破:序 ≪納品≫
鍛冶場を見ると、剣士は強くなれなくなる。
世間で広く知られた風説であるが、実は全くの迷信というわけでもない。
これは元を辿れば、真っ赤に焼けた鉄を見るのが、視力に悪いことからきている。たたら師などには近眼の者が多くいるように。
剣士にとって目は命。
加えて験を担ぐ人種であるから、鍛冶場は潔癖なまでに避けるものだ。
そういう輩は刀の受け取りには、名代や小姓をやるものだが。
陸歩はそんな身分ではまさかなく、そもそも自らの眼球が発火するのに、今さら焼けた鉄で視力うんぬんもない。
縁起などどこ吹く風で、剣を世話してもらっている工房を、自分の足で目指した。
「ていうかリクホさ。
あんた、わざわざ剣なんて必要なの?」
道すがらでキアシアが訊ねる。
訝しんでいると言ってもよくて、そしてその態度はもっともだ。
「イグナがいるじゃないの。たしかこの娘、光の剣を出せたでしょう?
リクホにしたって、炎の力も信託者の権能もあるのに」
「まぁな。キアの言う通り、イグナは強くて賢くて可愛い、オレの自慢だ」
「リクホ様、照れてしまいます」
「それにもしオレ一人きりになったとしても、大抵の状況なら何とか出来るとは思う」
語る中身に反して、陸歩の口ぶりは固い。
彼は自身の力を過信などしてはない。むしろ、全く逆。
その内心を、「でも」と続けて吐露し始めた。
「でも、これからもずっと、能力のごり押しだけで全部を打破できるなんて、そんなのは甘すぎる見立てだろう。
この広大な世界には、並外れた相手ってのは、いくらでもいるんだよ。
……歩き続けるには、オレも力を磨かなきゃ」
未だにキアシアは釈然としない。
彼女の基準では、陸歩はまじりっけなしに最強だ。
たった一人で羅刹のように、一族の敵を討ち滅ぼしてくれた彼こそが。
それが、さらに『上』を想定しているというのだから。
「……で。剣?」
「あぁ。剣術ってのは本当に奥が深い。きっと切り札になり得るよ……極められれば、だけど。
そのために師匠に弟子入りもしたんだし」
キアシアはふと思い出した。
「そうだ、そのお師匠様からの伝言」
このジンゼンに、陸歩が師匠の口利きで立ち入っているように、キアシアもまた連れて来てもらってここにいる。
その際に、彼女が預かった伝言が、こうだ。
「『素振り、サボるんじゃないぞ』ってさ」
「ちゃんとやってるってのに」
「それから、『次はいつ来るんだ。鈍る前に来い、すぐ来い、さっさと来い!』だって。
あんたの師匠、思ったよりずっと可愛い人ね」
「だろ」
キアシアは思い出してクスクスと笑い、陸歩も微笑を漏らす。
そうして浮島ジンゼンを、だいぶ外縁まで歩いた。
「ここだ」
着いた工房は端も端、それより先には建物はない。
というか地面もなく、崖と青空ばかりだ。
申しわけ程度の転落防止柵は、人の背丈の半分ほどしかなかった。
こう外側では地価も安いのか、敷地はだいぶ広めだった。
建物も風格があって立派で、ただし高さだけは他ときっちり同じ。
これは法令によって定められたもので、時たま浮遊するはぐれ岩が、ジンゼンの上空を行き過ぎることがあるからだ。
先に挙げた、剣士は鍛冶場を見ると……という話。
あれは職人側ももちろん了解していて、そのためジンゼンの工房は、母屋のさらに奥に配される形になっており、直接入ることは出来ない。
なので陸歩たち一行も、素直に玄関の引き戸を開けて、土間から声を張った。
「ごめんくださぁーい。陸歩ですぅー!」
しかし、返事はなし。
「もしかして留守?」
キアシアの言葉には、イグナが首を振った。
「いえ。鉄を叩く音が聞こえます」
「えっ、本当? ……全然わかんない」
陸歩、腹から、もう一度。
「おやっさぁーん! 来たよぉーっ!」
――聞こえてるよぉ。
いいから勝手に入ってこいやぁ。今ぁ手が離せねぇ。
「だってさ。いいって言ってるし、上がらせてもらおう」
「えぇ? 何も聞こえなかったわよ?
……もう、リクホもイグナも耳、良すぎ」
靴を脱いで、奥の工房へと向かうが、前に一度来たっきりの建物だから、さすがに陸歩にも道筋は不明瞭だった。
こういうときはイグナが頼りで、完璧に記録した彼女に従って進む。
ジンゼンの家屋は、廊下に特徴がある。
ずらりと途切れなく窓が取り付けられているのだ。横に引くのでなく、前に押し出すタイプの。
家の中に鍛冶場を作るため、換気はこのような形で腐心され、またいざ火事となった際には脱出経路とする訳だ。
だから陽光が燦々と差し込み、その熱を穏やかな風が吹いて中和していて、とても心地いい。
気の利く弟子を多く抱えているのか、掃除も徹底されている。
鍛冶部屋の前。
ぴったりと閉じられた戸には鬼灯が掛けられていて、これはこのランタンに似た植物が、炎を漏らさない様を連想させて縁起がいいからだ。
陸歩が引手に触れるより先に、内側から開いた。
そして少女が出て来て、相好を崩す。
「どうもっす、リクホさん! お待ちしてました。
すみません、お出迎えもしないで」
「よう、チコ。いいよ別に」
チコと呼んだ彼女は、この工房に住み込んでいる弟子の一人だ。
若く、小柄で、女子であるが、筋は抜群によいらしく、ほとんど助手として働いているという。
着物の上をはだけて、さらしを巻いただけの身体を露わとしていて、陸歩は目のやり場に困るのだが。本人は鍛冶以外のことは、とんと気にしない。
「あー、タイミング悪かったかな? おやっさんは?」
陸歩が首を伸ばして工房を伺おうとすると、チコが慌ててぴょんと跳ね、手をブンブンと振って遮る。
「わっ、わっ! ダメっすよ剣士が鍛冶場を見ちゃ!
親方はちょうど打ち始めちゃったところで。
リクホさんの剣はこっちっす。どうぞ」
チコに案内され、また別な廊下を渡り、たどり着いた部屋。
中には物干し竿で組んだ矢倉のようなものがいくつもあって、そこへびっしりと剣が掛けられていた。
座布団を二枚だけ出したチコが、イグナとキアシアに勧める。
「どうぞ、座ってください。
リクホさんは、そっちの椅子で」
合図があったかのように、さらに二人の少女が部屋を訪れた。
チコの妹弟子と見える彼女たちは幼く、まるで座敷童のようで愛らしい。
盆に急須や湯呑を載せていて、齢に似合わないテキパキといた熟練の手つきで、イグナとキアシアに茶を振る舞った。
「ありがと。ん、美味しいわ!」
「いただきます」
陸歩も同じものをもらい、すすりながらチコを待つ。
帳面片手のチコは竿矢倉を次々に、これじゃない、こっちでもないと探している最中である。
「えっと……あぁ、あった、これっすね」
目当てのものを見つけたのか、彼女は一刀を携えて戻った。
そして陸歩へと、恭しく差し出す。
「ご注文の剣です。ご精査ください」
「……へぇ?」
妙な声で返事してしまったのは、渡されたものが想像とは全然違ったからだ。
白鞘込めのそれは、すらりと細く、鍔もないため、一見すると杖のように見える。
というかこの状態では本当に杖で、これは旅長い陸歩への、工房側の配慮だった。
飾りもまた予想外だ。
鍔の代わりに、鈴が付けられている。それも一つ二つでなく、葡萄のようにびっしりと。
柄頭にも鈴が三つ、それから赤い房。
「なんか、思ってたよりもずっとチャーミングなんだけど。
これ本当にオレの?」
「えぇ。間違いなく」
自信たっぷりのチコに促されるまま、陸歩は鯉口を切った。
刀を、抜き放つ。
「――、」
息を呑む。
冴え冴えとした刃。
その鋭いこと。
美しいこと。
抜刀の瞬間、音が切れたと錯覚した。
温度を斬ったと錯覚した。
鏡のように滑らかで、
少女の肌のように艶やかで、
獣の筋のようにしなやかで、
神様の指先のように厳かで、
肉親のように恋しい、両刃の刀身。
「あぁ、チコ……。失礼なことを言って、申し訳なかった。
これはオレのだ。
誰が何と言おうと、オレの剣だ」
切っ先までが身体の延長のように思える。
刃の触れる、空気の流れまでが感じ取れた。
今この時、欠けていた半身をようやく取り戻した、とすら。
――彼のそういった様子を、険しく見つめる者があった。
「…………、」
イグナだ。
彼女自身にそのつもりはない。
しかしその視線には、わずかならぬ棘があったし、それは隣のキアシアが察するほどのものであった。
「イグナ? どしたの?」
「……わかりません。
正体不明のノイズが発生しているのです」
「ノイズ?」
「はい。リクホ様があの剣を抜いてから」
当の陸歩は未だ、剣に感動するのに忙しい。
彼の熱っぽい眼差しは、もう放っておいたら刀身にキスでもし始めるんじゃないかという勢いで。
そこでキアシアは、ぴんときた。
同時に、イグナが可愛くて仕方ない。
「イグナ、あんた、」
「はい。なんでしょう」
「いじらしいんだから、この娘はもぉーっ!」
「は。なぜ抱き着いて来られますか」
要するにイグナは嫉妬しているのだ。
主人が他の武具へ、心奪われていることに。
「――大丈夫よ、イグナ。
リクホの一番は、どうしたって絶対あなたなんだから」
囁くキアシアに、イグナはパチパチと瞬きした。
どういう理屈だろう。たったその一言で、ノイズが驚くほど軽減されたのだ。
「ありがとうございます。キアシアさん」
それと同時に、陸歩が剣を鞘へ納め、息をつく。
「気に入ったよ、チコ。さすがの出来だ」
「それは何より。
ですけど、それでも持ってかれちゃ困るんすよ」
「……代金、前払いじゃなかったっけ?」
「ではなくて。最終調整するんす。
柄の長さとか、握りの素材とか」
「あぁ、そうなんだ。どれくらいかかるの?」
「ほんのちょっとっす。
さっそく始めるんで。リクホさん、裸になってください」
「……、ん?」
「ほら、裸に。さっさと脱いで」
「んんー?」




