承:急 ≪天災≫
気付けば真っ暗闇にあり、キアシアは深く呼吸した。
安堵の息だ。
やっと入れた。もう一度『ここ』へ来られるのを、夜ごと待っていた。
何か覚えのないものを求めて眠り、夢の中でだけ彼のことを思い出し、目覚めると確かな記憶はなく失望だけが胸に残っている……そんな日々を過ごしてきた。
「――ドゥ?」
呼びかけて、耳を澄まして待つ。
……返事がない。
「ドゥ?」
返事は、なかった。
おかしい。どうしたのだろう。
じっとりとした焦りがキアシアに浮かぶ。
いつもなら、すぐに彼の声がするのに。
意味はないと分かりつつ、辺りを見回す。
どこにも無明の黒があるばかりで、自分の周りを手探りしてみるけれど。
「ドゥ? ねぇ、どうしたのっ? ドゥ!」
――、
今。
かすかに今、息遣いが聞こえた、気がした。
「ドゥ! あたしだよ! どこにいるの、ドゥ!」
――……ァ
やっぱり聞こえる。彼の声が、どこかから、彼方から。
キアシアは、自身が立っているのかも怪しい闇の中、とにかく声のしたほうを求めて走り出す。
途端に、不安が大挙して襲ってきた。
自分は、ドゥのほうへ向かっているのか?
むしろ遠ざかってはいないか?
漆黒はそんな心の揺らぎを嗅ぎつけ、より濃く立ち塞がる……そんな妄想さえも湧く。
「ドゥ! どこ! どっちなの!? お願い、あたしを呼んで!」
――……
彼の身に、何かあったのか。
魔女が彼に何かした?
自分は遅すぎたのか……キアシアは絶望に足がもつれかけ、喉が詰まりそうになる。
「ドゥぅ! どこっ、あたし……やっと見つけたのっ。だから、」
沼に踏み込んだみたいだ。
足元の闇は突然、柔くぬかるみ、ずぶりと沈む。
あっという間に腰まで身動きの利かなくなったキアシアは、ぞくりと恐怖に絞めつけられた――まさかドゥはこうして、さらなる深淵へ幽閉されたのか、と。
――……キア
「っ!」
声がした。さっきよりもはっきりと。
彼に近づいているんだ。
その事実が、キアシアの意識に一筋の光明と差した。
自分の顔に触れる。
左の目元に指を這わせ、歯を食いしばった。
囚われた少年を救う奇跡を願いながら、眼球を抉り出す。
「っ、ドゥ! あたし、やっと見つけたの! あなたの作品を! あなたの名前がわかったの!
あなたは――ドゥジェンス・バーンハイ、」
それ以上は言わせないつもりか。
キアシアは全身に、獰猛に絡みついてくるものを感じた。
意思持つように闇の沼が湧き上がり、呑み込まんとしているのだ。
「っ、っ! っ!」
キアシアは頭まで浸され、左目の空洞からぞっとするほど冷たい黒が自分の中へ流れ込んでくるのを感じて、身体を震わせながら。
眼球を握りしめた左手だけを、なんとか突き出した。
手の中で、潰す。
白光が全てを染めた。
闇は焼かれて悶えた。
戒めから解かれたキアシアは、がっくりと膝を付き、左目を押さえながら。
「っは、べっ、ぺ!
ドゥぅっ! あなたの名前はぁ!
ドゥジェンス・バーンハイ――」
――ありがとう、キア。
世界の全てが輝き、今度は光量で目の前がぼやける。
その中で、膝を抱えた小さな少年の背中があって。
振り返った彼の、おぼろげな微笑みが、
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「――キアシアさんっ起きてください!」
「……ぅ」
激しく揺すられて目を覚ます。
目の前には険しい顔のイグナ。その表情にキアシアは、寝起きだからか焦点が合わず……左目がチクリとした。
「ったぁ……」
思わず押さえて、毛布の中で丸くなる。
「キアシアさんっ? どうかしましたか?」
「わかんなぃ、あたし、ぁ、目……なんかなってる?」
「……軽い充血が、見られますが」
覗き込んだイグナは、親指でキアシアの下瞼を引っ張り、入念に確かめたが。
特に異常ないと認めると、再び表情を固くした。
「キアシアさん。申し訳ありませんが、身支度を」
「どしたの……まだ、夜中よね?」
ランプが灯されて、テントの中は仄かに明るい。
ヨンドルドに滞在するにあたり、ゴドウィンが貸してくれたのは筏だった。
丸太数本を束ねたそれに、マットを敷いてテントを建てたのが、短期宿泊向けの寝床である。
こちらは女子用。
男子はもう一つのほうで休んでいるはずだが。
入口に、外に立つ影が差し、「イグナ、キア?」と陸歩の切羽詰まった声がした。
「なに。なんなの?」
「一大事です」
短く答えたイグナは、上着を差し出して、先にテントを出た。
それを肩にかけたキアシアも続く。
すでに抜き身にした剣を携え、陸歩とアインが共に――足元では黒猫も一緒に――夜空を睨んでいるではないか。
きりきりと逆立つ二人の緊張に、ようやくキアシアの眠気も覚める。
見回せば傍で、ゴドウィンも自宅船の上に登り、空を見ていた。
他にも明かりが近くに遠くにあって、街の皆が起き、同じようにしているらしいことが分かる。
本当に、一体何事か。
キアシアも空を見上げようとして――あっと思い出し、サングラスをして。
……これでは真っ暗で何も見えない。
そんな中、何か点が一つ、天の孔の横にある。
「星が、落ちてきてる」
陸歩の言っている意味が、一瞬呑み込めない。
「星、えっ? はっ、ここに!?」
「あぁ。どうも、ここに向かってるらしい」
まだ夢を見ているのでは……キアシアがそう思うのも無理はない。
この世界において隕石は、天の輝きが落ちてくる、大事件だ。
つまりは神が堕ちるに等しい凶事であり、この上なく不吉とされる。
それが街を目がけてくるなんて、聞いたこともなかった。
全く現実感なく、呆然と、彼女は訊ねた。
「お、落ちたら……どうなるの?」
「……イグナ、あれがこのまま落下したら、どうなると思う?」
「隕石の質量や速度が推測ですので、概算でしかありませんが。
おそらく――ヨンドルドの圏内は、残らず消し飛ぶでしょうね」
ひっ、とキアシアは息を呑む。
ちっ、と陸歩は舌を打った。
この天災が、単なる偶然と考えることは出来なかった。
よりによって自分たちが訪れた、その日の夜に隕石など。
だがまさか、攻撃にしても、星をぶつけてくるなんて。
「ゴドウィンさん! 街の人たちを、扉の樹へ!」
「あ、あぁ、あぁそうだな! 早く逃がさねぇと!」
「しかし、リクホ様……ワタシの計算では、もう猶予はいくばくも……っ」
「それでも! 一人でも多く!」
喧喧囂囂。
誰もが未曽有の危機を前に、泡を食っていた。
その中で唯一、アインだけが、静かに星を見つめ続けている。
「…………」
じっと、一心に、熱っぽく。
ついにはサングラスを取ってしまった。
魂に障るという孔と隣り合っている星を、真っ直ぐに睨み付けて。
口元には深い笑みを刻んで。
「――斬ってみてぇ」




