急:序 ≪共闘≫
始めは愛する者を守り、癒し、慈しむため。
だが男は力を求め魔導を極めるあまり、深淵の更に先へと踏み込み、とうとう戻り損ねて魔人に堕した。
魔人はゾディオンを自称する。
元は枯渇を司る悪神の名であり、それを掲げることで、全てを失った絶望の心中を示しているつもりか。
肌は足元から顔まで、赤黒く硬質な棘に覆われ、何者の接触も拒んでいた。
眼差しは三白眼が濁って曇り、鉛のよう。
角、牙、尾、爪……獣の特徴の全部を鋭く備えて、まるで恐怖の化身だ。
背には翼に成り損ねた腕が八本あり、この一対につき一人……彼には抱き締めるべき大切な人がいたはずなのに。
聡明だった彼がどのように思想を歪ませ、『あらゆる存在にとっての害になる』という目的を持つに至ったか、常人には到底慮ることは出来ない。
そのために『自らが全ての者の敵である』と喧伝すべく、勇者をつけ狙うのは、思考の筋道として真っ当か。
「――ゾディオン!」
「…………」
冴え冴えとした月光に照らされた扉の樹が、闇夜になお暗い影を落とす。
その只中に立つ魔人は、背中の腕の一つで勇者の仲間を捕らえていた。
樹上に留まった女王蛾が、複眼にて辺りを睥睨し、その視線は魔性。
辺りには、蛾に取り憑かれ鱗粉で意識を乗っ取られた街の人々が、夢遊病の足取りで続々と集いつつある。
「リーナを離せ! 街の人を解放しろ!」
相対した勇者テオニシウスが勇ましく叫んだ。
剣に手をかけつつ、この状況、未だ抜刀は出来ず、従者二人もまた彼の前後で身構えているしかない。
傍らの陸歩も同様。
とっくに刃をぎらつかせているアイン、前傾姿勢を取っているフェズに、どうか勝手はするなと目と表情で必死に訴える。
大変に不本意だが、いざというときのキアシアの安全は、オルトに任せた。
か弱い女子を守るふりをして、イグナを背後に付かせるが。魔人のあの瞳。思惑は何もかも見透かされているのではと不安になる。
サアンタナスの住人は、重たい歩調で集合し、さらにノロノロじりじりと迫り続けていた。
最後はテオに殺到し、押し潰そうというのだ。
これに対して勇者は、まさか罪なき民を傷つけることなど出来ない……。
「―――――――、――――――――。」
ゾディオンがしぅしぅと嗤う。
すでに魔人は言葉も人間性とともに無くしていて、しかしその意思だけが、周囲の人間の頭に直接響いた。
――さぁ勇者よ、絶望に沈むがいい。
女王蛾が甲高く鳴き、月夜が凄絶に揺れて、無数の魔の翅たちが歓喜に鱗粉を、
炎が逆巻いた。
突如として太陽さながらの光量が、視界を塗り潰す。
「――――!?」
「――Order! Code:Ignition!」
その中心で。
勇者の危機に、神託者が紅蓮を噴き上げ白銀の装甲を纏い、極彩色の翼を翻した。
すかさず鈴剣を抜く。その刃は持ち主の心に呼応し、翼を模す。
紫電が迸った。
住民たちの頭や首にへばりついていた蛾が、断末魔の間もなく灰燼に帰し、鱗粉までも浄化されていく。
糸が切れたように倒れる人々。
同胞たちが滅ぼされ、女王蛾は慟哭を上げた。
魔人が眩んだ目を庇い、口からどす黒い感情を吐き出しかけるが。
この隙を、テオは逃さない。
「――神器、解放」
聖剣を解き放つ。
たちまち勇者は自ら光り輝き……その全身は、肉を超越して白炎で形作られた。
背中にたなびく二又はマントに似て、いや紛れもなく翼。
頭上にはしゃなりと鎖が一筋現われ、それが自らの尾を噛むことで、光輪に。
イグナが計測の結果を兜の内側に表示する。
陸歩は驚愕に目を見開いた。
「偽神体っ!?」
人の為、神を代行する身となったテオは。
馳せる。
「――――っ!!」
まさに神速、すでにテオは魔人の背後にあった。
苦痛に喘ぐゾディオン。斬り落とされた腕が足元に転がり、捕らえていた少女は勇者の手の中だ。
「無事か、リーナ」
「はい……テオ様」
感極まって主の首筋に抱き着くリーナ。
他二人、アリシアとミシェイルがものすごい表情でこっそり舌打ちしていて、それに気づいた陸歩には乾いた笑みが浮かぶ。
「――――!」
憤怒した魔人が、残された九の掌に禍禍しい魔力を球形に凝縮した。
だが次は、戦闘狂たちの出番だ。
「はぁっはーッ!」
「おっ、りゃあぁ!」
躍りかかるアイン、フェズ。
羅刹の振り下ろす魔剣は力任せで、斬るというより叩き潰そうとしている。
フェズの鉄腕は言わずもがな。
両者とも真の力を鍵で解放する前だと言うのに。
大地が、震えた。
立ち込める土煙。
アインたちが飛び退って出てくる。
「ちっ。なんか、妙に硬ぇな」
「勇者様は斬ってたじゃん! なんで!?」
突風が吹きつけた。
ついに女王蛾が羽ばたき、上空を旋回したのだ。
散らされた土煙からゾディオンの姿が露わになり、テオに奪われた腕がちょうど新たに生えるところだった。
「――――――――」
もはや相当する言語がないほど、濃密な怨嗟が紡がれる。
だが、誰も怖じない。誰も退かない。
そのことが魔人に苛立ちと……当人は絶対に認めないが……わずかな畏怖を、確かにもたらした。
陸歩は鈴剣を正眼に構えつつ、立ち位置を気にする。
万が一にも街の人々は巻き込めない。全員で魔人を常に囲んでいられればいいが。
その思考を読んだのだろうか。
「僕がやろう」
オルトが爪先で、自身の足元を軽快に叩いた。
すると闇が湧き、周囲で昏倒した住民たちからも影法師が立ち上がって、それらは互いに手を繋ぎ合って円環を成す。
上にも重なっていくではないか。
陸歩たち、勇者一向、フェズとオルト自身。そして魔人と女王蛾。
それらだけの領域が瞬く間に作られ、非戦闘員が隔てられたことで、いよいよ誰もが本気を振おうと気配を増大させた。
祈るように両手を組み合わせたオルトが、力強い笑みで朗々と告げる。
「さぁみんな、総力戦だ!」
いやお前が仕切るのかよ……と陸歩は、思いはするものの、野暮は言わないでおくことにした。




