急:破 ≪深手≫
「……っ、は、く……っ!」
がっくりと、オルトの膝が折れた。
うずくまった彼は、握り合わせた手だけは絶対に離すまいと、こめかみに青筋を浮かべている。
鼻から滴る血。目尻からも。
影の柵の中、閉じ込めた連中が加減なく跋扈し、天を揺すって地を震わせる。
誰もが外であったら、単騎で街を更地にしかねない。
そんな威力が流れ弾となってたびたび柵にも当たり、オルトを息も絶え絶えに消耗させた。
その背中へキアシアが悲痛に呼びかける。
「オルト、大丈夫!?」
「なん、てこと、ないさ……平気だよ」
彼は自らの肩口に鼻を擦りつけ、血を拭った。
「あぁ大丈夫。僕が必ず阻むから」
「でもっ」
「僕よりもアインの心配を」
促され、キアシアは傍らで仰向けになっているアインに目を戻す。
その身体には、腹がない。ぽっかりと大きく風穴があるばかりで血も腸も零していた。
魔人の魔力弾を三発も、もろに食らったのだ。……戦いにしかない興味を持たない羅刹が、どういう意図か、テオの従者たちを庇った結果だった。
いま守られた当の女たちがアインを囲み、それぞれ地面に手を突いて、魔法での治療を試みている。
各人が術師・導師・律師の式で陣を張り、互いに魔力の回路を連結することで相乗効果を生み出す、高等術である。
三人とも額に汗と、円になった鎖模様を浮かべていた――テオに聖剣を与えた神の聖印。
アインの傷の上には、球形の結晶が浮遊する。キアシアの銃に込められていた魔眼だ。
それが徐々に解れ、彼の失われた肉がじわじわと埋まるが。
怪我はあまりにも大きい。
いざとなれば追加で瞳を抉る必要があるかもしれないが、それも出来て二個まで。
「……おい、まだ、かかる、のか?」
こんな状態にあって、アインは意識を保ったままだ。
魔剣も握ったまま。
鍵を用いて巨人の治癒力は解放済み、だが顔面は蒼白、死相がくっきりと色濃い。
そのくせ、我が身よりも戦況をちらちら気にしているのだから。
血の泡でガボガボとしながら、まだしも言い募った。
「とりあえず、動けるくらいに、胴、繋げてくれりゃ、い、」
「喋らないで!」
ぴしゃりとリーナが言う。
「ほんとに死んじゃうよ! ……ダメ、死なせない! 死んじゃダメなんだからね恩人さん!」
「そうさね、必ずお礼させてよ……!」
「私たちに出来ることなら、なんだって致しますから!」
アリシア、ミシェイルも続いて吠え、アインはうんざりと目を閉じた。
「――――――――ッ!」
宙に立った魔人が、黒い感情を漲らせた。
またしてもゾディオンの掌に凝縮されつつある、昏き魂魄のエネルギー球。
それは十分な獰猛さを蓄えると、射出され、流星のように飛来する。
白炎の身体を一層燃え上がらせたテオは、空を縦横無尽に駆け巡り、この魔力弾を片っ端から斬って捨てた。
爆発が連鎖し、まるで漆黒の花火だ。
勢いそのまま勇者は宿敵へと斬り込む。
「うァああぁぁっ!」
「――――――ッ!」
魔人の、肩から生えた両腕、その手には撃ち出されないままの黒球が残り、これを握り潰すと鋭い刃の形状となった。
聖剣と、邪なる双剣が、交差する。
「ぐ、」
「――ッ」
片や、闇を祓う神聖の剣。
片や、神の威光も侵す魔。
双方が双方にとって最大の毒であり、ゾディオン、テオのどちらも身体に、相手の刀身と同色の傷を刻んで、体勢を崩しかける。
踏みとどまった、勇者も、魔人も。
「お、おぉおぁっ!」
「――――――ッ!」
他方で、女王蛾が夜空でもんどり打ち、どこまでも高い影の柵に身体を何度もぶつけた。
「お、と、な、し、くぅ……」
その背にしがみ付いている、フェズ。
そして彼女とともに、閃光のマントが模った巨大な母の姿。
「しろ、っつぅのぉ!」
母は左右の手に、やはり光で作られた鍔のない剣を携え、これを女王蛾に突き立てる。
巨虫が苦しみもがき、鱗粉を振り撒いて、ことさら柵に激突をくり返した。
それを目指して地上から、白銀機巧の天使が、紅蓮の尾を引いて。
「おぉ――らァ!」
最大火力で翔ぶ。
イグナが鎧の背部・腰部・脚部に増設したブースターを、陸歩は総動員し、そこから生み出される速度はすさまじい。
攻撃に転じればまさしく無双だ。
女王蛾とのすれ違いざま。
右の翅に、鈴剣を突き立て――容赦なく斬り落とした。
ついに墜ち、のたうち回って悲鳴を上げる魔物。
蛍光緑の体液に塗れたフェズが、転がって離れる。
母は落下の衝撃から娘を助けたためか、バラバラの燐光となって、ほどなく霧散した。
「かっ……はっ……」
「無事かフェズ!」
横に降り立った陸歩は、少女に安否を問う。
目を眇めて微笑もうとしたフェズは、しかし顔をしかめ、またむせた。
「おぇ……げっほ!」
「フェズ!」
「おえぇ、蛾の汁、蛾の汁……ぅ! 臭っ、すっぱ、気持ち悪っ!」
「あぁ……無事みてぇ、」
言い終わるより先に、陸歩はフェズの襟を掴んで後方へ跳んだ。
テオの蹴りを脇腹に食らった魔人が吹き飛ばされてきて、地べたを何度もバウンドし、女王蛾にぶつかってようやく止まる。
「終わりだ……っ! ゾディオン!」
剣を構え、肩で息をした勇者。
その語気が……憐憫に凪いだ。
「もう終わりにしよう……終わっていいんだ、貴方は」
「――――――――ッッ!」
激闘の末、両腕以外の手は一本が残るのみの魔人は、それでも決着を拒否して啼く。
受け入れられない。受け入れられるはずがないとも。
なにせ彼は、全てを犠牲にここまで来て、ここまで身をやつしたのだから。
今さらどうして止まれようか。
そのことをテオも悟り、静かに聖剣を振り上げた。
だが。
「っ、テオ! 奴は何かっ、」
「あ、」
陸歩、テオ、どちらも気付いたがもう遅い。
背中の手で女王蛾の胸を貫いたゾディオンは――心臓を抉り出す。
そして果実にも似たそれを、頬張った。
「――――ッ!」
突如、魔人の身体が膨らみ、瘴気を撒き散らし……。
天の月が、目を塞ぐように、暗雲に閉ざされて闇はより深く濃く。
勇者や神託者の煌めきすら、わずかに呑まれ、辺りは暗く寒々しい。
夜はまだ明けない。
まだ。




