裏 ≪土産≫
アジトの玄関扉を、草履の足が行儀悪く押し開ける。
「――帰ったぞ。おーい。誰かいないかぁ?」
すぐに奥からパタパタと駆けてくる魔女……どうやら入浴中だったらしく、ろくに泡も落としていない身体にバスタオルを巻き、スリッパを突っ掛けただけのあられもない格好だ。
風呂でも外さない目隠しの下で、帰還した仲間の有様に瞠目する。
「わっ。サネツグ、どしたのその二人ぃ?」
「さぁ。俺が追いついたときには、なんか、全部終わってた」
サネツグと呼ばれた着流し姿の彼は、その両脇に、袖で包むように一人ずつを抱えていた。
左にフェズ。右にオルト。
どちらもぐったりと項垂れ、力なく呻くばかり。
「やだっ怪我してるっ?」
「んにゃ、軽傷だろ。どっちかってーとガス欠だ」
そこへパタパタ、奥から、足音がもう一つ。
これまた湯浴みの最中だったらしい那由多が、しっとりと濡れた髪のまま、だがこちらは一応バスローブを羽織っている。
「ツグさんお帰り。――ちょ、フェズとオルトっ? 大丈夫なの?」
「あー、大丈夫大丈夫。
……うむ」
「なぁに?」
「いや。眼福、眼福」
那由多の胸元は隙だらけで、いま鎖骨から一筋の水滴が谷間へと流れて艶めかしい。
だが彼女はそれを押さえるどころか、怪訝そうに前屈みになってサネツグを覗き込み、手を振った。
「え、これって見えてた?」
少女の疑問はもっともで、彼の双眸には横一文字、古い刀傷が走る。
左目には縦の一閃も重なってなお痛ましい。
たしかに杖も使わず平気で歩き回るサネツグ。けれどそれは、てっきり気配やら何やらを読んでいるからだと思っていた。
「あぁ見えんよ? 見えんけど、もうちょっとサービスしてくれれば目ん玉が祝福されて超回復する気がする」
「ダメ。治しちゃったらツグさん、カッコいい盲目の剣士からただのスケベになっちゃうじゃん。お預けです」
「おや残念」
「もぅサネツグったら、原初神様に不敬よぉ? 祝福ならあたしがあげるわ、ほれほれぇ」
「おう止めろ潰れた目が余計に腐る」
三人でひとしきり親しくふざけあった後。
サネツグは抱えたままの青年と少女を軽く振って、「で、こいつら、どこ置けばいい?」と荷物のように言う。
とりあえずリビングへ運んだ。
フェズはソファに横たえ、オルトのほうは本人が座ったほうが楽と言うから絨毯に降ろす。
牛乳とチョコレートをやると、二人は苦労して口にして、ようやく人心地のようだった。
「うぅぅ……しんど……」
唸るフェズを、膝枕した魔女が撫でた。
「でも顔色は良くなってきたわぁ。貧血だったのかもねぇ。
一体なにがあったのぉ?」
「魔女様……あたし、いま、臭いでしょ……」
「気になんないわよぉ」
「……あのね、魔女様、」
かくかくしかじか、サアンタナスでの出来事を話す。
要所でオルトが口を挟んで、少女の説明の足りない部分を補いながら、一連を説明すれば。
魔女は、その蠱惑的な指先で、自らのこめかみを叩いた。
「悪神を名乗った魔人、ねぇ……」
しかも勇者の宿敵とは聞き捨てならない。
おそらくそれは、原初神が生み出した存在、作者の用意した『登場人物』だったのだろう。
そういう者は実はこの世に何人もいるが、特に印があるわけでもなく判別は難しく、その点で件の勇者と魔人はそれと分かりやすい。
回収できれば役に立ったろうが、そうか魔人はジュンナイリクホに消されたか……消耗しているらしい勇者のほうを今からでも狙うか……。
悪だくみに耽る彼女に、オルトが一番肝心なことを告げる。
「魔女様、実は」
「うん?」
「持ち帰ったものが」
彼の影が、立膝の姿勢で起き上がった。
その影法師は頭を垂れて、両手で恭しく供物を掲げている。
腕だった。
それは、魔人の腕。
背に生えた、翼になりそこなった四対のうちの一本。
戦いの中で勇者が斬り落としたのを、こっそり拾ってきたものだ。
「オルトぉ、あんたさぁ……」
「はっ、はい」
「――100点に花丸もあげちゃうっ!」
「どわっ」
オルトに飛びついた魔女は彼の頬にキスの雨をくれ、青年は耳まで真っ赤だ。
それを余所に、魔人の腕を那由多とサネツグがしげしげ眺めた。
赤黒く、棘に覆われ、爪が鋭く、並々ならぬ呪いの気配。
だが特筆すべきは切断面で、細かな樹の根で埋め尽くされている。
否。目に頼らないサネツグは、その正体を看破していた。
「……これ、根っこじゃないな。蛆か?」
「うぅん、芋虫……」
と気だるそうに答えるフェズ。
芋虫。
そう聞けば、女子なら悲鳴でも上げて身を引きそうなものだが、那由多は逆。
余計に興味深そうに眼を近づけ、あまつさえ人差し指で突くではないか。
「すご、ホントに芋虫? 擬態してるってこと? 触っても全然わかんない」
「いやよく触れるな……」
「ナユタ様、ムシ平気なの……?」
「モノによるけど、これはなんていうか、めっちゃアリかな」
横で聞いていた魔女は、やはり、と思った。
魔人は原初神好み。那由多のツボをつくのだ。
何故なら彼女が――後の彼女がだが――好きで作ったものだから。
あの腕はまさしく神の産物。神器にも匹敵する価値を持つ。
芋虫も育てて増やせばきっといい素材になるに違いない。
大収穫だ。
「オルトぉ、もう一個おまけのチューはいかが?」
「いや、もうっ、もう十分です!」
「えぇー。遠慮しなくていいわよぉ」
「いえ本当にもう!」
くしゃみ。
「だぁー……」
那由多が自分を抱いて震えた。
「やっぱ寒いや……ごめん、お風呂戻っていい?」
「そうですねぇ、途中でしたものねぇ。
フェズは、もう起きれる? 傷の手当ての前に洗いましょ。
サネツグも、」
「おぉ、謹んでご一緒しよう」
「ばぁか。あんたはオルトを連れて男湯に決まってんでしょうがぁ」
>>>>>>
アジトの地下の地下、底の底。
幾つもの扉を抜けた先に、その祭壇はある。
蝋燭の乏しい明かり。
魔女は湯上りの火照りを闇で冷ます。
口元には笑みを張り付けて。
裸足でしとしとと進む、石の床。
その先には一本の樹がそびえていた。
扉の樹、とはいささか違う。
それは黒曜石で作られたものだ。
根は全て脚。
枝は全て腕。
葉は残らず掌。
幹に禿頭の女が埋まっている。
神器を基にした、冒涜の魔具。
魔女は、携えたものを、黒曜石の女へ差し出した。
思いがけずもたらされた魔人の腕を。
女がぎこちなく首を伸ばし、小さく口を開けて――途端に猛然と齧り付き始める。
魔性の肉を貪る、その一口ごとに、枝では腫瘍が育っていき……。
やがてあれは、実となるのだ。
だが、足りない。
まだまだ足りない、もっと食わせる必要がある。
これまでもいくらか食わせてきたが、まだまだまだ。
神にまつわるものを、もっと、もっと。
「もっと、もっともっとぉ、んっ」
あっという間に魔人の腕は平らげられそうで、魔女はその前に、自分も一口齧った。
棘が口内を傷つけ、広がる血の味は、自分のものか魔人のものか。
あまりにも甘露。
「もっと、んっ、もっとぉ……もっとぉおっ!」
身体の火照りが一向に冷めない。
どころかますます燃え上がっていく。
勢い余って魔女は、黒曜石の女に口付けし……舌を丹念に舐らせ、こちらもまた、相手のを浅ましくしゃぶった。




