裏 ≪恋慕≫
月面にあるその林は全てが扉の樹。
うち一柱が今、葉の茂る枝に、ぽつぽつと蕾を付け始めた。
瞬く間に薄桃の可愛らしい花が満開、辺りに柔らかな香しさを振り撒く、甘く淡くまさに気持ち華やぐ匂い――
幹の扉が開いた。
那由多が買い物袋を抱えて戻ってきた。
帰還し、彼女はほぅっとため息。
荷物に手を取られており、お転婆にも背にした扉を右足の踵で閉じる。
「…………」
物思いに耽る様子で、林を出た。
だがそのまま城へは向かわず、適当な空き地を目指し……と言ってもどこもかしこも白砂の平野だが……ぼんやりと歩く。
「…………」
ほとんど無意識のまま、やがて立ち止まった場所は、やはり特に代わり映えもしない白い光景。
だが見回して、具合を確かめる素振りをして、荷物を降ろしたからには何か、彼女なりの納得があったのだろう。
買い物袋の表面がしっとり、那由多の腕や胸元も湿っているのは、品物と一緒に保冷材が入っているため。
上着を脱ぐ。その下の長袖も。
作業しやすいようにノースリーブ一枚になった少女は、若干の肌寒さを感じつつ、しゃがみ込んで砂を掻き分け始めた。
穴を掘ろうとしている。
砂はさらさらと粒が小さく、女子の細腕でも何の苦労もない。
程なくそれなりの窪みが出来、那由多はまぁこんなものかと自分に頷く。
おざなりに砂を払い落した手を、買い物袋へ伸ばした。
ひんやりとした中身は、いくつかの瓶。サプリメント数種類だ。
それは一旦脇にやって。
包装紙に覆われた両手サイズの、ずっしりした球体を五つほど、取り出す。
包みを破けば、それらは、心臓である。
ヒトの、ではない。さすがに。
馬の心臓だ。それから牛の。
大羊の。これはちょっと貴重品、イルカ。こっちは大蝦蟇。
掘った穴へ五個を据える。
埋めるには少しばかり心臓は大きく、さらに砂を掻いた。
そうして地面で身を寄せ合う塊は、赤黒い肉ではあるが、卵のように見えなくもないか。
ひとまずはこれでよし。
「えっと……」
サプリメントを矯めつ眇めつ。
ラベルを見比べ、テステクニコで店員に教えてもらったことを思い出す。
――肉食の爬虫類の滋養には、種類にもよるが、総じて家畜の心臓がいい。
――個体によって好みがあるので何の心臓が最善とは断言できないが、馬とか牛とか。
――ただし大変に精が付くので、与え過ぎには注意。一度あげたら次の二回は通常の餌にすること。
――健康維持にサプリもおすすめ。
――食欲増進剤、栄養調整剤。肉に埋め込んで一緒に食べさせる。量はペットの体長に合わせて、ラベルに表が載ってるので。
「カプセルのが一回五つで……タブレットのが、白が七錠、ピンクが七錠、茶色が五錠……」
その量を五つ分も用意すれば、瓶はほぼ空だ。
もっとたくさん買ってくればよかったかな、と那由多は思うが、それでは自分一人で持ち切れなかったか。
薬剤の仕込みが済んだら、心臓たちに砂をかけて、完全に地中に隠した。
立ち上がって背筋を反ると腰がわずかに軋む。
「あいたたた……あ」
いま人影が一つ、慌てた様子で城門を出たのが分かった。
一目散に駆けてくる。
「魔女さん」
「ナユタ、さまぁ……っ」
辿り着いた魔女は自らの膝に手を突き、ぜいぜい。
城からここまで全力疾走だったらしい。
「お戻りに、なられていたの、ですね……。
お出迎えにも、上がれず、申し訳ありません」
「うぅん。別に」
「……言っていただければ、荷物持ちに同道しましたのに」
「これくらい一人で平気だって」
那由多の受け答えは平然として、何のこともない。
けれども魔女は目隠しの下で、わずかに双眸を細めた。
いつになく素っ気ない原初神……何よりこちらを見ず、地面にばかり視線を注いでいる。
慎重に、魔女は訊ねた。
「……手で、掘られたのですかぁ?」
「え?」
「いえ、爪に砂が」
神の力をもってすれば、念じるだけで砂のほうが避けただろうに。
「あぁ。うん。
なんか、そんな気分でね」
「…………。
申し付けていただければ、そんな雑事はあたしが、」
「だから平気だってば」
上げ膳据え膳だなぁ、と那由多は苦笑する。
その目がやおら、真剣に光った。
彼女の見つめる先、穴を埋めた辺りからポコリと――双葉が顔を出す。
数は、五。
見る間に苗になって若木になって、互いに密接に絡み合うと、ほんの数秒で一本の大樹に育った。
葉を広げ、花が咲き、実を付けるところまで一息に。
その果実は赤く、デコボコと歪んだ丸で、ゆっくりと鼓動する……つまりは生きた心臓。
それが枝という枝に鈴生りで、いかにもグロテスク、しかし那由多も魔女も出来栄えをしげしげと眺めている。
「さすが、なんて素晴らしい」
「ちょっと実が小さいかな?」
「十分かと思います」
「じゃあいっか」
こうだっけ、と那由多は右手の親指と人差し指で作った輪を見せる。
魔女も同じにして頷きながら、それを自分の唇に当ててみせた。
那由多も従って、息を吸って、ピュイ。
指笛が甲高い。
「――――」
その音を、彼らは城の天辺から聞きつけた。
雄々しく羽ばたき主の下へ、矢のように馳せるは――翼龍。
青、緑、黄、白、黒。
五頭が先を争って那由多の目の前へと着地し、撫でて撫でてと首を伸ばして、押し合い圧し合いの大騒ぎだ。
かつて掌ほどの大きさだった彼らは、今や人の身の丈を凌ぎつつある。
愛しい龍たちに那由多は微笑み、順番にコミュニケーションを取って、生やしたばかりの樹を示した。
「はい、召し上がれ」
促されても、翼龍たちはすぐにはがっつかない。
入念に実の匂いを嗅ぎ、ようやく恐る恐る一口。
どうやらそれぞれ気に入った心臓を見つけたようで、以降はしきりに齧り付いていた。
ここのところの食欲不振が嘘のようだ。
安堵の息が那由多から零れ、心中を察した魔女が優しく言う。
「お買い物の甲斐がありましたね」
「うん。
出先でリクホさんと会ったよ」
「え」
思わず少女の顔を覗き込みかけて、魔女はそんな無礼を自制した。
しかし内心では些か頭が痛い。
やはり外出には自分か高弟の誰かが同伴するべきだった。せめて遠くからでも見守っておくべきだったかもしれない。
原初神が上の空に思われたのは、なるほど、それが原因か。
ジュンナイリクホ。さて、彼は何を吹き込んだ……。
「また言ってた、魔女さんが悪い奴だって」
「まぁ、なんてこと」
「魔女さんと縁を切って、オレと来いってさ。
あれって口説かれてたのかなぁもしかして?」
「あらぁ。……まんざらでも、ないのですかぁ?」
「えぇ?」
くすくす笑う那由多。
魔女も歯を見せた。
面に出すのはあくまで、忠臣の慇懃。
「ナユタ様。原初神様。
貴女がそうなさりたいのなら、アタシには止める権利も道理もありません。
何せこの世の全ては貴女の思うままなのですから。
ただ、アタシがナユタ様をお慕いしていることだけは、僭越ながら、覚えておいていただければ、」
「あぁ、心配しなくても大丈夫。
私も魔女さんが好きだし、何でも教えてくれるし。ここだって気に入ってるし。
これからもお世話になるね、魔女さん」
「っ」
感極まった風を意識して、魔女は跪いて深々と頭を垂れる。
差し当たっては原初神を手元に置き続けられるようで、それならそれが一番だと、思惑は隠した瞳の中のみに留めて。
那由多はそれを見ているようで見ておらず、頬に手を添え、うっとりと、
「それに何より、リクホさんは、敵にしてたほうが絶対映えるもん。そう思わない?」
「は……」
「彼みたいのがいいよねぇ。
何回もぶつかってさ、こっちが邪魔してあっちに邪魔されてさ。
そういうのすら楽しむなら、相手は素敵な人じゃないと」
そして最後は必ず手に入れる――那由多は小さく、だが確かにそう呟き、魔女も思わず顔を上げた。
「っ」
そこにあった、妄想を練る神の表情は……あらゆる魔性に通じてきたと自負する魔女をして、わずかに息を呑むほど。
「ナユタ様……」
「なにしろ王道だもんね。敵対した男女が、戦いの中でいつしか心を通わせて、なんて。
勇者と魔王のラブコメとかもうベッタベタだけどさ、やっぱいいよ。
――ねぇ魔女さんって、私の世界に上がってくるつもりなんだよね? ならリクホさんのことも、私、持って帰ったりって出来るんだよね?」
魔女は「それは妙案でございます」と太鼓持ちのようなことを言うが。
心胆は薄ら寒い。
恋に恋する年頃の、夢見がちな乙女とは、ここまで強欲であるものか。
敵味方の関係すら、ロマンスのスパイスにしようとしている。
しかも感性は幼く安っぽく、相手の事情は一向に顧みず、どこまでも自己。
だがそれでいい。それがいい。
いっそ世界すら食いたがるがいい。
その浅ましさから呪いが編まれれば。果たして、一体どれほどの毒。
あぁ、やはり、那由多。
惚れ惚れする。
彼女こそ、神に相応しい。
彼女を真の意味で得て、必ずや更なる高みへと――魔女は己が本能の疼きを、危うく抑え切れない。




