破 ≪診察≫
「――じゃあシルヴィちゃん。次はお口あーんって出来るかな?」
にあ。
「やーん。すごい、この子本当にお利口。
こんなに賢いネコちゃんは私も初めてかも」
「ははは……どうも」
そりゃあ、動物飼育の街で三代続く獣医でも、さすがに神獣を診るのは初めてだろうとも。
浅く椅子に掛けた陸歩は、内心でこっそりと思う。
「うん、歯も歯茎もキレイ。
肥満の様子もないし、食生活に目立った問題はないかな」
テステクニコ、グリンドベル動物病院の診察室。
女性獣医のトリシュ・グリンドベルはまだ若年ながら、すでに院長を継いでいて、その腕は街でも評判らしい。
診察台に行儀よく座ったシルヴィを検める彼女は確かに、熟練の手際で、きっと幼少の頃からあらゆる動物と心を通わせてきたのだろう。
とりもなおさず、まずはシルヴィの健康診断と決めて、陸歩たちはテステクニコに来た。
猫に詳しく、信用でき、かつあまり混んでない病院がいいな……などと都合のいいことを考えていたのだが。
現着するなりシルヴィが、まるで再訪であるかのように、迷わずどこかを目指すではないか。
追いかけた先がここ、グリンドベル動物病院。
今日は珍しく患者が少なかったそうで、すんなり診察までこぎつけたのだ。
やはり、シルヴィには、良いところへ『導く』力がある。
……ところで、シルヴィとは黒猫のこと。
ここへ来てようやく名前が決定した。
だがそれも、成り行きというか、経緯はいささか格好がつかない。
診察に入り、トリシュ先生は当然のように「ネコちゃんのお名前は?」と訊ねた。
対して陸歩は、まさか「まだないんです」とも言えない。猫を名無しのまま、そこそこの期間連れ回していると知れたら、どのように思われるか。
咄嗟に何か絞り出さなければと焦り、何か……この子の特徴、力、導く……道しるべ……導、標……。
「――し、シルベエ……」
「シルヴィ? 可愛い名前、お嬢様なんだ。
はーいシルヴィちゃん、こんにちは――」
こういう具合だ。
先生が収まりのいいように聞き取ってくれたのが幸いである。あわや『汁兵衛』にならんとする危機だった。
シルヴィ。本人も気に入ったようで、先生が名を呼ぶたびに顎を上げて喉を見せている。
と同時に、傍らで見守る陸歩へは流し目。
黒猫からの視線はどうにも非難がましく、「シルベエとはお前正気か」と言っている気がしてならない。
仲間たちにも聞かれなくてよかった。
もし知れたら、果たしてどれほど弄られたか。
キアシアとイグナは別室で、先代医院長、つまりトリシュ先生の父上から直々に、動物栄養学を習っているところ。
料理に覚えがあり、猫にも最高のものを食べさせたい。そう言うキアシアに先代はいたく感心し、短期集中講義を申し出てくれた。
アインは、馬を見る、とだけ言い残して別行動。
あの男が馬好きとは意外ではあるが、想像するに、巨人という出自だからこそ生き物に騎乗することに、ある種の憧れがあるのやも。
さて、診断はつつがなく進む。
「毛並みも艶やかね。ノミもなし。キレイ好きなのかな、女の子だもんね。
ブラッシングはどれくらいしてます?」
「えっと、本人がねだってきたときくらいで……二日とか三日に一度くらい?」
「えー、自分からご主人にお願いするんだー。えらいねー。
適切な頻度ね。シルヴィちゃんは毛の短い子だから。
爪を失礼、お嬢様。……うん。よく運動してるんだね、旅人さんだもんね」
「ときどき切ってやったりとかって、するべきですかね?」
「外を駆け回ってる子なら自然と研磨されていくから、それほど必要ないかな。
でも念のため、爪切り道具はきちんとしたのを持っておいて、もし割れたり折れたりしたときにはケアしてあげて」
「わかりました」
こっそり、じっと、陸歩はトリシュを見ている。
彼女は翼を隠した今のシルヴィを、単なる雌猫と思っていて……ベテラン医師にも気づけないなら、この黒猫をこれからも大っぴらに連れても、気取られることもないだろう。
やがて「健康状況は花丸」とトリシュが太鼓判を押し、締めとなる。
シルヴィは診察台を飛び降り、座して待っていた陸歩の膝へ登って、何やらドヤ顔。偉い偉いと撫でてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「はいこれ」
トリシュが差し出すのは冊子だ。
「ネコちゃんの飼育についてのあれこれ、書いてあるから。
あとこっちは予防接種の案内。今すぐでなくてもいいけど、受けといたほうがいいわ」
「あぁ、助かります。ありがとうございました」
「いいえ。可愛がってあげてね」
待合室に戻ると、イグナとキアシアはいない。まだ授業中のようだ。
ソファーを借りて、もらった冊子に目を通しながら待っていてもいいのだが。
シルヴィが、病院の向かいの店を見つめて一声鳴く。
どうやらペット用品を商っているらしい。
「ちょっと覗いてみるか」
にあ。
受付に断わり、荷物はそのまま置かせてもらって、外に出て道を渡った。
目当ての店はグッズの他に動物も取り扱っており、ケースやゲージから盛んに鳴き声がするが。シルヴィはこれを余裕で無視。
入店すると、天井までそびえる商品棚が並んで、外から見るよりずっと手狭だ。
陸歩はシルヴィを胸に抱きかかえる。
先生に言われたことだし、さっそく爪切りを新調しようか。ブラシも。
そういえばシルヴィに、首輪はいるか。
玩具もいくつか見繕うつもり。
「なんか気に入りそうなのある?」
腕の中に問えば、返事は――にあ。
シルヴィの視線を追うと。
「――そう、その、何とは言えないんですけど……肉食の、爬虫類、でいいのかな?
いえ違います魔獣じゃないですちゃんとした生き物です! ええもちろん!
うちの子たち、季節のせいか食欲が落ちてるみたいで、少量で栄養がたくさん取れる餌とかあれば――」
見間違いかと思う。
店員にしきりに訊ねている、那由多だなんて。
「っ」
視線が合った。互いに。
彼女の眉根が険しく寄る様に……陸歩は、息が、詰まる。




