序:転 ≪湯殿≫
もし旅の途中ではぐれることがあれば、その間の出来事は後で報告してくれ。
――リクホ様よりそう仰せつかっていますので、現状をつぶさに記録することと致します。
ワタシ、イグナは現在、お風呂に浸かっております。
はい、お風呂です。
浴槽、洗い場ともに広く豪華で清潔で、旅館か何かかと思います。
張られた湯からは花の香り、これは浮かべられた睡蓮によるのでしょう。
石造りの大浴場は保温を工夫してるのか、天井の高さの割に寒さは感じません。
真新しい湯を掲げた壺から吐き出し、供給し続けるのは共鳴神ナルナジェフの像。
水質は大変良好。
温泉であり、分類するならば含アルミニウム泉。
効能は疲労回復、健康増進、皮膚病治療も望めます。
とても囚人用の風呂とは思えませんでした。
法令違反で逮捕されたはずなのに、何故こんなところにいるのかと申しますと。
ワタシにも判りません。
リクホ様と引き離され、入れられた牢で粛々としていたところ、法務官なる男がやってきて、ここへ連れてきたのです。
同じような経緯の女性が、ワタシの他に六人。
念のため付け加えておくと、居合わせるのは女七人で全員です。見張りは外。
「なんだい、この貴族待遇は」
最後に身体を洗い終えて湯船に戻ってきた一人が言います。
ワタシたちは広い湯の中、めいめいにならず、一か所に寄り集まっていました。
「かえって不気味じゃないか」
然り然りと頷く皆。
別な一人が続きました。
「それに、なんでこの七人だけなんでしょう?
連れてこられる途中、他の牢を見かけましたけど、その人は収監されたままでしたよ」
ワタシたちの共通点。
まずはこの街の住人ではなく、異邦人であること。
それから。
このくくりにワタシ自身を入れることが適当であるかは判断に迷うところですが、少なくとも他の六人は皆、抜きんでた美人です。
「入浴が順番なのかな?」
「こんな、三十人でも入れそうなのに?」
「じゃあ私たち、特別に選ばれたってこと?」
「まさか……覗かれてるんじゃ」
一人がそう呟き、にわかに全員が色めき立ちます。
なのでワタシは、そっと口を差し挟みました。
「その様子はありませんよ。視線は感知されません」
「なんで分かるの?」
ワタシに搭載されたセンサーが、と言ってもこじれるだけでしょう。
「心得があるのです」
取って付けた言い訳ですが、皆さんは安堵してくれたようです。
また、ワタシの欠点である表情の乏しさが、この状況では心強く思われるのか、「貴女は動じないのね」と言ってくれます。
「ねぇ、貴女は……、」
「イグナと申します」
「あたしはキリ。イグナは何をして捕まったの?」
「ヴェルメノワの道には全て、真ん中に大理石の筋が埋め込まれておりましたでしょう。
あれを踏んだのです」
リクホ様と共に街に着き、あちこちを軽く見て回った後、宿泊先を探そうとした矢先でした。
まさか牢屋に泊まることになるとは。
「大理石……それだけで?」
「それだけで。ヴェルメノワにとっては、神聖なものだったようですが」
「……やっぱりこの街、絶対、変っ!」
鬱憤が口々に吹き出して、文字通りに姦しい罪状告白大会となりました。
私は領収書を断っただけ。
私は露店の商品を手に取ってみただけ。
私が野花を持ち込んだだけ。
私はおへその見える服を着ていただけ……。
確かにどれもこれも、他の街であれば何てことのない行為に思われます。
「貴女は?」
「店で昼食にした後、店員に煙草を吸ってもいいか訊いたんだ。
……この街では女性の喫煙は四十を過ぎてからなんだと。それより若い喫煙者は違法だそうだよ」
「ほら誰一人たいした事してないじゃない! なのにいきなり牢に入れるなんて!」
一人が思いついたようでした。
「あぁ、だからこんなに良いお風呂なのかな。罪が軽いから」
「……、でも、だからって宿より豪勢ってことある?」
「たしかに。それじゃ観光客が全部、軽犯罪に走るようになっちゃう」
結局その後みんなして、のぼせるまで考えましたが答えは出ません。
ワタシはといえば、リクホ様がどうしているだけが、ひどく気がかりでした。
同じようにお風呂に入れてもらえていれば、いいのですが。