結:序 ≪脱出≫
仲間たちは計画のため、あちこちを盛んに飛び回っている。
なかには今この瞬間に、戦に身を投じている者もいるというのに。
自分は安全なところに篭ってヌクヌクなんて。
オルトはちっとも面白くない。
「……シッ! ……シャっ!」
戦場を誰よりも先駆け、最前線で敵を受け止める盾となる。
それこそがオルトの思う『漢』というもの。
正面切ってのガチンコこそが信条。自身の能力が呪いの類とはもちろん分かっているが、だとしても権謀術数のために後方運用されれば、不満を抱かずいられない。
「……シッ! ……シッ!」
とはいえ、魔女のアキレス腱を任されているわけだから。
勝手な振る舞いも出来なかった。
念のためアジトに留まっておくように、というのはリャルカの指示だ。
絶対に誰からも手出しされない場所に身を潜めておく。これもまた戦略上、重要な役割であると、蛇は噛んで含める口調で言った。
――ジュンナイリクホたちが嗅ぎ回っていると思しき今、
――万が一、君に何かあれば、閉じ込めたものが飛び出しかねない。
――そうなれば……。
どうなンだよ?
――分からん、どうなるのか。
――分からんから……恐れねばな。
――頼むぞオルト。
そんなに拝まれずとも、オルトにあえて反発する気などない。
当の魔女はもっとずっと大らかで適当で危機感がなく、軍師であるリャルカはさぞ頭が痛かろうし。
オルトとしては、せめて自分は素直に言うことを聞いて、やつの心労を少しでも軽減してやろう、くらいには思っている。
それはそれとしてだ。
籠城生活は、暇。
「……ふっ! ……シャ!」
銀色の砂漠が延々と続く、月面。
他に生命の気配などない中に、造られた林がある。
その全てが扉の樹。魔女の蒐集物だ。
気晴らしの散歩で分け入って、それにも飽きてしまったオルトは手頃なスペースで斧を出し、素振りで軽く汗を掻く。
「……シャあっ!
ちぃ……」
ほどほどに息が上がったところで止め、手の甲で顎を拭った。
どうにも、身体がなまっている。
仕方のないことだが、復帰したときにはどれほど勘が鈍っているかと思うと……暗澹とした気持ちにならざるを得ない。
せめて組み手でも、誰かに頼むべきか。
頭上には、真っ黒の空と、無数の星。
しばしそれを見上げ、こみ上げてくる幼少の記憶に、感傷を覚えてから。
頭を振った。
「よ、っと……」
斧を地面に刺して、その場で逆立ちになって、腕立て。
月の砂は自らが柔らかく白銀に発光して、一面は暖かに明るい。
一筋縄でない複雑な光源が、周囲にオルトの影をいくつも落とし、それらは放射状に伸びて、あたかも車輪の模様……いや魔方陣のようにも。
まさか召喚か降霊が成立したのだろうか。
「っ、っ?」
突如、辺りを照らす光量が増し、オルトの目を眩ませる。
たまらず逆立ちを止め、顔を手で庇いながら、何事かと注視した。
地にいくつも這う彼の影。
それが一斉に悶え、のたうち――蒸発していく。
「なっンだ、こりゃっ!?」
ついには最後の一本となり、ことさら濃いその影に、光の罅が入ったのだ。
「っかは!」
たまらずオルトは膝をつく、掌もつく。
骨身が軋む……それは彼の芯、根幹の部分、魂とでも呼ぶべき箇所に衝撃が走ったから。
こみ上げて、咳に任せて吐いたのは、胃液でも血でもなく、粉っぽい黒の粒子だった。
「がぁ――っ!」
その程度では済まない。
己の胸を固く抱いて、額を砂に擦って苦しむオルト。
そんな彼から伸びる唯一の影は、さらに、割れて、
ついには弾ける。
……何かが飛び出した。
「――――ッ!」
鍛え上げた心身のおかげで、オルトはかろうじて意識を繋いでいた。
呼吸すら難しく、脂汗でぐっしょりになり、細く霞む視界に映るのは誰かの靴。
その爪先に転がされ、仰向けに直される。
力なく大の字になったオルトの腹へ、容赦のない踏みつけが。
「がっ、はぁっ!」
「――ようオルトぉ。
俺が分かるか? 分かるよなぁ?
俺が誰だか、言ってみろよ、うん?」
声音は地獄の底から響くよう。
そこには憤怒、怨嗟、かつ歓喜と興奮……激しい黒と赤の感情がない交ぜで、濃く、濃く、濃く……。
逆光になり、ただでさえ目の前がおぼつかない今のオルトに、相手の顔は判然としない。
だが。見間違いようはなかった。
「て……めぇ……」
「だぁれがぁ、てめぇだ!」
「ぐぁっ!」
「二人称代名詞とか舐めてんのか!
名前だよ名前、俺様の名前を言ってみろっつってんだよ!
脳みそまでピヨピヨしてんのか鶏頭!」
「……っ! ……っ、……」
何度も踏みつける。
やがてオルトが虫の息で意識を失っていることに、ようやく気付いた『彼』は、おまけにもう一撃。
「寝んなら名前言ってからにしろや! ……ったく」
肩で息をして、血走った眼を林の向こう、魔女のアジトである城へと向けた。
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広間の巨大な円卓には、同時に30人でも着席できる。
その面積いっぱいに広げられているのは世界地図。
魔女は裸足になってその上に立ち、下唇に指を添えて思案しながら、時おり屈んで色とりどりのピンを立てていく。
ライヤとフェズがたくさんの樹の模型を持つ。
彼女たちは卓上に登る不作法はしないで、テーブルの脇からT字の棒でミニチュアを押し、次々に配置して街の場所を示した。
もう一つ、一人用の文机にはリャルカがいて、分厚い手帳をめくってあれこれを魔女へ進言する。
「いくつかの宗教都市で、派閥争いはそれなりの規模になってはいますが。どこも奇妙にバランスを保って膠着しています。
戦争にまで発展させるのであれば、もう少し強引な後押しが必要かと」
「そうよねぇ……」
「以前、魔女様が発案なさった『愚鈍そうな学者を選び、革新的な神学解釈を吹き込む』というのは良いアイディアかと思いますが。
上手くすれば教会の垣根を越えて結託と分裂が起こり、大規模な戦乱も望めるのでは?」
「でもねぇ……。
あたしの考えでは、そのアホを誑かす役はゼアニアが適任なんだけどぉ……彼女のスケジュールの兼ね合いが、どうにもねぇ」
――広間の扉が蹴破られた。
居合わせた高弟たちが何事かと、鋭い視線を向け、たちまち身構える中で。
魔女だけは変わらぬ余裕で、軽く上げた右足の指をワキワキとさせる。
押し入ってきた『彼』に、気さくに声をかけた。
「あら? あら。あらあらあら!
やぁだ、久しぶり。
……ちょっとぉ。オルトとケンカしたの?」
「おう聞いてくれよ。俺はこいつにさ、俺の名前を言ってみろっつったんだよ。
だのにこいつ、『てめぇ』なんて言うんだぜ? 有り得ねぇよなぁ?」
現れた『彼』は、ヘッドロックの格好で引きずってきたオルトを、その場にどさりと落とした。
散々に打ちのめされたオルトはぐったりと伸びて、またしても『彼』に踏みつけられるが、何の反応もしない。
『彼』は剣呑に口角を上げて、こめかみには青筋を浮かべて。
爛々と魔女を見つめた。
「なぁ魔女。
お前は、俺の名前が言えるかな?
俺様が誰だか、わかるかよ?」
「もちろんよぉ」
魔女様、とリャルカが制止する間も無かった。
「――ドゥジェンス・バーンハイ・ビヒテンシュタイム。
愛しい愛しい、あたしの、パパ」
「よく出来ました」
満足げに喉で笑ったドゥジェンスは。
今度こそ加減なく、オルトの頭を踏み潰す。
広がるたっぷりの血、脳漿。
末期の痙攣を見せるオルトに……高弟たちが色を失い篭手から鍵を抜く。
それらを一顧だにもせず、ドゥジェンスは魔女を睨み続け、
「んじゃ、まぁ。
魔女。とりあえずお前には、俺様をあんなところへ長々と閉じ込めた落とし前を。
……付けてもらおうか」




