承:序 ≪星船≫
捨てた故郷に帰るなど、全く気が進まない。
押し付けられた仕事となれば尚更。
「――大丈夫ですか、ユーリー」
気遣いの言葉を平坦な声音で寄越す相棒に、おざなりに手を振ってみせる。
確かにあの街には、能力的に自分が適していることを、ユーリーは理解している。
というより当のあの街で培った能力なのだから、任ぜられるのが当然ではある。
土地勘だってあるだろうと期待されるのも、もっともというもの。
だからといって割り切れはしなかった。
何しろ自分と母を捨てた父親――もしくは自分と母が捨ててきた父親――が、まだ在住のはずで、顔を合わせる羽目になる予感がひしひしとして。
一体何年ぶりだろう。
今さら会って、なんと言う?
母の苦労でも教えてやればいいのか。
息子がどんなふうに生きてきたか、聞かせてやればいいのか。
「…………」
これと言うのも、リャルカの手落ちが原因だ。
トエンとミリアルドまで連れ出したというのに、あの蛇め、ジュンナイリクホを取り逃がすとは。
失態の穴埋めには本来、奴自身が出張るのが筋ではないか。
そもそも、演劇の街でとっとと追撃すればよかったのだ。
――ジュンナイリクホはあの地を救ったことで人々の信仰を集めた、バダムクワィンでの再度の襲撃は不利になる。
そんなことをリャルカはしゃあしゃあと抜かしたが、無様に腰が引けていると言わざるを得ない。
「…………」
冷静でないな、とユーリーは自覚した。
頭の中でくり返しリャルカを罵ってしまっているが、実のところ彼を嫌っているわけではない。実力は認めてもいる。
リャルカが言うのだから、バダムクワィンでのアドバンテージはジュンナイリクホにあったに違いないのだろう。
それでも不満に思ってしまうのは。
帰郷がひたすら、ストレスだから。
「……、クランシュ」
「はい」
呼びかけると、相棒はすでに目の前にいた。
きれいだな、とユーリーは思う。
彼女の形が好きだった。顔も身体も手も足も、全ての形、ラインが。
ふわりと金の長髪を広げる、聖女を模したヒトガタ。
黄金比の化身とでも呼びたい。
ひやりとしたその美貌は、きっとヒトには絶対に持つことは出来ない。
そんな彼女が直立の姿勢で、腕も足も組んで漂うユーリーとは逆さまに、無重力に浮いている。
見惚れるには十分だ。
「…………」
「ユーリー? 到着までの所要時間でしょうか」
「ん。うん。
あとどれくらいだ?」
「今しばらくかかるかと。ご容赦を」
「んにゃ、仕方ねぇよ。……鍵がありゃあな」
二度と戻るつもりなく、故郷を出たのだ。
扉の樹の鍵など、取ろうとも思わなかった。
ユーリーは窓へと目をやった。
船外には真っ暗闇がどこまでも続き、煌めく星々がばら撒かれている。
雲より上の世界は静謐として、美しく、荒れた心をいくらか慰めた。
時おり雷が走るのは、神が領域を侵す者に憤っているから。
だが無数の聖印で幾重にもコーティングしたクランシュの『星船』には、天罰は決して当たらない。
「……お前とは、長い付き合いだけど。未だに不思議だよ。羽もない船で、空を飛ぶのって」
「航空力学に、ユーリーの印章術を掛け合せた結果です」
二人が乗っているのは、外から見れば巨大な矢尻だ。
砂ほど小さな鉄をクランシュが結晶させて作り上げた船体で、暗黒の空を進むために異界の技術がふんだんに用いられている。
今は月から出発し、デニッツ大陸はヨルドンドを目指しているところ。
真っ直ぐ落下していくことは出来ない。大きく渦を描き、螺旋を収束させるようにしなければ。
空気の層に直接突っ込めば、星船がバラバラに砕けてしまうのだとか。
その辺りの匙加減は全て、クランシュに委ねてあった。
船内は球形。
部屋はここ一つきりで、壁面は乳白色でツルリと凹凸なく、物がなく殺風景。ただ椅子が二つだけ並んで生えているので全部だ。
操縦桿や計器類など諸々は、クランシュの頭の中にある。
『星船』はクランシュの身体も同じ。
「ユーリー、席に戻ってベルトで固定を。じきに大気圏に突入し、大きく揺れます」
「あぁ。――なぁ……帰るの、ゆっくりにって、出来ない?」
「減速は危険です。船体にかかる負荷が激増しますので」
「だよなぁ……」
「…………」
ため息を吐くユーリーへ向かって、クランシュはすいと泳いだ。
そして彼の首へ腕を絡め、額に額を合わせる。
「…………」
「…………。クランシュ? なんか言えよ」
「無言が一番効果的かと。
お気に召さなかったのなら、二番目に有効と判定されたアクションを、実行しますが」
「……これでいいや。お前はやっぱ、優秀だよ」
「恐縮です」
『星船』が大きく激しく揺れる。
クランシュの言う、大気圏というやつだ。
「ユーリー、席に戻ってベルトで固定を」
「やだ。もうちょい、このまま……」
「危険です。席に戻ってベルトで固定を」
ふん、とユーリーは鼻息を吐いた。
自らの踵同士を打ち合わせた――足の裏へ、青白い光の陣が広がる。
それは二人をその場に留め、船体の振動と無縁にした。
ユーリーの左手がクランシュの背中へ回る。
右手は彼女の左手と組み合わせる。
ワルツの構えになって、無重力を堪能するように、その場でくるり、くるり。
「地上まで、こうしてようぜ」
「危険判定が解消されました。お望みなら、お相手致しましょう」
窓の外ではいくつもの大陸、いくつもの海洋が矢のように過ぎる。
その忙しなさは、全く別世界のこと。
彼と彼女は、ゆったりと堪能するように。くるり、くるり。
「……親父、この機会にぶっ殺しちまおうかな」
「それが真に、ユーリーの望みなら」




