側 ≪兄弟≫
近頃、街を脅かす魔獣、あり。
グィングルム大陸北部トルロラは広大な果樹園の街だが、この果実に引き寄せられたのか禍禍しい化け物が一頭、出没するようになった。
その巨大さは、樹を丸ごと呑み込むほど。
無数の目を持つ猪で、しかし身体は芋虫の如し。醜悪極まる姿は災禍の具現である。
住人や狩人も十数人がやられた。
四日に一度は現れ、このままでは程なく街全部が平らげられてしまう。
火や毒や魔を用いても、化け物は一向に堪える様子を見せない。
もはや神頼みしか手はなく、救いがないならどうにか扉の樹だけ余所へ逃がして、取るものも取らず移住するしかないか。
そんなときである。
かの勇者、テオニシウスが駆けつけたのは。
テオニシウス・バーンハイ・ビヒテンシュタイム。
街の窮地を聞きつけ、仲間と共に馳せ参じたのだという。
彼は、いま再び襲来した魔獣の前に堂々と仁王立ち、たなびくマントを脱ぎ捨て聖剣を抜き放った。
一閃。
両断される魔獣。
あまりに鮮やかに化け物を討ち取った勇者は、なお油断せず仲間の導師に指示し、塩と火で街を清めさせた。
彼自身は野に出て魔獣の痕跡を辿り、巣と思しき場所を探り当て、産み付けられていた卵を入念に始末して。
ようやく告げる――もう安心だ、と。
かくして災厄は免れる。
トルロラの住人がどれほど喜んだか。
勇者一向に対して当然、謝礼と歓待を申し出るが。
テオニシウスは、これを丁重に辞して言うのだ。
――病弱だった幼少の折、幾度となくこの街の果実に渇きを救われた故。
――これなるは当方の恩返しなり。
――礼金・接待費は街の再興に当ててくれるがよい。
それどころか「また何かあれば呼んでくれ」と念話の宝珠を置いていくのだ。
嗚呼、最後まで非の打ち所のない勇者のその在り様。
颯爽と去り行くその背を、大人も子どもも憧憬の眼差しで見つめ、いつまでも手を振ったことは言うまでもない。
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と、このようにとことんまで格好つけた勇者に、仲間たちは大変不満顔。
謝礼不要とはよくも見栄を張ったもの。
せめていくらかの物資を頂戴してくればよかったのに。
「――だって。街があんな半壊してたんだよ?
そうですかでは遠慮なく、とは言えないだろ」
テオは言うが。
一行の懐は決して暖かいものではなく、むしろこの勇者様はすぐ施してしまうから素寒貧もいいところで、今日も今日とて野宿である。
そろそろ何週間かぶりに屋根の下に泊まってベッドで寝たい、と仲間たちが思うのも無理はない。
繕いだらけのテントもいい加減新調したい。
星空を仰ぎながら、焚火を起こした。
今宵の夕餉も獲ってきた鹿と野草で、申し訳程度に振るった塩がかろうじての文化的要素だ。
胡椒はない。ずいぶん前に切らしてそのまま。
トルロラの人々が「後生だから持っていってくれ」と、鍵と共に渡してきた最高級果物一抱えが目下のところ唯一の財産で、テオはデザートの林檎を頬張って、
「どうだい。これが味わえたんだから、十分すぎると思わない?」
思わない。
仲間たちは異口同音、テオは肩身が狭くて俯いた。
「…………」
その手を、聖剣に伸ばす。
彼の気配に仲間たちも平静のまま、いつでも動けるよう意識を身構えた。
勇者が、わずかに刃を、鞘から覗かせる……。
「――」
目の前の空間に亀裂が走った。
見る間に頁となってパラパラと捲れたそれは、白紙の見開きで止まり、赤い文字は独りでに速記されていく。
やがて、掻き分けるように、一人の男が姿を現した。
「――よう、テオ」
「あ、兄上!?」
ドゥジェンス・バーンハイ・ビヒテンシュタイム。
誰あろう、勇者テオニシウスの実の兄である。
顔を合わせるのはいつ以来か。それがこんな場所で、こんなに唐突に再会したのだから、弟は驚きのあまり危うく我が身同然の剣すら落としかける。
「どうして、ここにっ?」
「ちょっと相談があってよ。
お前相変わらず派手に人助けしてんだな。探すのが楽だったぞ」
「は……。
どうぞ、座ってください」
勧められたのは野外用のクッションで、勇者の手持ちの中では一番きれいなそれでも、すっかり草臥れてペタンと薄い。
ドゥジェンスは「本当に相変わらずだな」と弟の清貧ぶりに苦笑する。
「息災だったか」
「えぇ、おかげさまで。
兄上は……今まで、どこで何を? しばらく噂にも聞きませんでしたが」
「こっちも色々な」
言って、左手を振って見せる。
その手が奇怪な手袋に戒められていることに、テオはもちろん気付いて眉根をしかめた。
「それは……」
「あぁ、これ。実は相談ってのはこれのことなんだ。
厄介な封印をかけられてよ。お前なら解呪に心当たりがないかと思って」
「なんてこと……。
――聞いた通りだ」
すぐに振り返って、控えた仲間たちへ声をかける。
勇者の連れた三人はいずれも導師・術師・律師で、それぞれが別角度から呪いには明るい。
進み出てドゥジェンスの左手を囲み、互いに意見を述べ始める。
専門用語が複雑に飛び交い、そちらは任せることにして、ドゥはテオに訊ねた。
「家には帰ってるか?」
「一番最近ですと、二月ほど前でしょうか。
兄上もどうかお顔をお出しください。父上が寂しがっています」
「嘘こけ」
「嘘などでは、」
「あの親父も、こんな放蕩もんにはとっくに愛想尽かしてるだろ。
家督はテオ、お前が継げ。そのほうがあれこれ丸く収まる。……押し付けて悪いとは思うがよ」
いえ、と勇者はきっぱりと首を振った。
その目には兄への尊敬が色濃く浮かんでいる。
「ビヒテンシュタイムの当主は、兄上しか有り得ません。
兄上は――現人神に、あらせられますれば」
弟の熱っぽい物言いにドゥは鼻を鳴らし、素手の右手を表裏、焚火にかざした。
掌の真ん中で、埋め込まれた赤水晶が、向こう側を薄く透かして怪しく煌めく。
「俺にはまだ、やりたいことが山ほどある」
「気が向いたときに帰ってきていただければ、それでよいのです。
お留守はこのテオニシウスが担いますゆえ」
殊勝に過ぎるテオの言葉に、ドゥはやっぱり鼻を鳴らした。
心底呆れたのだ。
「馬鹿だな、お前も。
どこでも好きに生きられる実力があるくせに、なんでわざわざ、窮屈な家に拘るんだか」
「それはもちろん。好きですから。
私はあの家も、土地も、父上も、兄上も、領民も。みな好きなのです」
「…………」
やはり絶対、弟こそ継ぐべきと思う。
だが言ったところでテオは譲らないだろうから、この話題はもう止めにして、「ところで」と別なところを突くことにする。
「家に帰ったとき、この娘らも連れてったんだろ。
誰を嫁にする予定だって親父に紹介したんだ?」
「なっ」
勇者の連れた三人はいずれも女性で、それぞれが別タイプに美人。
いずれを取っても貴族の妻に申し分ないだろうに、
「彼女たちは、良き友人であって、兄上の思われているような関係ではありません!」
「は? マジかよ全く?」
「えぇ全く! これっぽっちも!」
「……苦労してんな、あんたら」
娘たちに言えば、えぇ本当に、と三人ともため息を吐く。
その堅物さは勇者には相応しいかもしれないが。
これだけの美女を三人も従えて、しかしどれにも手も出していないとなると……。
兄としてはドゥは、なんとも、弟を心配せずにいられない。




