急:破 ≪祝宴≫
巨剣の片面を打ち上げた頃には、すっかり夜だ。
もっとも何時でも景色はあまり変わらない。陽光は頭上の島で遮られ、始めから届いていなかったから。
今日のところはこれで終了と銅鑼が鳴らされ、携わった全員が心地よい疲労に包まれながら三々五々、それぞれ支度する。
汗と煤を落とし、卓を並べ、後は料理が整えば宴会だ。
ところで、ジンゼンには風呂という習慣がほとんどない。
空に浮かぶ島では水はとにかく貴重であり、浴槽に張って浸かるなんて、とんでもない贅沢だからだ。
なのでこの街では、盥に沸かした湯を用意し、そこへ浴薬を入れ、手拭を浸して身体を拭く。頭についてはそのまま盥へ突っ込む。
新しくパンツをはいた陸歩もその文化に習い、茣蓙にあぐらをかいて手拭を絞ったが、イグナが「おまかせください」と取り上げてしまった。
自分でやると言っても彼女は聞き入れてくれず、実に甲斐甲斐しく腕やら背中やらを拭いてくれるのだ。
陸歩もそれなりに疲れがあったし、何よりイグナの手つきがあんまり気持ちよかったから、すぐにされるがままになる。
燃焼する陸歩の身体は、元よりさほど汚れていない。
けれど足の裏は別で、全体に紫が薄っすらとかかっていた。
溶けたフツマダイトが付着したもので、イグナが「落とします」と手を伸ばしてきたから今度こそ断る。
若い女に足を洗わせるなんて、外聞が悪いどころの騒ぎではない。
ちょうどカサブタのように、爪でカリカリとフツマダイトを剥ぎながら、陸歩はため息のように呟いた。
「……腹ぁ、減ったなぁ」
「はい、お疲れさま」
キアシアだ。
差し出している皿には、おにぎりが三つ並んでいて、陸歩は一も二もなく受け取った。
漬物まで添えてある、もう王侯貴族の気分。
「やったありがと! 美味そうだなぁ」
「じきに宴会が始まるから、それで繋いでて」
「おうっ。いっただっきまーす!」
夢中でぱくつく陸歩を、キアシアはしばし眺めて、その緑色の瞳を満足げに細める。
それから踵を返した。
「じゃあ、調理場に戻るわ」
「んー。期待してるぜ」
おにぎり三つはすぐに片付いてしまう。
さすがキアシアの作る食べ物、口の中に名残る余韻までもがほんのりと美味い。
指先についた米粒がもったいなくて、陸歩はペロリと舐め取る。
ふと自分の手が意識に止まり、しばし見つめた。
使い終わった盥と手拭の始末をつけたイグナが、主の様子に気付く。
「リクホ様。どうかなさいましたか」
「んー……」
掌を燃やしてみる。
今まではこれは発火能力、肌表面に汗腺のように火を噴く器官があるのかと思っていたが。
あの、炎の拡大とともに自己が広がっていく感覚……。
結局あの後、同じ境地には至れなかったけれど。
今、松明となっている右手。
……これは、もしかして、掌の皮膚自体が炎に変化しているのだと見るべき?
「イグナさぁ」
「はい」
「変身して鎧になるときって、どんな感じ?」
「は」
さすがの彼女でも判定と返答に窮するようだった。
無理もない、質問が要領を得ていないのは陸歩自身で承知している。
「どう、と言われましても……」
「んだよな。何でもないから、気にしないでくれ」
とにかく今は空腹だし、頭も回らない。
陸歩は一旦物思いを打ち切って、着替えに手を伸ばした。
チコが置いていったジンゼンの衣装で、甚平によく似ている。ただし前を留めるのは紐ではなくボタンだ。
「おぉーっ。どうよイグナ!」
「よくお似合いです」
「これいいなぁ! 軽くて涼しくて、あと懐かしい!」
宴会の場はだいぶ揃ってきた。
円卓と椅子がいくつも置かれ、巨大な酒瓶が大量に持ち込まれている。
親方一同は関白とばかりに席についていて、弟子連中は調理場から女将たちの作る料理を忙しなく運んでいた。
「リクホさーん! こっちこっちー!」
手を上げて呼びかけるのはチコだ。
他にも若い女子の職人たちが集まって、卓の一つを囲っている。
陸歩がそちらへイグナと共に行き、勧められるまま座ると、キャアキャアと歓声が上がって実に姦しい。
「なんだよ、ずいぶん華やかなテーブルだな」
「親方の計らいっす。
功労者のリクホさんを、キレイどころで持て成すようにって!」
「そりゃあ頑張った甲斐があった」
間もなく陸歩たちのところへも料理が届けられ、全体で簡単な音頭と乾杯があり、宴が開始される。
と同時、同卓の女子たちから矢継ぎ早に陸歩へ質問が飛んだ。
――あの炎って何なんですか?
――リクホさんて魔人?
――どこの街のご出身です?
――剣を持ってるって聞きましたけどどんな剣ですか?
――剣技の流派は?
――お連れの女性二人とはどんなご関係?
まぁ賑やか。蜂の巣を突いたとはこのこと。
陸歩は手をひらひらとさせ、それをまとめていなした。
「まってまって。まずは何か食べようぜ。腹ペコだし、ヘトヘトなんだ」
「なぁーらコレっす!」
チコが陸歩の前へ、どんと置いた大皿。
盛ってあるのは何やら真っ黒な、枝の付いたニョロニョロ……。
「なにこれ?」
「ジンゼン名物ヤモリの黒焼きっす! 滋養強壮に効果抜群で、一つ食べれば夜を徹してギンギンっすよぉー!」
「「「キャアーッ!!」」」
テンションたけぇな。
と思いつつ、陸歩は黒焼きの一つを取り、躊躇いなく齧った。
これまでの旅の中で、食べ物は見た目で判断するものでないというセオリーを心得ているし、このヤモリにしても、これはこれで、なかなか。
具合のいい歯ごたえがあり、香辛料が効いていて、胡椒みたいな味、鶏肉に近い味。
ベースはしょっぱいだが、ほの甘いのと苦いのとが口に面白い。
「意外とイケるな。もう一本いい?」
女子たちの意味深なニヤニヤが、今度はイグナへ向けられる。
「イグナさん、今夜はきっと寝かせてもらえないっすよ」
「はぁ。ワタシは機能的に毎日の睡眠を必要としませんが」
そのとき奥からどよめきが聞こえ、みんな何事かと振り返る。
調理場からは次々に女将たちが現れ、キアシアもおり、彼女はそういう割り当てなのか陸歩たちの卓へと向かってきた。
ミトンをはめた両手で運ぶのは大きな鉄板で、メインになる料理が堂々と座っている。
「はい、おまたせー」
歓声が上がった。
自ら発光しているのかと紛うほど、見事に黄金の焼き色をした丸焼きだ。
丸焼き……何の丸焼きだろうか。
一抱えほどの大きさもあり、七面鳥かと思われるが、さっき食べたヤモリのせいか……そのシルエット、巨大なカエルに見える。
ただ、中に香草や薬草が詰められているらしく豊かな匂いが立ち込め、次第に肉の正体などどうでもよくなってしまうくらい、激しく食欲が刺激された。
キアシアが手ずからこの場で肉を切り分け、順番に配っていく。
陸歩もさっそく、自分の取り分を一口、
「――んまぁ!」
旨味が口内で弾けた。
噛んだ瞬間、閉じ込められていた肉汁が、波を作って押し寄せた。
とろけるような肉。
焼いているというのにちっともパサつくことなく瑞々しく、それでいて表面のカリッとした歯ごたえは萎びていない。
スパイスが複雑に働いているのか、噛むたびに味わいに新しい発見があり、呑み込んで喉を通る感触すら美味だった。
「すっごいなコレ! すごいぞキア! これすっごい美味い!」
「ありがと。形容詞二つだけってところがお世辞抜きっぽくて嬉しいわ」
他の面々も同じ感動を噛み締め、口々に美味い美味いを繰り返し、キアシアはそれを大人びた笑顔で受け止めている。
実際キアシアや陸歩と比べると、チコを筆頭にこの女子職人たちは二・三歳程度若く、折を見て陸歩は始めから思っていたことを言ってみた。
「そういえば、女の子の職人も結構いるんだな。
鍛冶屋って何となく、男の仕事ってイメージあったけど」
よくある問いかけなのか、彼女たちはクスクスと笑い、チコが答えた。
「リクホさん、刃物をより多く使うの、男性と女性どっちだと思います?」
キアシアを見る。
今まさに、両手に一本ずつ持った包丁で器用に肉を捌いているところ。
一方陸歩自身はどうか。
手にしているのは箸で、ナイフですらない。
なるほど、と頷いた。
「少なくともオレは、キアシアの十分の一も触れてないだろうな。
そう考えれば女の子の方が刃物に詳しいんだろうし、刀を打つのもむしろ自然か」
素直なところを言うと、少女たちはことさら嬉しそうにする。
チコも胸を張って。
「刀も打つ、家の仕事もする。二つの『カジ』が出来るのが、ジンゼンのいい女の条件っすから!」
「へぇ。偉いな、みんな修行の上、炊事洗濯まで何でもござれなのか」
「…………、」
「…………、」
「…………、」
「おい。誰とも目が合わなくなったぞ」
「ま、ま、ま!
食べましょ食べましょ! 明日もあるんですし!」
「明日も、ねぇ……」
陸歩の皿に料理を盛って、イグナの杯に酒をつぐチコを余所に、陸歩は巨剣を見た。
今宵の主賓とも言えるかの刃は、どこからでも見通せる場所に置かれ、そこに一番近い卓には親方と、同格の職人数名が掛けている。
彼らはしきりに意見を戦わせている様子だが、もしかして背後の剣に関する相談か。
「あの剣の完成ってさ、あとどれくらいかかる見込みなわけ?」
頬袋を作っていたチコはもぐもぐと、飲み物で流し込んでから「んー」と下唇に指を当てた。
「うちの親方はこだわりますからねぇ。
先方から工期も予算もたっぷり貰ってますし、半年は平気でかけるんじゃないですか?」
「半年っ!? さすがにそんなに付き合えねぇぞ!」
「あぁ、大きな火が必要な工程は明日で終わりっすよ。
一から作ってるわけじゃないんで。
二日で済ませるためにこの人数が集まってますし」
「……なら、明後日の朝には出られるか」
陸歩はひとまず安堵の息をついた。
反対に、チコのため息は重く沈んでいる。
「厄介なのはそっからっす。
研磨に装飾、柄揃え。そこら辺はうちの工房だけでやんなきゃならんすから。
つーか下手すると親方、一人でやりたがるんすよね」
「あのサイズを……?」
「関係ねーっす」
「そりゃそりゃ、凝り性っつーかなんつーか」
奥の卓ではまさに今、ジョッキを振り上げて何事かを大きく語る親方。
その腕や身体つきはそこらの剣士よりも厳めしく、傷だらけで。
あれが全て鍛冶によって刻まれた印なのだとしたら……。
あの人は、どうしてそこまで刀剣に一途なのだろう。
「剣士の顔を思い浮かべるとぉ!
自分で完璧に仕上げないと気持ち悪いんですってぇ!」
同じ思考をなぞっていたのか、チコがそんなことをのたまう。
というか。
「おかげでウチぁ、腕づくで掻っ攫わなきゃ、仕事もない有様っすよぉ!」
「なんでクダ巻いてんだ。
……イグナ、こいつ何飲んだ?」
「少なくともアルコールではありません。
このテーブルで飲酒しているのは、ワタシだけです」
女の子の一人が「気にしないでいいですよ」と苦笑した。
いわゆる場酔いというやつで、チコは酒の席があるたびにこうなのだとか。
友人はみんな慣れているらしく、彼女がなおもクドクドと続けても、上手にかわして宥めている。
チコの方もそれでは面白くないから、ターゲットにするのは陸歩だ。
「リクホさんのときも同じだったんすからね!」
「は? 何の話?」
「剣すよ剣!
親方ってばリクホさんの剣、ほとんど全部自分一人でやっちまったんす! ウチも手伝いたかったのに!
『この一振りは、この世のどんな名刀宝剣よりも苛烈な運命を切り開いていかなきゃならん』とかなんとか言って!
ならなおさら手伝わせてくださいよ!」
「…………、」
陸歩がジンゼンに上がれたのは、完全に師匠のコネで、工房にも師匠が口を利いてくれたから通れただけで。
この街の剣を手に取るだけの資格や資質が自らに備わっているかなんて、ちっとも自信ない。
けれども親方のほうは、見込みありと、全霊を尽くしてくれた。
それはどんな百万言よりも、ずっと確かに褒められていて認められていて……。
この街に来てから涙腺が緩くて仕方ない。
陸歩がこっそり鼻の奥の熱に耐える間に、チコは親方の元へと走っていき、不届きにも飛び掛かっていた。
「ウチはいつまで足手まといっすかぁ! 親方ぁ!」
「うぉ! チコてめぇ、また……」




