って下からせり出してくるのが、巨大ロボットのお約束じゃないか。


 一も二もなくシャッターの隙間から潜り込み、坂を下った。

 大人に知れたら怒られるどころで済まない悪ガキっぷりだが、この時のオレは夢中でちっとも気にしていない。


 坂が終わると、さらに平らな道が五十メートルほど続いて、巨大な扉に行き当たった。

 ノブも取っ手も引き戸もなし。

 床に敷かれたレールから、左右にスライドして開くことが分かる。

 横の壁に取り付けられたコンパネで操作することも、一目で察せられる。


 しかし肝心のコンパネに、カードを通すと思しきスリット。

 オレは途方に暮れる羽目になった。


「…………、」


 とりあえず、コンパネのボタンを片っ端から押してみるクソガキ、オレ。

 そのうちの一体どれが功を奏したのか、扉が開き始め、ビックリとして飛び上がった。

 ……なお後で知ったが、これは内側から開けてもらったんだ。


 オレは完全に、選ばれし者気分だ。

 この先にヒミツ研究所があり、新型ワンオフ機のパイロットにオレはなる!

 ってな具合に。


 本当、子どもの妄想も、あながち馬鹿に出来ない。

 だって本当にヒミツ研究所だ。


 いくつか階段を上り下りして、いくつかの扉を通った。

 オレは威圧的なくらい白くて清潔な廊下を歩いていて、

 時折あるドアノブを掴んでみるけど、回らない。

 時折ある分かれ道は、必ず一つ以外がシャッターで封じられていて、

 オレの行き先は操られている。


 この辺りまで来ると興奮を押しのけて、現実的な心配が鎌首をもたげる。

 誰か人がいたら、怒られるんじゃないか――今さらだ。

 帰り道、分かるだろうか――だから今さらだってば。

 もしかして大変なことをしている? ――今さら。


 とにかく心臓がうるさい。


 そんな中、たどり着いた最奥の扉が、手も触れずに開いたのだから。

 呼吸も止まる。


「ここが……っ」


 何かあるなら、ここしかないってシチュエーション。


 一歩踏み込んで……息が漏れるというか、気が抜けたというか。

 

 機材が居並ぶ空間なのだが。

 それらが物で埋もれている。

 もう、物、物、物。

 あけすけに言えば片付けの出来ていない、汚い部屋だ。

 山積みなのがまた、書類なり工具なりであれば格好もつこうが……。

 読み倒された雑誌だの、作りかけのプラモだの、ガラクタばっかりで何というか、実家感がすごい。


「……、なにここ?」


 誰かが住んでいる。

 というか、くつろいでいる空間であるのは明らかだ。

 従兄の部屋そっくり。


 けれども研究室であることもまた間違いなさそうで、中央に柱状の巨大なカプセルが据えられている。

 極太のケーブルがタコ足のように何本も繋げられたそれは、消灯されているのか内側が暗く、中身は見通せない。

 どうやら液体で満たされているらしいことは、かろうじて分かるが。


 せめて一縷の望みをかけて、カプセルに近づいた。

 組み立て中のパワードスーツでも入っていれば、今日の冒険の報酬としては成立する。


 鼻をくっつけて、目を凝らして。


「――――、」


 突然カプセルが点灯した。

 オレは中の人と、ぱっちり目と目が合う。

 中の人と。

 なかの、ひと、と。


「ばぁ!」


 中の人は、彼女は、愛らしい声で、そんなことを言った。


 当のオレの驚きっぷりは、共感を強いるのが酷なくらいだ。

 人生を三度やり直したって、これに比肩する衝撃はありえないだろう。


 完全に、立ったまま、意識が飛んでたよ……。


「あ。び、ビックリさせすぎちゃったかな? ねぇ、大丈夫?」


 また喋った……。


 カプセルの中に、女の人がいた。

 それも、首だけの、女の人。

 いや、女の人の首だけ、が正しい?


 正確には鎖骨から上だけ。

 その下は、切り落とされたみたいに身体なんて何もなくて。

 その代わりにパイプやケーブルがびっちりと生えていて。


 彼女はそれで全部だった。

 彼女はそれで足りていた。

 彼女はそれで、生きていた。


 うそ、うそ、うそ――


 ゾクゾクとした高まりとなって、オレの背骨を感情がせり上がっていく。

 胸まで辿り着いたそれは、猛然と喉の奥をノックした。


「う、」


「う?」


 ことりと首を傾げる、首だけの彼女。

 もう限界。


「うぁあああああああああああああああああああああああ!!」


 あらんかぎり悲鳴を上げて、一目散だったとも。


 帰り道のことなんか、ろくに覚えちゃいない。

 何回転んだかも覚えていない。

 本当、よく家まで着けたもんだよ。


 とにかくこれがオレの人生で一番、

 神様を入れたとしてもなお一番、

 強烈な出会いだった。


 ナユねぇとの、出会いだった。


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