結 ≪尻尾≫
いつの間にか寝ていた。
薄っすらと目を覚ましたキアシアは、けれどもまだ起き抜けず、身体を横たえたままぼんやりとする。
揺らめく焚火があんまり暖かで、気付けば寝ていた。
身体に巻き付けた毛布。
だけでなくもう一枚が掛けられて、仲間の心遣いだろう。
枕まであって、イグナか陸歩か、本当に気が利く……が、枕とは頭の下にやるもので、顔の上に置くのは違うんじゃないかぁ……、
枕ではない。枕はもぞもぞ動かない。
「……、……降りろぉ」
頭に座り込んだ黒猫へ、キアシアは気だるく訴えた。
が、にあ、と返ってきて、それだけだ。
ならばこちらも実力行使。構わずムクリと身体を起こす。
しかし黒猫は抜群の平衡感覚でもって、多少の移動で頭の上に乗ったまま。よほどこの場所が気に入ったのか。
「……せめてさぁ、肩とかにしない?
頭だとさぁ……なんだか、舐められた気分するんですけど?」
にあ。
悪びれた様子もなさそう。
キアシアはやれやれと嘆息しかけ、欠伸が代わりに出てきた。
眠っていたといっても浅く、また短かったようで、疲労が鈍く残ったままだ。
もう一度、欠伸。
何か夢を見たような気がする。
そのとき、黒猫が座る向きを変え、目の前にぷらりと尻尾が垂れた。
猫の、尻尾。
「――――っ」
目の中、心の奥で、何かが弾ける。
とってもとっても、大事な何か。
思わず両手で、黒い尻尾をがしりと掴んだ。
頭上から地獄のような獣の悲鳴。
「あ、あっ、ごめ、ごめん!
あだ! 痛だだだ! ごめんだから! ごめんて!」
頭皮に爪を突き立てられて涙が浮かぶ。
尻尾を放すと猫はさっと逃げようとするが、キアシアはすかさずその小さな身体を抱えるように捕まえた。
地獄の声音、再び。
「ごめんごめんごめん!
もう尻尾には触んない! 触んないから!
お願いだからよく見せて! ね! いい子だから! おやつあげるから!」
なおも唸りながらも一応は抵抗を止めた黒猫を、目の高さに抱き上げて、その尻尾を真剣に注視するキアシア。
猫の尻尾。
何か。何か、とても大事なことが、あったような。
「…………」
「……キアシアさん?」
「雄雌でも調べてんのか?」
イグナもアインも怪訝な顔だ。
居眠りしていた仲間が起きるなり、猫と大騒ぎし出したのだから当然の反応である。
だがキアシアは、そちらへは意識も傾けない。
猫の尻尾。
何か。何だっけ。
何を、するんだっけ。
物語にまつわる何か。
誰か、誰だったか有名な作家を探そうと……。
「――あたしっ、図書館に行ってくる!」
「ミクストンへ? 今からですか?」
イグナの表情に怪訝が深まる。
もう間もなく夜だ。この時期、日は意外なほど短く、辺りはとっくに暗くなり始めている。
こんな時間に、急に、なぜ図書館に。
それはキアシア自身にも分からない。
何か、多分作家の名前、を調べなくてはならない……その焦燥だけが胸に高まって、それは黒猫の尻尾を見るたびに、ますます濃くなって。
「と、とにかく行かなきゃ!」
「せめて明日にしては?」
「でも! 今じゃなきゃ、きっとまた忘れちゃう!」
「なんかに書いておきゃいいじゃねぇかよ」
「そういうことじゃないんだってば!」
「ですが夜道も危険でしょうし」
この押し問答に、陸歩だけが唯一加わらない。
彼は、焚火の前に立ち、あたかも鈴剣の白刃を炙るかのように差し出して佇んでいた。
その姿に黒猫がにあと鳴き、視線をやったキアシアも思わず息を呑む。
彼には、何の表情もなかった。
刃は硝子さながら透明に澄み切り、光源の具合が僅かに変わると、輪郭さえ空気に融けて消えるよう。
雰囲気づくりのため、わざわざ手配した魔具の竪琴。
自動で選曲し奏でてくれるはずのそれも、何かを察してか今は止まり、世界は静謐としている。
彼には、何の表情もなかった。
唐突に、その頬に涙が伝う。
何を想って泣いたのだろう。
刃はたちまち二又に分かれ、目を凝らせばそれは音叉そっくりに細かに振動している。
唐突に、その髪が逆立ち天を衝く。
何を想って怒るのだろう。
刃は泡立つ溶岩の面相を見せ、次の瞬間には片刃の大剣……いや、斧とでも呼ぶ方が正確な猛々しさ。
唐突に、その口角が慈愛の弧を描く。
何を想って微笑むのだろう。
刃は鋼ですらなくなり、木目を浮かび上がらせ、峰に蕾が膨らみ花が咲いた。
唐突に、その表情が引き締まる。
何を想って……きっと、心の中で戦っている。
あれは戦士の表情だ。
何か譲れないもののため、不退転の覚悟で臨んでいる。
矜持も命も魂も、自分の全てを賭けて挑んでいる。
刃は稲妻を模し、鋭く、鋭く、ひたすらに鋭く。
焚火から燃え移ったかの如く、紅蓮を衣と纏う。
唐突に、
「――は、っ、」
陸歩の張り詰めていたものが切れた。
集中力の限界だ。
額をいっぱいの汗で濡らした彼は、姿勢を崩し、剣を持っていない方の手を膝について、何度も荒い呼吸をする。
バツが悪そうに笑った。
「今は……振り絞っても、ここらまで……だな……」
「いえ。素晴らしい才能かと」
イグナが、あからさまではないものの、平坦な声にうっとりとしたものを含ませて言う。
「ほんの短期間の訓練で、それほどの没入。さすがリクホ様。
元より高い想像力や共感能力をお持ちでしたが、感情表現もここまでお上手とは」
アインの評価は真逆である。
「んで戦いのたびにそうやって棒立ちになってウンウン唸りながら、ようやく剣の形を変えるのか?
どんだけ持続すんのかも怪しいし、使い物になるかよ?」
「そこは反復練習だな。
――イグナ、いいよ。落ち着いて。
いろいろと課題は多いけど、見えてきたものもあるし、割と大丈夫だと思う」
「……。あんま待たせんなよ」
と言うだけに留める辺り、羅刹も実のところ、この精神修養をそれほど侮ってないらしい。
つい呆気に取られていたキアシアだが、我に返る。
起きたんだ、と笑いかけてくる陸歩に、猫を抱いたままズズイと寄った。
「リクホ、あたしね! 図書館に行ってくるから!」
「ミクストン? 今から?」
やっぱりイグナと同じ答え。
キアシアはそれでも、とにかく絶対だ、という態度を崩さない。
彼の鼻先へ、猫を突き付けてまくし立てた。
「ちょっとこの子、借りてくからね!
ご飯はなんか上手いことしといて! それじゃ!」
「あ、おい、キア! 待てって!
――行くから! オレらも一緒に行くから! 片付けるからちょっと待てって!」




