起 ≪手記≫
手記No.23:『帝立大陸図書館』ミクストン
―― 追記①:箙の月/裏舌の曜 ――
改めて訪れて、また圧倒された。
この街の本の量よ。
夥しい、なんて表現ではとても足らない。
何万冊? 何十万冊? あるいはもっと。
司書の人たちでも、正確な数は分からないそうだ。なにせ、数えている間にも蔵書は増える一方だから。
初めて来たときには単純に、本という高価なものがこれほど集められている光景に、度肝を抜かれた。
この世の真実を知った今では……感慨は、ひとしお。
いや、この世どころじゃない。あの世にも、その世にも、どこの世にでも通ずる真実、宇宙の正体。
すべての世界、全部の次元が例外なく、どこかの誰かに著された本の中身――物語であるなんて。
世界は誰かの想像力から生まれる。
ここはナユねぇが空想した天地。
さらにその内側でこうして、数万? 数十万? あるいはもっと、棚に世界がひしめいているわけで。
そして一冊を取り、潜ることが出来たなら、内側ではまた星の数ほどの世界が瞬いているのだろう。
なんというか。
あまりのスケールに、頭がおかしくなりそうだ。
そりゃあ、図書館にある本の全部が全部、小説ではないにしても。
もはやオレにはどの一冊も、ただ紙面にインクを這わせたもの、とは思えない。
もっと重大な情報の塊……。
行間にすら、時空の奥行が込められているように思えて、斜めに読むなんてとんでもない。
そして本に対する、この現実感とでもいうべきものは、今回の場合は大変有効だと思う。
剣林での敗北は苦かった……。
あの様には言い訳のしようもない。
わずかに本気を覗かせた鞘人形が構える必殺の型は、今でも鮮明に目を浮かぶ。身体に震えが走る。
端的に言って、怖かったんだ。
数百年にも渡って最強の座に君臨し続けた、本物の中の本物、達人の中の達人が垣間見せた、純然たる闘争の意志が。
あれに斬りつけられるより前に、オレはすでに負けていた。
剣閃の交差する束の間、鋭さを失った鈴剣の刀身。
あれはつまりオレの心が、絶対に勝てないと怯んだ結果だ。
……我ながら、なんたる軟弱。
痛感したのは、技を磨き直す前に、まず心。心を鍛える必要がある。
どんな状況、絶望的な逆境にあっても、剣を折れず曲がらず鋭利なままで保つために。
これを会得しなければ、どれだけ剣術の稽古を積んでも、それはきっと……極限の瞬間、剣閃の交差する刹那に、意味を失くすことだろう。
その予感がある。
現にそうだったんだから。
少なくともこのネガティブを払拭しなければ、師匠に合わせる顔すらない。
精神修養を求めたオレに、イグナが推奨したのが、ミクストンだった。
山籠もりや滝行、崖登りだって辞さないつもりだったから、図書館を勧められて、正直面食らう。
だが彼女は、オレに真に必要なのは感情を自在にする、マインド・マネジメントの能力だと見定めたらしい。
なるほど、望んだ感情を望んだタイミングで呼び起こす技か。
心に応じて形を変える魔剣には、思えば必須の技能じゃないか。
ただ、言うほど簡単じゃない。
理由もなく涙は出ない。
腹の底から笑うには、目の前に面白いことがなくっちゃ。
「再現でよいのです」とイグナは言う。
「嬉しかったときの胸の震えを覚え、思い出せさえすれば」
だから図書館、だから物語。
ミクストンには数え切れないほどの喜怒哀楽の経験、心の動きが、蔵されているんだから。
オレはもう、数十という物語、その断片へ触れた。
登場するキャラクターへ、まるでその人物こそ自分かのように、感情移入する訓練。
俺は喜ぶ。
僕は怒る。
私は哀しむ。
オレは楽しむ。
この世の真理を知った今のオレにとって、『彼ら』はもはや架空の人物ではない。
オレたちとは異なる次元で生きている、本物の存在だ。その心情は本物。
本に対する、この現実感とでもいうべきものは、今回の場合は大変有効だと思う。
……そう調子の良いことを言っても、他人になりきるのはやっぱり難行だし重労働だ。
集中力を凝らさねばならず、気力体力も振り絞り、もしかしたら野を駆けるよりもよっぽど消耗するかも。
熟読の必要があり、冒頭から結末まで全文を追っていたら、とても時間が足りない。
イグナが本を精査して見繕い、主要部分を抜き出してくれるおかげで、この修行はようやく成り立っている。
俺は、身の程知らずにも領主の娘に恋をした、愚かな農夫だった。
僕は、異界の悪魔を人知れず祓う特別な教会、そのメンバーだった。
私は、恋人の数だけ自我を持つ、無貌の情婦だった。
オレは――このオレは本当のオレ――循内陸歩は理系だから、正確なとこは分かんないんだけど。
文学部の勉強って、こんな感じなのかな?
いや、これはどちらかというと、役者の勉強っぽいのかな。
さぁ、次の物語を紐解こう。
そこにある喜びに、怒りに、哀しみに、楽しさに、魂を共振させよう。
オレは愚者で魔術師で教皇で恋人で隠者で吊るされた男で死神で。
オレはあらゆる誰をも、追体験する。




