前:起 ≪手記≫
手記No.45:『奈落舞台』バダムクワィン
―― 杯の月/上目の曜 ――
ノイバウンの大地には、かつて神が右手の五指を突き立てたとされる、巨大な穴が連なる場所がある。
その深くから噴き出す蒸気と天然ガス。これの研究と利用を目的とした、奈落穴周辺への入植がバダムクワィンの始まりで、街はやがて魔術都市として興隆を極めた。
当地は高名な魔術師を何人も輩出し、「『氣』にまつわるはラムダ」と他大陸にも言わしめたほど。
が、それも昔の話。
今ではここは、演劇の聖地だ。
神代から現代までの1000年、魔法は諸々の事情により、緩やかな衰退を続けている。
大半の魔術学派がこの現実に抗うべく、派閥をより強固にしようと躍起である昨今。
そんな中でいち早く受け入れて、エンタメの街へと転身を果たしたバダムクワィンの柔軟さは、たいしたものだ。
舞台演出用の魔導研究により、むしろこの街の魔的な最盛期は今なのでは。
住まう人々はだいたいが演劇関係者。
役者は言うに及ばず、監督、奏者、演出家、劇作家、興行主、宣伝業者、化粧師、大工、仕立て屋、髪結い、殺陣師、弁当屋、そして魔術師……。
本当に多様な専門家たちが、日夜働いている。
つまりは一つの舞台が、本当に大勢の努力と創意工夫によって成り立っているってことだな。
各職種、フリーランスで活動している人たちもいるが、多くは劇団に所属している。
バダムクワィンには大小様々、200~300の劇団が存在して、そのパワーバランスがそのまま街の政治模様だそうだ。
都市運営も劇団協会が仕切っていて、もはや議会と大差ない。
オレたちの世界でいうところのハリウッドよろしく、華やかな演劇産業の街として栄えるバダムクワィン。
しかしその始まりの動機は、夢や浪漫や憧憬や、その他プラスのモチベーションではなく……もっとずっと切実な思いであっただろうことは、ノイバウン大陸の風土を見れば容易に想像がつく。
痩せた大地。
鈍色の雲が厚い空。
一年の半分を豪雪が覆う、厳しい環境。
そんな中で人々は、本当に差し迫って、娯楽を求めたに違いない。
悪い言い方になってしまうだろうか。心を逃がす場を、空想の中に求めたんだ。
……なんだろう、その思いに感情移入するの、あの人を思い出してちょっと辛い。
お話を考え続けて、心を紛らわし続けていた、あの人……。
…………。
また、大陸内の経済循環も細く、かといって外貨獲得に有効な手段も乏しいノイバウンは、別の活路を必要としていた。
それが元は天然ガスと魔術だったんだろうけど。
劇ってのは、本当にいい目の付け所――そう思うのは、単にオレ自身が映画好きだからなのかな。
バダムクワィンが培った魔術で、最も注目されるべきは結界術である。
すなわち空間を区切る術、空間に任意の属性を付与する術であり、これが今の演出魔術の礎だ。
『舞台』を『世界』から区切り、切り出し、術師の思うままに着色する。
見栄を切る役者の背後に、反り立つ水と氷の壁……これがスクリーンに映した像でなく、本当に氷水を操っているのだから、リアリティってかリアルそのもの。
ただ、公演のたびに舞台へ対して術を掛け直してなんかいれば、魔術師の魔力なんかあっという間に干からびちゃう。
だから小道具型の魔具を開発して、使い回しが出来るようにしてるわけだ。
例えばセットの樹一本を魔具にしておいて、その機能で草木茂る森の幻を作り出す、とかね。
そういう意味では、この街は舞台演出用魔具の一大生産地、と言い換えられるか。
魔導研究ってのは要するに、新しい魔術式を編み出して、これを魔具に落とし込むことに他ならない。
その一連をバダムクワィンは、各大陸からの太い需要に後押しされて行っているから、技術は日進月歩で他の追随を許さないんだ。
需要。まぁそりゃ、あるだろうねぇ。
娯楽は分かりやすく良いものだからね。
門外の人々からすれば、何の役に立つか定かじゃない研究より、演劇のためと明確であるこの街の魔術師たちへ、出資する気になるのは当然だろう。
だろうけど……オレも一応は研究者を志した身だからね。
バダムクワィンの活発の裏で、直接は利益に結びつかない学問への資金提供が後回しにされている世知辛い現実に、思うとこあるなぁ。
それはともかく。
多数のスポンサーがこの街へ力を貸している。
主には会社や組合や街、そういった組織の長を務めるような人たち。
劇の幕間で自社の名前を掲げてくれればいい宣伝だ。
オレたちの世界のコマーシャルと同じ事情だな。
だいたいは劇団のどれかに出資するものだが、もっと豪気な御大尽様は、バダムクワィン自体へ金を流しているとか。
それで根本的な演出の傾向とか、衣装に用いる色なんかに口を出し、流行を操作する、と。
スケールでっけぇなぁ。
逆に、個人を応援する人々も。
贔屓の監督の後援会、役者のファンクラブなんかがそう。
特に劇作家は注目されがちで、優秀な書き手は「私の半生を書いてくれ」とのオファーが絶えないそうだ。
演劇の聖地とまで呼ばれる所以は他にもあって、『合鍵』の存在が何より大きい。
バダムクワィンの魔術師は、ここに立つ扉の樹を調べ、200年も以前に鍵の複製を実現したんだ。
とんでもない発明。
留意すべき問題点は散見する。
一度の使用で破損する、とか。
この街の樹に対してのみ当てはまる技術で、何故か他の街では今のところ再現できていない、とか。
それでもやっぱり、神の奇跡に匹敵する、とんでもない発明。
バダムクワィンはこれを安価で大量に販売した。
つまりは劇のチケットだな。
買った人は指定の日時にこの街へ、観劇にやってくる。
通常、劇場を備えた街は人気で、伴って鍵は高くなり、もっぱら上流階級のもの。
となれば自分の地元へ巡業がやってくるのを待つしかなかったから、これは画期的なシステムだ。
他の演劇を主力とする街でも真似は出来ない、バダムクワィン独自の強み。
で、オレたちがそんな街を訪ねたのは、やっぱり劇が目当て。
でも探している物語があるかは分からない。
キアシアが不明瞭ながら必死に求めている、何かの御伽噺。
図書館の街、活版印刷の街では、いずれも空振り。
なら演劇の街ではどうか、というのは意外にも、アインの思い付きだ。
確かに、この街には高名な劇作家も多い。
キアの探し物のヒントもあるかも。
それにオレ今、お芝居にはすごい興味ある。
誰ぞ実力ある役者さんにご助言頂きたい。
自分以外の誰かになりきる技術。心を自在にする業。
まさにオレの修行の続き、次段階に、持ってこいじゃん?
イグナの言う通りにオーディションを受けるほどの度胸は、さすがにないけどね。




