結:結 ≪決着≫
一歩。
また一歩。
一歩ごとに、自身が絶えていくのを感じる。
ムミュゼは、一歩ごとに、自分が死んでいくのを。
魔剣を全て放り出し、キリカの鎧を着てなお細い身体にしがみ付いて、敵に背を向けている。
こんなもの、敗走ですらない。
勝敗からさえ逃げる行為だ。
誇りを投げた、最も唾棄すべき醜態に違いなかった。
一歩ごとに、剣士としての自分が死んでいく。
ぼんやりとだが、そのことは分かっていた。
……それよりも、頭の中身は恐怖でいっぱいだ。
積み重ねてきたもの、かき集めたもの、ムミュゼの人生の全部が斬り捨てられたのだ。
自己を残らず否定され、へし折られれば、後には怯懦以外に何があろう。
この場はもはや自力ではどうしようもなく、そんなときに最愛の少女から手が差し伸べられれば。こうする以外に、どう出来得るか。
これは、仕方のないことだ。
誰だって例外なく、この状況ではこうならざるを得ないに決まっている。
だから、自分のこの様は、必然ですらある。
――無理やり捻り出した屁理屈に、ぐしゃぐしゃの心は必死で縋った。
およそ剣士の有様ではない。
ぼんやりとだが、そのことは分かっていたが。
一歩。一歩。のろのろと、一歩。
剣士として死にながら、一歩。
あるいはもう、死んでいるのかもしれない。
でなければ、仮にも剣士なら、こんな卑しい真似、出来る、はずが、
「――待てよっ! 剣士ムミュゼぇっ!」
はっとした。
剣士。
今、ムミュゼを指して、そう言った。
他でもない、自分を完膚なきまで打ちのめした敵が、そう言った。
アインヴァッフェ・イリューが、この僕を、剣士と呼んだ。
なんて単純なんだろう。
たったそれだけで、自分を思い出す。
矜持が再燃する。
「ぁ、ムミュゼ様!?」
キリカを横へ突き飛ばした。
まるで予期していなかった彼女は簡単にバランスを崩して転んだ。
ムミュゼは、シャツの胸を掻き毟って、アインを振り返る。
足元にはキリカが零した聖剣。拾い上げて、放った。
目の前の地面に突き立った剣に、羅刹は目を眇める。
「取れ、アイン」
「……おぉ」
促されるまま柄を握ると、それが呪いを解く条件だったのか、身体を貫いていた刃が霞となって消えた。
口元の血を拭ったアインは、正眼に剣を構え、足を前後に肩幅で開いて腰を落とす。
道場で一番初めに習うような型で、切っ先には呼吸による揺れもなく、静かに待った。
一方で、ムミュゼは自身の篭手から鍵を抜く。
封じた力と本性は全て、いたずらに振るわぬようキリカに預けたが、これだけは自身で肌身離さず持ってきた。
掌に挿し、開錠。
空気が逆巻き、灰燼が手中へ集い、それは一振りの剣へと結晶する。
いつぶりだろう、これを抜刀したのは。
如何なる魔法も帯びてはいない。
如何なる宝飾も施されてはいない。
これは魔剣でもなんでもなく、さほど鋭くもない刃は鉄の棒と変わりなく。
鍔も柄も鎺もその他どんな部品も、街の鍛冶屋の手によるもの、何の洗練もされていない。
それでも、これこそがムミュゼの愛刀に他ならない。
これこそ、まだ何者でもなかったムミュゼ・ミアトが、故あって手に取った、始まりの剣。
ムミュゼ・ミアトを剣士にした剣。
「悪かったなアイン、水を差した」
「なぁに。代わりにいいモンが見れた」
「あぁ。自慢の剣だ」
アインと同じに構える。
だが、ムミュゼは気付いていないが、羅刹が見つめているのは剣ではなかった。
いい顔だ。
心を一番最初、少年に巻き戻したムミュゼのする表情は。
真剣で気迫に満ちていて。
無垢で真摯で余計なものが何もない。
「決着をつけよう。
アイン、お前は僕が斬る。
僕のことは、お前が斬れ」
「ああぁ……いいぜぇお前、上等だ、極上だぁ!」
もはや互いを区切る線はない。
同じ域にて相対す、剣士が二人。
ここは真に、修羅の世界と化した。
「魔女高弟十六人衆が一。
箙の月、『華箙』のムミュゼ・ミアト!」
「重量操作剣、無所属!
落月、『塔剣』のアインヴァッフェ・イリュー!」
「参るッ!」
「ぶった切る!」
剣士として生きた者が、剣士として死ぬ。
あまつさえ、末期に死力を振り絞って。
白刃に自らを捧げてきた者どもは。
これをこそ、幸運と呼ぶ。
>>>>>>
一緒に笑った人。
一緒に怒った人。
一緒に悲しんだ人。
ずっと一緒に過ごした人。
いま、一緒に泣いてくれるのは、空だけだった。
それは、虎の咆哮か。
否。
荒野に響くのは、キリカの慟哭だった。
喉が潰れるほど叫んでも、尽きることはなかった。
どれだけ彼の名を叫んでも、答える者はいなかった。
胸に抱いたムミュゼの首は、まぶたを閉じ、二度と開くことはない。
一面に散らばる虎の死骸、血溜りに、強まる雨が降りしきる。
無惨に転がった魔剣の群れは、鞘もなく、しとどに濡れた。
未だ鎧の中、キリカは怨嗟を吐き続ける。
よくも。
よくも。
どうして。
なぜ。
彼が死ぬくらいなら自分が死にたかった。
彼を亡くしたら生きてなんかいけない。
彼を愛していた。
彼が世界だった。
彼がいてくれればそれで幸福だった。
彼以外を望んだことはなかった。
なのに。
なぜ。
どうして。
よくも。
よくも。
許せない。
絶対に許さない。
アインヴァッフェ・イリュー。
必ず、必ず殺してやる。
必ず。
その言葉を、キリカはひび割れた野獣の声で、天へと吼えた。




