急:破 ≪父子≫
大したもので、二日後にはユーリーは食欲を取り戻していた。
とにかく血肉を欲するので、部屋にテーブルを持ちこみ、その上に仔牛の丸焼きをドン。
あとは卓を囲った各人――つまりは陸歩、アイン、ユーリーが手元のナイフで、肉を都度切り取ってひたすら頬張る。
喉が渇けば樽にジョッキを突っ込んで、葡萄の汁を勝手に汲めばいい。
このあまりに俗っぽい……というより賊っぽい食事に、女性陣は呆れ果て、もっと優雅なランチを求めて出掛けてしまった。
だから今はこの三人だけ。
手も口も、脂でベトベトにしながら、それにも構わない三人。
食い進めるペースはいずれも負けず劣らず。
自分たちと変わらないペースでガツガツと肉を平らげていくユーリーを、陸歩はこっそり見ていて、口の中のものを呑み込んでから切り出す。
「もう具合よさそうだし、明日あたり帰るか?」
さすがにユーリーは手を止め、不審そうに睨み返した。
「帰すのかよ。オレたちを、タダで?」
ジュンナイリクホの意図はいまいち読めない。
わざわざ手当てしてまでこちらを生かしたわりには、ここまで尋問も特にされていなかった。
魔女の悪行の報復を加えられるでもなく、賓客として扱われている。
かといって懐柔工作、というほど口説いてくる様子もまたなく、狙いはどこにあるのか。
やはり、クソ親父関係か、とユーリーは歯噛みした。
陸歩はゴドウィンと親交を得ていたから、そのよしみで息子の命を取るのを躊躇した……。
ならば憎き父親に救われた格好になるわけで、そんなのは、どれほど屈辱か。
だが。
陸歩は半眼になって、表情に粘っこい皮肉を浮かべている。
「タダってこたないさ。
それ、ちゃんと持って帰って、お仲間に見せろよ」
「…………」
肉切りナイフで陸歩が空に斜めを描く。
つまり、ユーリーに刻んだ傷のことを言っているのだ。
赤金の羽根の毛布を着たユーリー。
その下の包帯の、さらに下は派手なもので、何しろ刀傷を焼いて塞いだのだ。引き攣れた火傷痕がくっきりと走り、戦士としては大いに箔が付くというもの。
もっとも術師である彼はそれを喜ぶ気はなく、まして見せびらかすつもりなど毛頭なく、上手く消せないものかと思案しているくらいなのだが。
これこそが、ジュンナイリクホのメッセージだというのか。
陸歩は布巾で手を拭いながら。
「オレもあっちこっち旅してきてさ、色んな街に知り合いやら友達やら、恩人がいるんだ」
「は?」
「お前を殺すのは簡単だよ。今だってな。
でもそれをして、魔女がその意趣返しを、オレと関わりある人たちへ向けたら。
オレたちはほら、少人数だからな。きっと守り切れない」
「……だから、オレを帰すって?」
バリバリと、アインが骨まで噛み砕く。
けたたましさにユーリーはちらりと視線をやるが。
その目を戻すと。陸歩はこちらをじっと、口元に笑みを浮かべて、見つめ続けていた。
「逆に、だ。もし魔女のほうが先に、オレの知人に手を出したら、どうなるか。
その傷を見せて教えてやれよ。ユーリー」
「……なるほど」
もはやジュンナイリクホが、高弟一人程度の生殺与奪は容易く手玉に取れる実力者であることは、ユーリーの様からして明らか。
彼が本気になれば、魔女の手の者を順に狩るくらい、きっと訳はない。
ジュンナイリクホは、自らの周囲に累が及ばないよう配慮し、同時にこちらへ釘を刺しているのだ。
脅しを絡めた交渉としては筋が通り、なかなか有効だろう。
……と、ユーリーは内心で納得しているが。
実のところそれが陸歩の真意ではなく、本当の目的は別にある。
イグナがクランシュを修理した際、彼女は姉に『枝』を仕込んだのだ。
クランシュの見聞きしたものを断片ながら送信してくるビーコンで、このまま彼女がノコノコと魔女のもとへ戻ってくれれば、月にあるらしい根城の内情が判明する。
つまり帰したいのはクランシュであって、ユーリーはそのおまけ、敵方に気取られないための陽動でしかない。
今のところは、どうやらユーリーに疑う態度はないらしい。
陸歩はほくそ笑みそうになる自分を、立ち上がって誤魔化した。
「預かってる篭手も、明日返してやるよ」
ユーリーの皿を取り、自分の分と重ね、アインの分もその上に置いた。
仔牛がいたはずの大皿もすでに空で、その大半を食べたはずのアインは、まだ名残り惜しそうに骨を齧っている。
そんな彼を肘で小突いて立たせ、顎で退出を促す陸歩。
そのまま出て行こうとする二人に、ユーリーは「おい」と声をかけた。
「……こいつは、どうなるんだよ」
肩に掛けた……張り付いた、毛布のことだ。
これなるは法の具現、家族との不仲を戒める、楔の羽根の結晶。
ふん、と陸歩は鼻を鳴らす。
「さぁ。お前次第だ」
「…………」
そして、彼らと入れ替わりに、おずおずと部屋に入ってきたのは。
ゴドウィン。
普段のたくましさは見る影もなく、目は泳ぎ、いかにも所在なさそうに落ち着かない。
そんな父親をユーリーはもちろん睨む……肩で毛布が重さを増したが、知ったことか。
やがて、ゴドウィンは気持ちを振り絞り、
「……ぐ、」
「あ?」
「具合……よ、よさそう、だな」
「おかげさまで」
「…………」
つっけんどんな息子に、ため息を一つ。
ついにゴドウィンは向かいに座った。
その姿勢は正しく、その目は真剣で、思わずユーリーのほうが視線を逸らす。
「ユーリー。お前が今日まで無事で、本当に嬉しい」
「どの口が」
「そう、だな……そうだよな。
――なぁ。母さんのこと、話しても、いいか?」
「どの口が」
「あぁ。でも、話すよ。話すから。
あのな――」
>>>>>>
――母さんには、物の声を聞く力があったんだ。
――物と話す力があったんだ。
――知ってたか?
――……そうか、確かに、母さんはずっと隠してたからな。
――でもそれはユーリーの勘違いでも記憶違いでもないんだ。
――母さんには、そういう力が、本当にあった。
――だから、この街に来たのも、因果かもしれない。
――母さんにはオーパーツが……実は何に使われる道具か、
――全部分かってたんだな。
――その頃の父さんはさ、今よりずっとロマンに盲目で、
――今よりずっとオーパーツに夢中だった。
――母さんと結ばれた後は、特に張り切ってたくらいなんだが。
――母さんは、父さんが大発見だってはしゃいで持って帰ってきたものが、
――本当は何か、分かってたんだ。
――でもずっと黙ってた。
――本当はくっだらないものだって、母さんには分かってたんだぜ?
――でも、父さんに水を差さないように、黙っててくれて。
――これは霊子集約装置だとか、これは重力反転機だとか
――阿呆なこと言ってる父さんに、ただ微笑んでくれて。
――だけど、だんだん母さんも、呆れてきたんだと思う。
――だってそれ、本当は米を炊くだけのカラクリなんだぜ?
――それ、部屋に風を吹かすだけのカラクリだったんだ。
――そんなものをいつまでも、宝物だっつって喜々として集める父さんに、
――いつまでも子どもじみてた父さんに、
――だんだん、付き合ってられなくなったんだと思う。
――すれ違い始めたんだ。
――お互いの温度が、違っていったんだ。
――それが父さんには、母さんの関心が自分から離れてるような気がして、
――自分の好きなものを、同じように好きでいない母さんが嫌で、
――すごく、苛立った。
――……なんかの弾みで言い合いになってな。
――母さんの力を知らされた。
――父さんも、自分が人生を賭けてきたものの、正体を知ってんだ。
――でも、そんな、想い続けた摩訶不思議なアイテムが、
――まさか、
――実はガラクタだったなんて、
――とても受け入れられなくて……。
――父さんは、母さんを拒んだ。
――母さんも、父さんを拒んだ。
――馬鹿だったよ。
――本当にガキだった。夫であって父親だったはずなのに。
――俺は自分のことばっかり。
――つまらない意地とプライドで、本当の宝物に、手を挙げちまった。
――俺は最低だ。
――だからさ、ユーリー。
――本当、父さんのせいなんだ。
――ガキのままだった、父さんのせいなんだ。
――父さんのせいで、母さんは……。
――父さんのせいで、お前も……。




