破:急 ≪突破≫
印章術とは。
最盛期を300年以上も昔に過ぎた現代の魔術界において、最も中心にある研究テーマは、より強力な新術の開発などではない。
すなわち、魔力の倹約こそがそれだ。
生物に備わった魔力は、生まれながらの量が最大値であり、使用した後には如何なる方法によっても回復しない。
そして魔力の消費は身体の劣化、とりわけ容姿に現れる。
この代償の大きさがゆえ――人権意識がほとんどなかった戦乱の世ならいざ知らず――昨今の魔術忌避の風潮は、半ば当然である。
魔術に携わる者は減り、志す者も減り、この先も緩やかに衰退するばかりであることはもはや避けられまい。
ならばせめて絶滅を先延ばしにするため、既存の術の効率化・低コスト化は重要かつ急務。
印章術とは、そんな試行錯誤の中で生まれた、新興の呪術形式である。
構造は魔具に似る。
自動筆記する筆、水を留める楔……その他魔性の道具は、魔力を介して生み出される。
しかしその筆が、楔が稼働するとき、魔力が用いられることはない。
それらは『そういう』道具として存在していて、鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、当たり前に生得の能力を発揮するのだ。
血と魔力による儀式で、印を生み出す。
発火能力や防護能力などを個別に練り込まれた印は、印自体にその能力が生得のものとして内包されているために、以降はいつ何者が描いても魔力を無しにその効力が現われる。
文字はいつ誰が綴っても、意味伝達の能力が行使されるのと同じだ。
件の魔力倹約を抜本的に達成する、妙手と思われよう。
しかし実際には文字ほど融通が利かない。
なにしろ印は、儀式によって生み出されたものと、寸分違わず同じに描かなければならないのだ。
デザインや大きさは言うに及ばず、線のわずかな歪みも許されない。
インクの滲み程度ですら効果発動の妨げになる。
図形の複雑さから道具を用いても難しく、正確に描けるようになるには長期的な訓練が必要だ。
魔術師にとってこの手間は、とても看過は出来ない。
結局この技術は、一部の天才の専有物となりつつある。
そんな印章術の多くは、属性の付与を旨とする。
押印という術の形式上、描いた相手に何らかの変化をもたらすものが主となるのは自然。
味方に都合のいい効果を与えたり。
敵に呪いを張りつけたり。
正しく印を成す難易度を度外視すればその応用の幅は、魔術らしくただならず広い。
「――――ッ!」
グランドマスター級にまで極めたユーリー・ゲイトゲイザの手にかかれば、まさしく万能と言って誇張でない。
特に彼が魔女の薫陶を受けて編み出した『逸』『碌』『仁』『誤』『燦』『詞』『麗』の七印は、定義域が常人には把握不可能なほど大きく、その名にまつわるありとあらゆる現象をこじ付けて実現する。
そんなものに、剣で触れれば。
「――――ッ!!」
『碌』。
『仁』。
『誤』。
『燦』。
『詞』。
『麗』。
剣は満ち、膨れ、鋭さを失う。
剣は愛し、丸み、敵を労わる。
剣は歪み、御せず、正体を無くす。
剣は輝き、熱を持ち、自ら爆ぜる。
剣は詩に、擬えられ、易く解かれる。
剣は和に、わだかまらず、柔くなる。
はずだった。
「――――ッ!!!」
印の一つでも、押されたものを跡形なく変質させるに余りある力が秘められている。
さらに重ねた印同士は互いに影響し干渉し合い、どんな魔障を生むかはもうユーリー自身にも予測不能だ。
……そんなものを。
六つ、乗り越えて。
なお鋭利に、流麗に、斬りつけてきた刃が。
ユーリーには、信じられない。
「――オレの剣は、鈴の音によって大きさを変え、心根によって形状を変える」
厳かに、陸歩が告げた。
まるで判決を言い渡すように、重々しく。
「意志に応じて姿の変わる剣。
それは意志を固く定めれば、不変の剣にもなる」
ぴょんと黒猫が、通り過ぎざまに、黒の戦鬼の肩を踏んでいく。
その衝撃がとどめだ。
「か――っ!」
堪えようもなくユーリーは血を吐き、兜の内側をどす黒く汚す。
左の肩から右の腰まで、ざっくりと鎧を裂かれ、その下の肌も深く刻まれた。
致命的なのは胸のリアクター、『逸』の印。
これを真っ二つに割られて、ユーリーは再び法の軛を受け、かつ鎧の眼光が暗く消える。
ユーリーには、信じられない。
「か……っ、」
地に膝をつき、手を突いて伏すのだけは拒否する。
だが。
ぐらり、と甲冑だけが剥がれて目の前に倒れた。
「く、クランシュ……?」
返事はない。
装甲の姿のまま、彼女は冷たく身じろぎもせず――その様に、ユーリーの内心がぞっと凍える。
「クランシュっ!」
自身の傷の深さなど知ったことではなかった。
翼を広げたジュンナイリクホに、剣を突き付けられているが知ったことか。
彼女に縋り、抱きかかえようとして……血を流しながらでは、その重さを持ち上げることも満足にできない。
「あぁ……ああぁ……っ! クランシュ!」
もたもたと『再』の印を打った。
その瞬間は、クランシュの目に光が戻るが。リアクターの破損は塞がらず、またすぐに消灯する。
また『再』を打つ。
光り、消え、また。
「クランシュ! クランシュ!!」
「…………」
それを見て戦闘の終わりを悟り、一体から二人へ別れる陸歩とイグナ。
「イグナ、手当てしてやって。
ユーリーのほうはオレがやるから」
「はい。有難う御座います、リクホ様。
――ユーリー・ゲイトゲイザ。どきなさい、ワタシが診ますから」
すぐさまクランシュの傍に屈んだ彼女は、指先から極細のマニピュレータを伸ばし、姉の具合を検める。
陸歩は鈴剣を血振りした。
と、その拍子にわずかに目眩。
黒猫の姿もない。彼も力を使い果たし、現世に顕現し続けていられなくなったか。
イグナの工夫のおかげで、偽神体の消耗は相当マシにはなったものの、あれほどの力を使用したのだ。やはり疲労は尋常でない。
しかし蹲って休むわけにもいかない。
Code:Demi-Godを終えたことで天を覆う翼はなくなり、降り注ぐ赤と金の羽根も止んだが。ユーリーの全身には無数に刺さっていて、身動きを制限している。
そんな彼を、陸歩はクランシュから引き剥がし、仰向けになるよう地面に押さえつけた。
袈裟に斬り裂いた傷は、放っておけば命にかかわる。
止血帯などと気の利いたものはないから、仕方ない。
「焼いて塞ぐ。きついだろうけど、我慢しろよ」
「クランシュ! クランシュ!」
「……。これ、噛んでろ。ほら。ほら! 馬鹿、あの娘より先にお前が死ぬぞ!」
自分の上着の袖を丸ごと千切り、ねじってユーリーの口に無理やり咥えさせる。
右手の人差し指から炎を出して、その手で慎重に彼の傷をなぞった。
「~~~っ!」
「気をしっかり持て! 意識トバすな!」
あまり嗅ぎたくない臭い。
くぐもった悲鳴。
羽根の戒めによってユーリーがろくに暴れられないのが、唯一の救いか。
「~~~っ!」
「よし! もう済む! すぐ済むからな!」




