裏 《製菓》
扉を開けるなり、暖かくまろやかな小麦とバターの香りがオルトを出迎える。
「……なに、してんすか?」
「ご覧ん~んのぉ~、通りよぉ~」
鼻歌まじりに答える魔女は、無駄なフリルをこれでもかと付けたエプロンを半裸の上に着た格好で、めん棒で新たな生地を伸ばしているところだ。
竈を開けるのはフェズで、焼き上がったばかりの鉄板を、鋼の手で直接引っ張り出した。
……アジトのリビングにはキッチン台も、竈も、少なくとも今朝までなかったはずだが。
クッキー。
クッキーを焼いている。
あの魔女が、動物の型で、生地を抜いている。
カナがソファーにいて、先に焼けた分を齧っていた。
リャルカも隣におり、摘まんだ一枚をオルトへ振って見せる。
魔女が菓子作りに勤しみ、手下どもが舌鼓を打っている様を……家庭的、とはさすがに思えない。
果たしてこれは、如何なる邪教の儀式か。
何より異様なのはキリカで、皿に山盛りのクッキーを、目を血走らせて頬張っている。
ジョッキのミルクで無理やりに流し込んで、絶対に味わってはいないだろう。
主を失った自棄食いにしても鬼気迫っていて、オルトは背中に寒いものを覚えた。
「……なに、してんすか?」
つい、もう一度訊ねてしまう。
「オルトさんも味見してみなよ」
フェズの差し出す、猫型をした一枚を、オルトはすぐには受け取れなかった。受け取って、すぐには口に出来なかった。
さて、この菓子にはどんな呪いが練り込まれているか。
意を決して、一口。
「…………、……美味い」
「でしょでしょ!」
まだ暖かく、サクサクと歯触りよく、ほどよく優しい甘み。
手作りの素朴さが感じられ――かつて妹たちから誕生日に贈られた味を思い出したオルトは、そっと唇を噛む。
フェズは鉄板の上の残りを、半分はキリカの皿へ積んだ。
よく見ればそれはどれも、人の形。剣士や弓士や騎兵など、戦う者にまつわる形。
もう半分を、那由多の皿へ盛る。
こちらは様々な動物だ。
彼女、原初神様こそ、何をしているのだろう。
せっかく焼き立ての菓子、食べるのはほんの数枚で、後はピースに見立てて机の上の立体パズルの材料にしている。
伊達だろうが眼鏡までして、実に真剣に。
動物クッキーの凹凸を器用に組み合わせ、出来上がりつつ半球は一体何か。
「――ねぇオルト」
魔女が打ち粉をしながら、鼻歌のまま言う。
「リクホくんたちがさぁ、今、バダムクワィンにいるんだってぇ」
「……例の、演劇の街すか」
「そそ」
呼び出しの理由に察しがついた。
この世に何本の扉の樹があり、いくつの街があるか知らないが、千や二千程度ではないだろう。
その中で、ジュンナイリクホがバダムクワィンに訪れた……たまたまか。
それとも。
「オルトの力を疑うみたいで、失礼だとは思うんだけどさぁ。
……閉じ込めたモノが漏れたり、してないわよねぇ?」
「ない、はず……すけど」
歯切れ悪いオルトに、魔女は手をヒラヒラ。
責めているのではなく同意だ。
彼女自身、心得ているのだ。想像力ある限り、この世に例外は尽きない。
彼女自身、その化身が如き存在なのだから。
彼女自身、幾つもの絶対を揺るがせにしてきた。
軽々しく「ない」と断言されれば、そちらのほうが失笑していたところ。
誠実であろうとするならば、今のオルトのように、自らの能力についても慎重に「はず」を伴うべき。
「確認が必要よねぇ」
カナが口を挟む。
「加えて、本当に取りこぼしがなかったか、今一度念を入れておくべきかと」
「そうねぇ。アタシのプライバシーに関わる問題だものねぇ……誰かに行ってきてもらわなきゃかぁ」
勢いよく立ち上がり、食べカスを飛ばすのはキリカだ。
「魔女様っ私が、」
「あぁキリカちゃんはダーメ」
「な、」
「なんでって貴女。まだ全然食べ足りてないでしょうが」
「っ」
悔しさとアインへの恨みで涙さえ浮かべ、真っ赤になって細い肩を震わせたキリカは、猛然と振り返って再び獣のようにクッキーを貪る。
やはりただのクッキーではないのか、とオルトは思いつつ。
「おれが行きます。おれの管轄のことですし」
否を唱えたのはリャルカだ。
「君は金庫番兼金庫だ。ジュンナイリクホが魔女様の秘密に迫っている……かもしれない状況で、彼らの前へ出るべきじゃないな」
「でもよぉ……」
「気持ちは分かるが、ここは魔女様のために、万全を期そうじゃないか」
じゃあ、と魔女がまとめた。
「リャルカくん、行ってくれる?」
「承知しました。
トエンとミリアルドを応援に呼びます」
「うん。あの子たちの分、クッキー持ってって」
そのとき、那由多が「できた!」と声を上げる。
机上には一抱えほどの卵が完成していて、今まさに小麦色の殻に罅が入る。
生まれた。
クッキーで作った卵から、掌の乗るほどの翼龍が五匹生まれ出て、ぴぃぴぃと鳴くではないか。
那由多はそれらを愛おしげに目を細めて眺め、人差し指の先で優しく撫でる。
「んーんー、お腹空いたね。ほら、お食べ」
猪の形をしたクッキーを差し出すと、五匹は先を争って齧り付いた。
生命を、それも神の眷属とされる有翼種を、菓子から生み出すその所業。
原初神の面目躍如だ。魔女も手を叩いて喜ぶ。
「お見事ですぅ!」
「魔女さん、この子たち飼ってもいいっ?」
「もちろんですともぉ。名前決めなくっちゃね」
「あ、ごめん、何か大事な話の最中だった?」
「いえいえ、もう済みましたから」
答えつつ、目隠しの奥からの視線で、リャルカに合図。
蛇は頷き、身を翻して部屋を後にした。
左手に、鍵の形をしたクッキーを一つ、携えて。




