承:転 ≪旋風≫
よもや、向こうから現れるとは思わなかった。
ムミュゼは一瞬で全身に緊張を巡らせ、荷物を落とし、背中の剣へ手をやる。
キリカもまた主に倣ってバッグを捨てた。
「どうして、僕らが来ると分かった?」
襲撃を予期される心当たりなど、ムミュゼにはもちろんない。
慎重に問うと、アインは口角を吊り上げる。
「俺ぁ楽しいことには鼻が効くのよ」
如何にもふざけた答えだが、それが羅刹の口から出ると、妙に腑に落ちる。
「なるほど。
――魔女様を裏切ったのも、そのご自慢の嗅覚が理由か。
僕らとの殺し合いに甘美なものを嗅ぎつけたんだろ、戦狂いめ」
「あん?
おいおい、言いがかりだぜ。俺を破門したのは魔女殿だろうが」
とはいえ、全く的外れな指摘でもない。
確かにアインが陸歩について回っているのは、ムミュゼの言う通り、魔女の手下どもとの衝突を期待してのことだ。
高弟の一人に数えられていた頃には、仲間内での死闘は禁じられていた。
嗚呼、どれほど歯痒かったことか。
まったく生殺しだった。こうして睨み合うなど、望むべくもなかった。
願ったり叶ったりだ。
それは、ムミュゼにとっても同じ。
「そうだ、お前は追放された。……なのに魔女様はお前から、その篭手さえ取り上げようとなさらない」
「知らねぇよ。どうせまた、いつもの気まぐれだろ」
「その恩恵をほしいままに振り回してっ、それが裏切りとどう違う!?
お前が野放しだと思うだけで、僕は――っ」
刃が閃く。
振り下ろされた、フランベルジュ。
未だ鞘に包まれた大剣が、受け止めていた。
剣を合わせ、額を合わせ、二人の剣士が牙を剥き合う。
「っ虫唾が走るんだよ! アインヴァッフェ・イリュー!!」
「そうかい! んなら斬ってみろよその剣で!」
ぶつけた力に、両者の足元が爆ぜる。
キリカが、吹きつける圧に前髪をなぶられながら、必死で叫んだ。
「い、いけませんっ! こんなところではっ」
街の中、それも往来で、これはあまりの狼藉。
突然、長身の男と小柄な少年――少なくとも見かけ上は――が鍔迫り合いを始めたのだ。周囲の人々は怯え、どよめき、動ける者は防人を呼びに走る。
ちっ、とムミュゼが舌を打った。
大剣の柄を握る両手に、手拭を絞るような捻りを加える。
「お?」
アインの身体が後方へと滑った。雨上がりのぬかるんだ地面に、足で轍を刻みながら。
押し負けた、のとは手応えが違う。
その隙に、ムミュゼは愛刀を従者へと差し出した。
「場所を変える!
キリカ、抜刀! 『芭蕉扇』ッ!」
「はいっ」
少女が掴んだ瞬間。
鞘の表面が蠢き、キリカの右手を包み上げた。左の篭手とそっくりに。
金色の両手で、従者は主の剣を、解き放つ。
その刀身の、奇妙なこと。
一体どんな魔法で納められていたのか、明らかに鞘より幅広だ。
なにせ、軍配の形状をしている。
立てればムミュゼが隠れられるほどの巨大さ。
「吹き、飛べ!」
扇ぐように振るう。
突風が猛り狂った。
「お? おっ、」
アインを襲った風は、正面から、ではない。
これはムミュゼの剣術。ムミュゼによって正確に操作され、羅刹の周囲で一度逆巻き、旋風と化す。
恐ろしい速度で上昇する空気の流れは、アインを容易く持ち上げ、竹林の背丈より高くまで、天まで連れて行った。
「おうおうおうっ! はっはっはぁ!」
一瞬前まで立っていた地面は、すでに遥か下。
蒼穹へ投げ出される、というまたとない体験に、アインは喜色を満面にする。
「面白れぇ剣じゃねぇか!」
「――余裕ぶって囀るな!」
同じ高度に、ムミュゼもいた。
その右手には、魔剣『芭蕉扇』。
その左手は、鎧を纏ったキリカの細い腰を抱いて。
ジッズ大陸上空に巣食う、『龍』とあだ名される気流が三者を巻く――風を手懐けるムミュゼの剣へと、絡みついていく。
「食らえ」
「――っ」
芭蕉扇が撃ち出した威力は、先ほどの比ではない。
本当に龍に噛みつかれた――アインがそう錯覚したほどだ。
羅刹をして、目を開けてすらいられない。
羅刹をして、自分がどちらを向いているか分からなかった。
「っ! ぃっ! っ!」
風の一筋は刃の一閃と同じ。
激しく揉まれながら全身をズタズタに斬り裂かれ、どこへとも知れず流される。
「――ぉっ!」
戦闘者の直感か。
アインはパッと目の前を斬り払う。
押し寄せる空気の波を、束の間断ち、確保した視界に映るのは。
岩がちの大地。
墜落まで、呼吸二つ分――
「よっと」
とん、とフランベルジュを軽く地面へ突き立てる。
それだけで、アインは落下の衝撃をやり過ごしてしまった。
軽快に、着地。
ずいぶん飛ばされたらしく、見回しても岩と砂ばかりの殺風景で、街などどこにもない。
元いた竹林は、地平線の陰に隠れてしまったようだ。
「へへっ」
額から伝った血を、ぺろりと舐め取った。
ふわりとムミュゼが、キリカを連れて、羽根のように降りてくる。
彼のその表情は強張り、畏れに近いものが浮かぶ。
間違いなく、必殺の一撃を放った。自らの力量、魔剣の能力のみならず、大自然の力まで借りた、正真正銘必殺の剣。
それを受け、なおアインは、平然としている。
血塗れの身体を、羅刹は何の痛痒でもないと言わんばかり。
傷はさっそく塞がり始めており、どんな化け物か。
そして何より、アインの剣技の練度よ。
剣士として千の流派を見聞きしてきたムミュゼは当然、重力操作剣術もその概要を掴んでいる。
重くするばかりが能でなく、軽くするもまた自在の剣、と知識にはあった。
だが、雲の高さから落とされて、傷の一つも負わないとは。
「腐っても、魔女様から『剣』の月を賜りし、剣士と言うことか……」
「そういうテメェはなに背負ってんだよ。
あぁ、間に合わせの『箙』かよ!」
「――殺すっ!!」
「あっ、ムミュゼ様!?」
羅刹は嗤った。
吹き荒ぶ風、それに乗じて滑空し迫ってくるのは、誇張無しの難敵。
愛おしいことこの上ない。
「そうだ、来い! 次の手品を見せてみろ!」




