急:序 ≪看病≫
子どものとき、ある『かたち』を見つけた。
円の中に無数の直線・曲線を詰め込んだ、複雑な図形だ。
それは角度によってはヒトの顔のようであるし、文字のようでもあるし、うずくまった鷺のようでもあるし。
また別な見方では窓で、ずっと向こうまで奥行きがあるようにも思われる。
見つけた、と言っても、どこかに記されていたわけではない。
遊び道具にもらった絵筆を、気の向くまま心地よいほうへ引いていたら、いつの間にか出来たものだ。
何かを参考にしたわけでもない。ひたすら直感に従った結果。
それが実は復活を司る『印』で、印章術の開祖が生み出したものであると知るのは、もっとずっと先のこと。
十年ほど後、この秘術を嗅覚のみで探り当てた才能を見込まれ、件の開祖が膝をついて「どうか弟子になってくれ」と奇妙な懇願をしてくるのだが、とにかく。
とにかく当時は、この『かたち』を綺麗に描くことがただ楽しく、ひたすら夢中になって、朝から晩まで。
白紙があれば描いていて、ノートもそればかりが何ページも続いたものだから、それを見た父には「もっと別のものも描け」と言われた。
今にして思えば、父は取り立てて語気を荒げたわけでもない。単に呆れた調子だっただけだろうが、子どもにしてみれば何だか叱られた気がして、以来は紙に描くのを避けるようになった。
代わりにキャンバスに選んだのは、街を満たす物の山だ。
それらの平らな面を見つけては描くようになり、やがて丸みのあるものにも描くようになり、ひたすら夢中になって、朝から晩まで。
この遊びに熟達したとき……『かたち』を描いた物が唸りをあげ、光を灯し、動き出したのだから、それはもう。
笑った。
はしゃいだとも。
嬉しくって。面白くって。ガタガタ身を揺する物がおかしくって。
その頃には製図の速度はちょっとしたもので、一日で軽く100は描けるようになっていたか。
どうしても母には成果を見せたい。
父が仕事から帰る前に、急いで家に戻った。動き出した物たちを引き連れて、百鬼夜行の様相で。
母は、少しだけ驚いた。
母は、その業を褒めてくれた。
母は、だけどもうすぐ父さんが帰ってくるから、と言った。
母は、物たちへ告げた。
きっぱりと。堂々と。
さぁ元いた場所へ――と。
有無を言わさず、問い返すのを許さない、女王の声音。
笑った。
はしゃいだとも。
物たちが母に言われるがまま、踵を返したのだから。
すごいと思った。
母さんは物と話せるんだ。
家に入りましょう、と手を取ってくれる母さんが誇らしくってたまらない。
……ふと振り返れば、とっくに行列はばらけたのに、一体だけが佇んだままだ。
それは美しい人形で、金色の髪、金色の目。
母さんを見れば、母さんも人形を見ていて、何だったか、母さんは何かを問いかけた。
そして「そう」と言って。
そして「お入りなさい」と人形に言って。
人形がおぼつかない足取りで踏み出し、
その衝撃で、斜めに、真っ二つ、
リアクターが割れて、
塵に崩れるクランシュ、
クランシュっ、
>>>>>>
「――っシュ……っ!」
叫ぶ自分の声で――実際にはほとんど擦れた息遣いでしかなかったが――ユーリーは目を覚ました。
途端に身体を貫く痛み。
たまらず呼吸が荒くなるが、深くするとまた痛みがひどく、肺が欲するだけの酸素を摂るには浅く短くを何度も繰り返すしかない。
「…………」
目が潤み、景色はおぼろ。
身動きが効かない。
頭も熱に浮かされて満足に働かず、脳みそが鉛になったかのようだ。
身を起こすなんて想像も絶する。
せめて左を向けば……そこには。
「……ラ、ンシュ……」
隣のベッドに横たわるクランシュが。
毛布を掛けて昏々と眠る彼女は、穏やかな表情をしていた。
ユーリーが祈る気持ちで眺めていると……クランシュは細かく、本当に細かくだが、胸元や閉じた瞼に動きが、ある。
生きている。
それだけで十分だった。
涙さえ滲ませて、ユーリーは安堵の息を吐いた。
そしてようやく、自分もまたベッドに寝かされていると、今さら気付く。
クランシュと同じく毛布が掛けられていて、これはあの忌々しい赤と金の羽根を織り上げたものだ。
思い出してきた。
ジュンナイリクホに斬られたのだ。
その上、傷を焼き塞がれ、どこかのタイミングで意識を失い、今。
つまり現状は、戦いに敗れて捕虜になった、ということだろうか。
「…………」
部屋の様子を探るつもりで、右を見れば。
椅子に腰かけ、腕を組んだ格好で、項垂れて眠りこけるゴドウィンがいる。
「…………」
――クソ親父め、なんだ。
――見張りなんじゃないのか。不用心に気を抜きやがって。
――息子が相手だからと高を括っているのなら……。
そんなふうにユーリーが心中で毒づいていると、ドアが開く。
ジュンナイリクホだ。
彼は目を覚ましたユーリーに気付き、またゴドウィンが寝ているのにも気づき、そっと足音を殺して入ってくる。
しぃ、と口に人差し指を当てて見せてくるが。
ユーリーとしては言われるまでもない。どっちにしろ消耗し切り、満足に声も出せないのだ。
傍らまでやってきた陸歩は、ユーリーの頭を枕ごと持ち上げて起こす。
そして水筒に挿したストローを咥えさせた。
ここで抵抗する気力など当然ユーリーにはなく、素直に吸うと。
「っ、こほ! ごほっ!」
「大丈夫か? あぁそう。
じゃあもう一回。はいゆっくり。はーいゆっくり。
まだ飲む? いらない? あそ」
再びベッドに寝かされたユーリーは、敵に世話される己の様を、ぼんやりとみっともなく思う。
幾ばくかの水分を得た喉で、低く問いを絞り出した。
「……なんで、助けた」
対して陸歩は肩を竦めて取り合わない。
「今は寝ろよ」
「…………」
飲み水には薬でも混ぜられていたのか、ユーリーは促されるまま眠たくて仕方ない。
実際にはブドウ糖やナトリウムが少量含まれていただけだが、とにかく彼の意識はほどなく夢の続きへと沈む。
その間際で。
「お前の親父さんな。怪我で高熱を出したお前を、つきっきりで看病してたんだぜ」
陸歩のそんな言葉が聞こえたような気がするが。
知ったことではない。
罪滅ぼしのつもりか?
今さら。じゃないか。
クソ。親父。め。
。。
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