破:序 ≪対極≫
【Command:≪攻鎧≫ を実行】
一瞬の後、そこに青年と美女の姿はなく、鎧の戦鬼一体だけがある。
ぬるりと光沢ある黒の装甲は、鱗を繋ぎ合わせた形。
全身から棘を逆立て、こめかみに角を生やし、あらゆる関節から真っ白な蒸気を激情の発露のように吹き上げる。
面相は骸骨に似て、こうして煙る中に立つと、死神を彷彿とさせた。
セピアの翼を、広げる。
「――――ッ」
しぅ、と兜の奥で荒々しい呼吸がする。
その周囲を、鍵によって解放されたユーリー・ゲイトゲイザ珠玉の印が七つ、衛星のようにクルクルと巡った。
すなわち『逸』『碌』『仁』『誤』『燦』『詞』『麗』。
それらは虹になぞらえた七色で輝き、いずれもがただならぬ圧力を発して、空間すらわずかに捻じ曲げて見える。
「――お、おっ、おおぉぁっ!」
ついにユーリーの喉から燃え盛る内心が迸り、彼は両手を固く拳に握って、胸を突き出す。
と、胸部アーマーが展開。中央でリアクターが剥き出し、蛍火色に発光。
そこへ回る印のうち、『逸』が飛び込んで重なり、鎧へ漲るエネルギーが数倍にまで膨れ上がった。
「オオぉおぉぉぉっ!」
黒き戦鬼の足元が爆ぜた――そう錯覚させるほど、暴力的なまでの踏み込み。
依然として、刃と化した赤金の羽根に包囲されているというのに、だ。
向けられた鋭さに全く怖じることなく、いっそ愚かなほど、真正面から突破を試みた。
「オォォおおおぉぉッ!」
装甲に無数の羽根が突き刺さる。
しかしユーリーはクランシュの硬度に任せ……いや、そんな意識すらない。
とにかく殺意でいっぱいで、とにかくジュンナイリクホの息の根を止めるべく、我が身も我が身よりも大切な相棒すら顧みず、獣さながらに飛びかかった。
「……」
待ち受ける白き騎士、陸歩とイグナは、静謐としている。
天秤を携え、目の前の事柄をひたすらあるがままに捉えて、計量しながら。
「…………」
「ガァぁぁっ!」
抱擁のように両腕を広げ、掴みがかろうという黒き戦鬼。
……が、宙にぴたりと縫い止められた。
固い鎧をものともせず、腕に脚に胴に、至るところへ深々と突き立った羽根が、頑としてその場に留まったためだ。
彼が磔となったことで、従っていた印六つも停止し、光量を減じさせる。
「…………」
「がぁああああっ!」
さらに咆哮し、戦鬼が猛る。
それをほんの間近に見つめる騎士は、変わらず感情がない。
彼我の甲冑は白と黒、あたかも相克する対極の図。
一方の翼は極彩色、一方は暗褐色。片や天の使いを模し、片や悪魔の化身を模る。
だが戦いの趨勢は、とっくに決していた。
それこそ戦いの始まる以前から。仕掛けの段階で、すでに。
いま天を覆い、地にあまねく降りしきる、法。
これは心の有様に感応し、違反者があれば容赦なく穿って、厳しく戒める。
法に背いて、いかにして人は身動きできようか。
鎧も、楯とて壁とて無意味だ。この世に道理があるかぎり、何人にも遮ることは叶わない。
それを、偽神となった陸歩とイグナは、誇張しているのだ。
「――投降しろ、ユーリー・ゲイトゲイザ。
さもなくば改めろ。父と話し、聞くべきを聞き、言うべきを言うんだ」
「ふざっけんなぁあっ! 何様だテメェはぁっ!」
もがくも抜け出せず、より法の締め付けが強くなるばかり。
しかも、その軛を受けているのは、ユーリーばかりではない。
クランシュも、また。
彼女にも空を包む翼が見え、赤と金の羽根が見え、つまりは彼女もまた法に反している。
誰であれ、家族との不和は、許されない。
「――姉様」
鎧となったまま、静かにイグナが語りかけた。
「姉様……」
「……、……?」
数秒、クランシュは判断に間を要する。
「姉様」
「その『姉様』とは、このクランシュを指しているのでしょうか。
この場で女性と判定できるのは、貴女とこのクランシュのみですが」
「はい、姉様。
ワタシはイグナと申します」
「知っています」
互いの甲冑が喋るたび、言葉に合わせて眼光がわずかに強まる。
「ですがこのクランシュに、妹など存在しません」
「姉様の後継機に当たるのがワタシです。型式は――」
「妹など存在しません」
短く切って捨て、黒き鎧はまた蒸気を吐いた。
纏う主の憤怒に同調して、クランシュもまた足掻きに加わる。
「くっ、そがあぁああぁっ!」
悪魔が声を潰さんばかりに呪う。
それでも脱することは一向に出来ず、鎧が軋み、ところによってはオイルが、そして血が滲み出して黒をしっとりと濡らした。
「おあああぁあっ!」
「投降しろ、ユーリー・ゲイトゲイザ。
さもなくば、」
勧告を繰り返す途中で陸歩は、はっと後ろへ飛び退いた。
ユーリーの胸で、『逸』の印が毒々しいほど強く輝く。
止まっていた六印も巡行を再開し、あわせて七色に禍禍しい。
『逸』。
それは飛び抜けること、脱すること、囚われないことを象徴する印。
用いれば平時を超えた力を自らの内から引き出し……より強く身に刻めば。
概念による拘束すらも、無効とする。
「――――ッ」
黒の鉤爪が、陸歩の目と鼻の先を撫でた。
羽根から抜け出したユーリーは地に立ち、背を丸め、面の下では凄絶に笑う。
両の拳に灯す『撃』の印。
陸歩は、苦く息を吐く。
「……そうか。なら仕方ない」
天秤の皿から降りた黒猫が、牙を剥いてユーリーを睨んだ。
鈴剣は刃に形状を戻し、その刀身は四角く、切っ先へ向かうほど幅が広がる。
ギロチンの刃だ。
ユーリー・ゲイトゲイザ。
クランシュ。
両人とも、あくまで道理を犯し、法にまつろわぬと言うのなら。
「ここからは――断罪の時間だ」




