承:承 ≪英霊≫
酔った。
寺院の縁側にぐったり大の字になった陸歩は、暖かいおしぼりで目を隠し、あーうー唸っている。
はだけた腹の上には茶釜。これは、格好が丁度いいから湯を沸かしておけ、とキアシアに置かれたものだ。
主の有様が、イグナにはひたすら不憫でならない。
「お労しや、リクホ様……」
「あー……うー……みっともねぇ……」
「――この景色に酔えるのは、一角の剣士の証ですよ」
徳とは滲み出るものなのか。
簡素な法衣でありながら、それでも一目で高位と分かる老年の和尚が、柔らかに微笑みながらやってくる。
手には茶器を載せた盆。
手伝いに行っていたキアシアが、こちらは既に火を起こした風炉を持って、一緒に帰ってきた。
陸歩は目隠しを摘まんで持ち上げて、予期せぬ褒め言葉に、面映ゆげにする。
「いやぁ、そんな……」
「一望しただけで、御覧になったのでしょう? 剣士の『影』を」
「えぇ……まぁ」
ちらり、と中庭をもう一度見やる。
……目とは不思議なもので、一度そう視えたら、そうにしか視えない。
扉の樹の周囲に、ずらりと並ぶ刀剣。
その全てにぼんやりと、携えていた剣士の生前の姿が浮かび上がる。
顔まではとても判別できないが。背格好をなら察するには十分だ。
そんな無数の英霊が佇む様は……眺めるだけで何か、陸歩をひどく消耗させる。
「うー……」
キアシアが首を傾げ、目を細めた。
「本当に視えるの? どこぉ? イグナも視える?」
「いえ、ワタシにも、なにも」
和尚が陸歩から釜を受け取り、風炉に据え、茶を点て始める。
「刀剣には、持ち主の癖が刻まれるもの。
刃の傷、柄の擦れ、鍔の摩耗、鎺のへこみ――全て、剣士の痕跡なのです。
どのように抜刀し、振るい、何を斬ったか、その記録に他なりません。
優れた剣士にならば、読み解けるのですよ」
陸歩は、なるほど、眼精疲労に合点がいった。
つまり剣から霊を視るのは、それら微細な『痕』を見ているわけで、極小かつ膨大なテキストをじっと読んだようなものか。
「……でも、オレ、こんなの視えたの、初めてですけど」
言いかけて、思い直す。
これまで幾人もの剣士と相見えてきた。
けれど、そういえば、持ち主不在の使いこまれた剣とは、そうそう出会ってもいないか。
数少ない心当たりといえば、嘘の吐けなくなる泉に沈められた、聖剣とか。
身を起こし、頭を振るう。
傍らの鈴剣を手に取った。
刃を半分だけ、鞘から抜いて。
「……迷い傷が、いっぱいだなぁ」
ほっほっほっ、と好好爺が笑う。
「大変な道のりを、ここまでやっていらっしゃったようで」
差し出される茶碗。
抹茶は茶筅で丁寧に、きめの細かい泡が点てられて、雨上がりの日差しにきらきらと輝く。
一口。
まろやかな苦みが、煩悶を和らげてくれる、そんな気がした。
「美味しいです、とっても」
「それは何より。さぁ、お嬢さん方も、どうぞ。
――そちらの剣士殿も、いかがですか?」
声を掛けられても、当のアインは振り向きもしない。
屋根の下にさえ入らず直立不動で、じっと剣林に見入っていた。
有難いことに、和尚は気分を害さないでくれたが、あの男の無礼なこと。
「おい、アインっ」
「よろしいのですよ。
それで、御用の向きは? やはり当院の、鞘人形ですかな?」
「あぁいえ、実は。
クヤナギの鍵を、頂けないものか、と……」
ほう、鍵、と和尚は僅かに眉を上げる。
「あまり、剣士でお求めになる方は、おりませんね」
クヤナギを訪れる武士は、大抵がここを終点と定めてやってくる。
剣道の果てに、愛刀を奉納して有終の美とするつもりであって、再訪などは端から念頭にないのだ。
もちろん物見遊山の連中もいるが、その程度の半端剣士は、鞘人形にたちまち怖気づいて這う這うの体で逃げ出して、この街に足しげく通おうなどという気概はない。
陸歩たちのように剣を帯びながら、まず鍵、というのは稀らしい。
「まぁ、事情がありましてね。
……オレなんかが、あの太刀に勝てるなんて、自惚れてもいませんし」
海神流天海剣の、あの太刀。
直感でしかないが、おそらくあれは、流派の始祖が残したものだ。
現代まで、それを超える者が現われていないこと――自らの師匠ですら――に、陸歩は複雑な畏れを抱かずいられない。
ふむ、と和尚は顎を擦った。
「鍵の譲渡は、半分は役所が行っています。
商い用に求められる方は、そちらで手続きしますが……」
「ただの旅人だと、難しいですか?」
「剣士の方に対しては、当院に任されております。
が、端的に申しますと、試練に挑んでいただく必要が」
要するに、鍵の贈与は敢闘賞なのだ。
剣の奉納のため鞘人形に対決しながらも、あと一歩及ばなかった剣士に、寺院が「是非また」と渡すもの。
「――じゃあ、リクホ、お前がやるしかないな?」
いつの間にかアインが傍にいて、陸歩の飲みかけを奪い、ぐびぐびと呷った。
口元を拭って。
「勝っちまっても、鍵はくれないってことだろ?
俺がやったら負けねぇし」
「……巨人は言うこともデカいのな」
と皮肉るものの、実際この男なら確かに、そうそう負けない気がする。
認めるのもどうかと思うが、この世界を相手取ろうという魔女が、駒とするに十分と踏んだ剣士なのだ。
アインに匹敵する者があるとすれば、その剣士もまた、通常の枠から外れた存在であるはず。
「じゃあ、首尾よくやっとけよ」
「は? あ? アインっ?
どこ行くんだよお前!」
「散歩」
「ちょっと待てって、おい、おぉいっ!」
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クヤナギ、と一口に言っても広大だ。
いくつかの区に分かれ、人を探そうと思ったらそれなりに手間がかかる。
だが、ジュンナイリクホもアインも剣士。
剣士がこの街へやってきたら、必ず中央院に足を運ぶはず。
網を張るならば、そこだろう。
そう当たりを付けたムミュゼとキリカの前に。
「――よう」
羅刹が、立ちはだかる。
まるで、散歩の途中のような気楽さで。
「アイン……っ」
「来たのはお前か、ムミュゼ。
なぁ、今ちょっと待ち時間なんだよ。
退屈しのぎに、付き合っちゃくれねぇか?」




