後:転 ≪算段≫
見捨てられるはずがない。
陸歩はガスマスクだけ引っ被り、蹴破るようにしてドアを開けた。
バダムクワィンの建物は全て、ガスに対するために二重扉だ。
内扉を固く閉ざしてから、外扉の施錠を外す。
「な、おいっ、」
途端に倒れ込んでくるのは、必死でドアをノックしていた役者の若者たち。
防護服を着た全身にはおびただしい茸が生え、苦しそうにガスマスクの口元や、喉の辺りを掻き毟って、くぐもった咳を繰り返していた。
外では、街中の誰もが、そんな有様。
おそらくはバダムクワィン中が襲われている……。
「っ!」
扉を開けてまだ、五秒か六秒か。
にもかかわらずこの隔室内にも、陸歩の身体にまで、たちまち茸が発生し始め、獰猛に勢力を伸ばそうとしていた。
「この――っ!」
極光の翼を広げた。
左手に光輪が浮かぶ。
抜き身の鈴剣は、その刃で、肩翼を模す。
蔓延する茸、苦しみ悶える街の人々に、すぐさま神威『凡庸廃絶』を放った。
迸る紫電が、街を毒す多数派を、灰燼へと変えていく。
陸歩の腕の中、若者の全身からも茸が取り除かれた。
揺すって声をかければそれぞれから反応があり、命に別状はなさそうであるものの、弱々しく震えている。
精査をイグナに任せるために、内扉を開いてアトリエ内へ押し込んだ。
「そら――っ!」
その間も、陸歩は『凡庸廃絶』を緩めない。
外へ飛び出し、神威を街の全域に届けようと、さらに力を込めた。
背中の翼、右手の光輪。そして鈴剣。
それらが三位一体、一斉に鳴動し、神威圏をかつてない速度で、かつてない規模まで押し広げる。
陸歩は、中空を睨んだ。
夜を背景に、気球のように浮かび並んだ巨大な茸。
その上を跳んでやって来た三人組……うち一人、頭の長いシルエットが携えた盾に、見覚えがある。
「降りて来いっ!」
チッ、とリャルカが舌を打った。
すでに足場にしている茸は端から塵に。落とされるまで間もなかろう。
「作戦通りだ、お前たち。トエン、」
「滅ぼされても構わず、可能なだけ茸を増やし続ければいいんだよね」
「ミリアルド、」
「フィニッシュブローはウチの担当」
「よし」
三者とも、邪魔になる防護服を脱ぎ捨て、ガスマスクだけを口に噛んで飛び降りる。
トエン、ミリアルドは適当な建物の屋根の上へ。
リャルカは稲妻のように、愛槍の穂先で陸歩の眼前を抉る。
「やぁリクホ。その節はどうも」
「お前、リャルカ!」
危うく躱した槍の一閃。陸歩は間近に顔を突き合わせた蛇の亜人に、敵意を表す。
そんな彼へ、リャルカは口調をからかうようにして訊ねた。
「探し物は見つかったのかな?」
「っ、」
リャルカの問いはあくまで、鎌掛けだ。
が、陸歩の表情の変化。
やはり、偶然この街へ来たのではなく、明確な目的があって訪れたのだろう。
それが魔女一派の懸念している『例のもの』と、別な探し物であるなどと、甘く見立てることは出来ない。
「やはり君は、ここで始末させていただく!」
「やってみろ!」
翼型の刃が翻る、陸歩の渾身の剣。
これをリャルカは、相応の覚悟の元、槍で受けた。
「く、」
目の覚めるような一撃だ。
重たく、手に痺れが走り、少し受け方を間違えば槍ごとこの身を両断されていただろうと、容易く予感させる。
だが、それだけ。
神秘の形状をしながらも、あの刃は通常の剣と同じ。
――リャルカの読み通りである。
おそらくあの翼型は、循内陸歩が預かる神威と、同等の能力を有している。
つまりは多数派を滅する力を持った魔剣で、一本のみしかないリャルカの槍は効果の対象ではない。
突発的な不確定要素は、これで把握できた。
あとは事前に組み立てていた通りに、戦闘を運べばいい。
「リクホ、知っているか? 剣で槍に抗するには、三倍の実力がいるそうだっ。
君の剣はさて、私の何倍だ!」
穂先が反撃に閃く。
槍とは突き貫く武器でありながら、そこには斬撃も交ざって多彩。
長い竿形状を蛇は、我が身の延長のように自在に操り、手の中で滑らせ、回転させ、時に片手で時に両手で扱い、矢継ぎ早に敵を襲う。
食らう側からしてみれば、刃が面となって迫ってくるようにすら感じられた。
「っちぃ!」
陸歩は剣で、あるいは左手の篭手で、相手の攻勢を少しでも逸らすので精いっぱいだ。
三倍の実力云々の話はともかく、リャルカが一騎当千の使い手であることは疑いようがない。
技の精度、速度は見惚れるほどのレベル。
そこに互いの得物のリーチの差……陸歩は鈴剣を回して刀身を伸ばす暇すら与えてもらえない。
さらには、あの槍。
魔槍か。要所要所で、蛇のようにくねって軌道が変わるのだ。
こめかみを擦られ、血が散った。
頬を撫でられ、傷が刻まれる。
「く、っそ!」
陸歩の動きはいかにも悪い。
全てリャルカの狙い通りだ。
この街の環境で、陸歩は引火を恐れて火炎を用いることが出来ない。
集中を神威にも割かなければならない状況。
彼の剣技の程は、大よそ把握している。
イグナが出てこないのもリャルカに追い風だった。
それらは陸歩も自覚していて、焦燥がじっとりと額へ浮かぶ。
「お……らぁ!」
遮二無二、薙いだ鈴剣。
その決死の一刀も、リャルカは軽く後ろへ跳んで避けてしまう。
地面へ槍を突き立てた。
陸歩の足元が揺れた。
「が、っ!」
無数の荊が天まで立ち昇り、彼を閉じ込めズタズタに引き裂いた。
これこそが『荊槍』のリャルカの真骨頂。伸び、無数に枝分かれした、槍の穂先である。
絡みつく鉄の荊。
歯を食いしばった陸歩が、『凡庸廃絶』を放ち、滅ぼそうともがく。
「いいのかリクホ?」
「ぁ!」
意識と神威をリャルカの攻撃へ傾けた途端にだ。
除去し続けていた茸の勢いが盛り返し、周囲に笠が芽吹いていく。
蛇は二者択一を突き付けたのだ。
すなわち、自分の身か。街か。
「な、め、るなよぉ!」
咆哮と共に、陸歩は左手の光輪を頭上へ掲げる。
各大陸に点在する社の数が、この神威の力量。
始まりのときならばいざ知らず。
比べものにならないほどに強く、精妙となった現在なら、茸と荊を同時に相手取るくらい、
「そう、そこだ」
その瞬間が、リャルカの狙いだった。
陸歩の心臓を、ミリアルドの矢が、狙い澄ました。




