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急:序 ≪鍛冶≫

 一夜が明ける頃には、すっかり万端整えられていた。


 件の巨剣は既にジンゼンから下の、大地に降ろされている。

 重機級のカラクリが傍に持ち出されて、これを用いたのだろうが、それにしたって大仕事だったろうに。


 専用の作業場は、浮島ジンゼンの真下に用意されていた。

 炊事場なども用意され、どう見ても昨日今日の用意ではなく、しばらく前から時間をかけて設営されたものである。

 つまり……親方は、手ぐすねを引いて陸歩を待っていたわけだ。


 見上げればずっと上に浮遊する島の底。

 鈍色の叢雲(むらくも)に見えなくもない。

 ここはたまにジンゼンから剥がれた岩石が落ちてくるし、何より常に陽光が遮られるし、植物さえも寄り付かない場所だが、今はそれが好都合だった。


 そこへ掘られたのは、巨大なすり鉢状のくぼみだ。

 直径もさることながら、深さも大したもので、人の身長で数えれば六・七人分はある。

 ひとたび滑り落ちれば、上がるのに大変な手間がかかることだろう。

 

 巨剣はそこへ、ちょうど橋のように、こちらからあちらへ渡されていた。

 柄は外されていて、今はひたすらに長い鉄板にしか見えない。


 これから始められる通常を遥かに超えたスケールの鍛冶に、集められた職人の誰もがガヤガヤと興奮を隠しきれない様子だった。


「――はぁー。鶴の一声って感じ」


 ジンゼン中の鍛冶屋を連れてきたのではと思える光景に、キアシアは手元の作業を止めないまま感嘆を漏らした。


「あの親方って、だいぶすごい人だったのね。

 声かけただけで援軍をこんなに呼べちゃうんだから」


「なんでそんなに呼べちゃった連中に、このオレが、裸さらさなきゃなんねぇんだよ……っ!」


 現場の隅に広げられた茣蓙(ござ)、これが陸歩の控え場所で、彼はそこでパンツ一丁で毛布を申し訳程度に肩にかけている有様だ。

 隣ではイグナが甲斐甲斐(かいがい)しく、陸歩のコップへ茶を注ぐ。


 キアシアはウエスタンから割烹着(かっぽうぎ)に着替え、借りてきた移動式コンロで串に刺した肉や野菜を焼いていて、具合のいい数本を今まさに上げた。


「はい、リクホ、おかわりよ。

 しょうがないでしょう、服なんて燃えちゃう。もったいない。

 いっそのことパンツも脱いじゃえば?」


「絶対ヤダね!」


 つまり、陸歩を火種にしようという計画だ。

 巨剣の腹には職人たちが紫のインゴットをずらりと並べていて、これが例のフツマダイトである。

 超人薬由来で身に付けた陸歩の火炎は、当然ながら魔法でなく、その圧倒的な火力ならば鍛冶にも(かな)うと見込まれたのだ。


 キアシアが、フライパンをコンロから外す。

 中にはトウモロコシから作られた、トルティーヤにとてもよく似た料理がホカホカと湯気を立てていて、彼女はそれを皿に盛ると、ソースをかけてから陸歩へ差し出した。


「あんがと……。

 うぅ、思えばジンゼンでは、恥かいてばっかりだ……。昨日だってそうだし、前だって……。

 イグナ、唐辛子かけて」


「はい、リクホ様。――どうぞ」


「もっと頼む」


「は」


「もっと」


「もっとですか? しかし……」


 珍しくイグナが言い(よど)む。

 皿の上はとっくに赤く染まっており、これ以上辛みを上乗せするのであれば、直接唐辛子を(かじ)ったほうが手っ取り早いくらいだ。


「現在の状態でも、成人男性一日当たりの適正摂取量をオーバーしています。

 これ以上の添加は健康リスクの観点からも、ガストロノミーの視点からも、推奨できませんが」


「いいから」


「はぁ」


 出来上がった、ひたすら赤いだけの何かを、陸歩は躊躇(ためら)いなくパクつく。

 見ている方が辛い、目に沁みるようなそれを、彼は「んまいんまい」と繰り返しながら、本当に美味そうに咀嚼(そしゃく)するのだった。


 キアシアのこめかみに、薄っすらと青筋が立つ。


「つーかアンタ、いい度胸ね。

 あたしの作ったもん片っ端から真っ赤に改造してくれて」


 最初の一口の前に調味料をかける態度には、作り手として腹に()えかねるものがあるのだろう。

 特にキアシアは一族の秘伝、神への献上料理調理術を、幼少より長い年月を費やして会得した身だ。料理への情熱は、並みの人間の比ではない。


 バツの悪くなった陸歩は目を余所へ逃がし、言い訳のようなものを呟く。


「許してくれ、辛いもの食った方がよく燃えるんだよ」


 実に疑わしそうにキアシアは、イグナへと問いかけた。


「本当?」


「いえ。リクホ様の発火能力はカロリーとは関連しますが。

 辛み成分との因果は、現在のところ確認しておりません」


「ふーん?」


 キアシアのじと目に、陸歩はいよいよ顔を背ける。


「気分、気合の問題なんだよ。

 あと赤い方が好きなの美味しいの!」


 赤い方が好き。

 その言葉が懐かしくて、キアシアは思わず目を細めた。

 赤い方が好き。

 キアシアが呼び、陸歩を連れてきた神様は、あの始まりの時に、同じことを言った。


「あんた、だいぶ神様に染まってきたわね」


「……かもな」


「はい。おかわり」


「……、……。しっ。

 腹いっぱいになった。ご馳走さん」


 最後に茶を飲み干し、一息ついた陸歩は、弟子たちと段取りをしきりに打ち合わせている親方へと叫んだ。


「おやっさーん! 燃料入った!」


「おーう。こっちも積み終わるところだぁ。

 いっちょう、頼むわぁ!」


 陸歩は立ち上がり、そのついでに観念して毛布を脱ぐのだが。

 するとギャラリーが一斉に注目して……。

 頑健かつ神の祝福を受けた陸歩の肉体に、皆は感心しきりなのだが、だからといって見つめられては本人は面映(おもは)ゆいばかりだ。


「……イグナ、新しいパンツ用意しといて」


「かしこまりました」


 すり鉢の傍までやって来た陸歩は、さっさと巨剣を渡って、刃のちょうど中心に立った。

 敷き詰められたフツマダイトのインゴットは、こうして整然と並べば煉瓦のようで、本当に橋みたいだ。

 足の裏に感じるひんやりとした感触が心を鎮めていく気がする……もしかしてこれも、鉱石の持つ不思議な効能だろうか。


「――やるか」


 掌から大きめの火の玉を一つ、打ち上げる。

 これが陸歩側からの合図だ。

 返事として銅鑼(どら)の音があり、それをもって彼は全身から、あらんかぎりに発火した。


「おぉぉおおおぉおぉおぉぉぉ……、

 ……らぁっあああああ!!」


 わずか数秒で巨剣が赤に包まれる。

 当然陸歩自身もだ。

 すり鉢の内が、上空まで、彼の炎で満たされ、まるで(まゆ)

 濃密な紅蓮はいっそ黒く、今なお勢いを増していた。


「もっとぉおぉ!」


 陸歩が吠える。

 職人たちにはそれが、()ぜ音に聞こえたことだろう。

 より紅く。

 より熱く。

 限界を超えるべく、彼は心に(まき)をくべる。


「もっとぉおおおぁあ!!」


 実は陸歩自身、発火能力の上限を未だに確かめたことはない。

 マグマが六〇〇度から一二〇〇度。

 鋼の融点が約一五八〇度。

 では陸歩は、何度まで叩き出すことが出来るのか。


 いい機会だ。


「もっとおおおおおおおおおおおぉおおぉお!!」


 炎の温度がさらに上昇し、燃焼の範囲がじりじりと広がる。


 ――そのとき陸歩は、不思議な感覚を得た。


 深海のように重く閉じた赤のただ中にあって。

 目なんて固く(つむ)っているはずなのに。

 イグナが見える。

 キアシアが見える。


「――リクホ様の炎は……」

「――じゃあアイツ、普段から……」


 二人の声が聞こえる。


 それだけじゃない。

 親方が見える。聞こえる。

 チコが見える。聞こえる。

 居並ぶ職人たち一人一人が見える。聞こえる。


 全方位が一度に認識されている。


 気づいた。

 あぁオレ、炎が目になって、炎が耳になっているんだ。

 巨大な篝火(かがりび)が、循内陸歩なんだ。


 陸歩は自分の身体の所在を確かめようとして、

 このおびただしい熱量の中、自己と空間の境界は、(はなは)曖昧(あいまい)であり、

 ついに見つけられない。


 なんて――なんて、穏やかな心地なんだろう。


 炎の激しさ、苛烈さとは反対に、陸歩の魂はまどろむようで、清廉(せいれん)()いでいた。


 手触り。

 それは本来、足元に感じるべきものであったが、今は手触りとしか思えない。

 フツマダイトが溶け出している、手触り。


 陸歩の意識が一気に覚醒する。


「きた、きたきたきたぁ! おやっさん!」


 声では届かないと思い、陸歩はとっさに手を上げた。

 傍で見守る職人たちの驚愕といったらなかったことだろう。炎の球から突然、腕の形をした火柱が上がったのだから。

 すわ、神の怒りか、悪魔の暴威かといった光景である。


 右往左往とする人々。

 ただ、イグナと親方だけが陸歩の意を汲んでいた。


銅鑼(どら)ぁ鳴らせぇ!」


 親方が叫ぶも、事態にあっけに取られた弟子たちは。とっさに反応できない。


 イグナが駆けた。


「失礼いたします」


 人々の間を縫って銅鑼(どら)へとたどり着いたイグナは、たおやかな手を固く拳に握り、腕・肩・胴・腰・脚を完璧に連動させ、豪快に殴りつける。

 重低の大音響が辺りを包み、それが気付(きつけ)となって職人たちが次々に我へと返った。


 また銅鑼(どら)の音は陸歩の耳にも届いており、彼は一旦(いったん)炎を収束させていく。

 現れるのは真っ赤に染まった巨剣の姿だ。


「引け! 引けぇ!」


 親方の号令に合わせて、重機が全力稼働でもって巨剣をすり鉢から地面へと引きずる。

 溶け出した紫が混じる巨大な鉄鋼からは、地獄のような熱が絶えず発散されているが、ジンゼンの鍛冶屋たちはここからは一切躊躇(ちゅうちょ)しなかった。


「叩けぇ!」


 一斉に(つち)が振るわれ、金属を打ち付ける小気味よい音が唱和となって、何度も繰り返される。

 火の粉が、職人の汗が飛散し、そのたびに剣は刻々と生まれ変わっていくのだ。


 そのとき陸歩は。

 全くリズムを崩さず続く金鎚を聞きながら、すり鉢の底で、自分の掌をぼんやりと眺めていた。


 さっきのあの感覚……自己が肥大化し、延長されたような。

 まるで身体が何倍にも大きくなったような心地だった。

 

 それに、自分は始め、刀身の上に立ったはずだ。

 炎を引っ込めたその時、いつの間にかいるのは、すり鉢の中。降りた覚えなどないのに。

 ……あぁでも、四散した意識と認識をまとめるとき、確かに足元に集中したかも。


「単に炎が出る……ってことじゃなかったのか、この能力は?」


 また銅鑼が鳴り、陸歩の頭上に巨剣が戻され始めた。

 向こうから親方が、声を張り上げる。


「小僧ぉ! もう一度だぁ!」


「あいよー」


 陸歩はふと思いつき、手を上げて火柱を噴出した。

 その赤が巨剣に触れるくらいで、イメージしてみる――あの先端で、炎がまとまり、自分の身体に結晶する……。


「……、……ダメか」


 感覚が全然違う。

 陸歩は素直にすり鉢の壁面を登り、最後は跳躍(ちょうやく)して刀身に飛び乗った。

 その口元には、好奇心から(こぼ)れた笑みが、くっきりと刻まれている。


 今はとっくにパンツも燃え尽きて、真に素っ裸だという羞恥(しゅうち)も気にならない。


 この鍛冶は、陸歩にとっても良い特訓となるのやも。


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