結:急 ≪放逐≫
突如として耳へ響いた声は、焦りに駆られたライヤのもの。
その内容は「ドゥジェンス」だの「文神」だのと穏やかでなく、ユーリーは目を細めた。
まさに今、互いの矛を複雑に絡め合っている最中の、自分、ジュンナイリクホ、クランシュ、イグナ。
奥で立ち尽くす親父。
ダメージから快気しつつあるアイン。
「……ちっ」
状況に、優先順位を付ける間は一瞬だった。
「クランシュ、離脱だ」
「了解しました」
ただちに一帯を囲んでいた『籠』が崩れ、砂となってクランシュの背に集合する。
この膨大なナノマシンを受け取った彼女は、四枚の羽を編んで、先端を遥か後方へと突き立てた。
「アンカー固定完了」
「おう。――じゃあな、ジュンナイリクホ」
「待、」
「ユーリー、舌を噛みませんよう」
刺した翼を手掛かりに、力いっぱいで身体を彼方へ引き寄せる。
掌を貫くイグナの手刀は、勢いに任せて無理やり抜いた。
ユーリーの腰を抱いて一気に連れ去る。
その速度たるや、危うく音にすら迫るもので、まさしく瞬きの間に場から脱する。
「、っちやが……。なんて逃げ足だよ」
舌打ちした陸歩は、触れられた額を手の甲で拭った。
ユーリー・ゲイトゲイザといったか。とんでもない騒ぎを起こしながら落ちてきて、向こうの都合で突然帰るのだから。
直前にやつの耳元で印が光っていたが、あれは何らか魔術的な通信か。
「…………」
傍らのイグナは、クランシュを穿った己の右手を、またぼんやりと眺めている。
どんなショックを受けているのだろうと陸歩が労しく思っていると。こちらに視線を向けた彼女はたちまち、ぎょっと目を見開く。
「リクホ様っ額に、」
「え」
キン、と貼り付けられた印が大きく広がった。
ユーリーの置き土産だ。
陸歩は目の前を覆う輝きに、爆発する燕を思い出し、しかし今さら回避が間に合わない――
【――おいジュンナイリクホ! すぐ戻ってくるから首洗って待ってろ!
クソ親父にも同文だ! 逃げんなよ! ――】
炸裂したのはメッセージのみである。
しかしその音量。しかもがなり声。
至近距離で浴びた陸歩は数秒間、目が回る。
「っ、っ、っ、」
「ご無事ですかリクホ様!」
「いや、まぁ、大丈夫……だけど……。
なに、あいつら……戻ってくんの?」
「……そのようですね」
>>>>>>
ヨルドンドから月までは、扉の樹を用いて一息。
そのはずだった。
ドアをくぐり抜けて、ユーリーは戸惑う。
「どこだここ……?」
鍵を間違えただろうか。
見渡す限り、珊瑚礁にも似た石の花畑が広がっている。
ところどころに生えた謎の塔は、天を支える柱のよう。
空は黄に染まり、太陽が明るいものと黒いものと、二つ浮かんでいるではないか。
至るところに転がった岩塊は、よく見れば丸くなった胎児にそっくりで。
獣が走る……三本足の獣が。鳥が飛ぶ……三本羽の鳥が。
いや、こんなものはこの世のどこにも有り得る光景ではない。
まるっきり物語の中の魔界。
例えるなら、熱に浮かされた夜に見る悪夢ような……。
「ユーリー」
クランシュが袖を引っ張った。
彼女の指差す先。
「っ? アジトが!?」
魔女の根城。
そこに、かつての威容はなく、雷にでも打たれたのか半分以上が崩壊し、よく見えないが断面は腐肉さながらにグズグズになっているらしく……。
「とにかく、急ぐぞ!」
「了解しました。
失礼します」
ひょいと軽くユーリーを肩に担ぎ上げたクランシュは、もう一方の手で自分のスカートを摘み――猛然と駆ける。
ヒトでない彼女の人にあるまじき脚力は、そもそもさして遠くない城まで、ごく一瞬で走破する。
が、直前で、急停止。
「――っおい? クランシュ!?」
「……ユーリー。いけません」
「はぁ!?」
「これ以上踏み込めば……貴方の生存確率が、著しく低下します」
何を馬鹿な、とユーリーは暴れた。生き死になど今さらだ。
そんな主をクランシュは、しかし羽交い絞めにするでもなく、「降ろせ!」と命じられてあっさりと降ろす。
「魔女様、っ、」
目の当たりにする。
無数の文字列から成る翼を負った、男の背。
その左手は未だ戒められ、
しかし右手は今、二度三度と握って解放の感触を確かめている。
周囲には、全身を赤く染めて伏したリャルカ、ライヤ、フェズ。
惨状だ。
特にオルトは、あれでは、確実に死んでいる。
魔鳥がそろりそろりと近づいて、啄ばむ機会を伺っていて。
男が、ドゥジェンスが、ぷっと何かを吐き捨てた。
それは咥えていた鍵で、相対する魔女の足元に突き立ち――魔女の痛ましさよ。
思わずユーリーは悲痛に叫ぶ。
「魔女様っ!」
「…………」
答えはない。
風穴の開いた腹部を押さえ、前傾になってかろうじて立っている彼女に、その余裕はない。
「このぉ!」
怒りに任せてユーリーが、左掌の鍵穴を敵へ向けるが。
ドゥジェンスはまるで振り返る素振りすらなく、淡々と魔女に告げる。
「こっちの分も寄越しな。
めんどくせぇなぁ。左右で鍵、別けやがって」
「……ぅ、……ぃ……」
「素直に聞けば、あー、『楽に死なせてやる』ってのも月並みだよな。
うん。素直に聞けば、心の底から死にたいって思わせてやるよ。それから死なせてやる。人生最期にハッピーだろ?」
「…………ぼ、……かはっ」
口から血をぶちまけ、腹から臓物を零し、魔女が膝をつく。
はぁ、とため息を吐いた彼女の表情には、もはや痛みも感情もなく、意識もおぼろなのか無色透明。
呟くはうわ言の調子。
「……ぅ、……ぃ……。ゅ……りぃ……。ユー、リー……」
「は、はいっ! 魔女様! 魔女様!」
「ユーリー……」
もう一度ため息。
――魔女の顔に激情が燃える。
「撃てぇええぇぇぇっ! ユぅぅーリぃぃーいいぃっ!」
「っ!!」
瞬間、ユーリーは理解する。
撃つは無防備に晒されたドゥジェンスの背中、ではない。
撃つは『火』ではない。
「――『再』――」
印が捉えたのは骸だ。
顔の上半分を失くしたオルトが一つ痙攣し、立ち上がる間も惜しむように飛びかかった。
「お? うぇっ!」
さしものドゥジェンスもこれは無視できない。
むしろ過剰な反応だ。
当然か。なにせ彼を長きに渡って縛り続けた者が蘇ったのだ。再び捕らえられたらと、ほとんど無意識に悪い想像をして、身体も強張ろうとも。
その隙を、魔女は狙い澄ます。
あえて散々零した己の血液。
たかが一滴で世界を曲げるそれを、一面にぶちまけて陣としたのだ。
左手の人差し指を、ドゥジェンスを向ける。
「――、――、――。
――、――、――」
詠唱はたっぷり六節。
「吹っ飛びなさいよぉ」
「あヤベ、」
……大魔術の結果にしては、あまりにあっさりとしている。
気付けばドゥジェンスの姿はどこにもなく、名残りさえなく、ユーリーには一応の決着がついたことすらしばらく分からなかった。
どさり、と魔女がその場に倒れた。
「あ……、っ! 魔女様!
おいクランシュ! すぐに手当てを!」
「了解しました」
「だいじょぶ……ユーリー、クランシュ……あたし、だいじょぶだからさ……。
それより他のみんなを……」
>>>>>>
気付けばどこか、森の中。
ドゥジェンスは深呼吸し、甘い空気を胸いっぱいに吸う。
木々の隙間から朝陽が差し込んで気持ちよく、鳥の歌う声がにぎやかだ。
闇の中と比べれば、望外の楽園といった風情。
「さぁて……ここ、どこだぁ?」
異界やら幻やら封印の中やらではなく、現実のどこかの大陸、とは全身の肌で読み取れる。
あれだけ大袈裟に魔法を打って、単なる転送か……とは思わない。
月という空の中から地上まで物体を送り届けるのは、すなわち神の所業の再現だ。
しかも翼と光輪と角を出したドゥジェンスの、耐魔力を押さえつけて。
魔女のことだから、どうせピオレオ大陸とは離れた場所だろうけれど。
街は近いだろうか。
「くそ。結局、左手は利かないまんまか」
それでも右手は自由になったから、最悪でもない。
彼が見つめる自身の掌……その真ん中には、ひし形の赤水晶が埋め込まれ、向こう側が仄かに透けていた。
「…………」
しばし、感動に耽る。
自分の手が見える。周囲の景色が見える。
そんな簡単なことでも、奪われていた後だと、高揚はひとしお。
「……。行くかぁ」
とりあえずどこか街へ。
その次は、弟を探そうか。あいつなら左手の呪縛を解くのに、力を貸してくれるやも。
それが済んだら。
いよいよ一番の恩人に会いに行こう。
彼女には全霊の感謝を捧げたい。
「キアシア……」
その名を呟いて、ドゥジェンスは。
子どもの素直さを表情に浮かべ、空を仰ぐ。
暗き苦境にあったときに、友と呼んでくれた人よ。
「ありがとう。必ず、お礼に――」




