起:結 ≪訪問≫
どうも、入口と反対側に来てしまったらしい。
「すまん、キリカ。道を間違えたようだ」
「いえ。私も、地図の用意を怠りました」
クヤナギを囲む竹は間隔が狭い。
彼の背には我が身より巨大な剣があり、彼女も肩掛けバッグがこんもりと大荷物だ。
緑の格子の隙間を縫っていく、というわけにもいかなかった。
ムミュゼとキリカは、竹林の外周をぐるりと回り込む羽目になる。
並び歩く彼らは、傍目にはあまり似てない姉と弟。
だが実際には、ムミュゼの実年齢は容貌よりもずっと上で、二人の関係は口調の通りだ。
束の間、雲が燦燦と降り注ぐ陽光を遮り、やがて行き過ぎた。
「風が早いな。……雨が近いかもしれない」
思わず、キリカは笑みを零した。
「どうした」とムミュゼが目を眇める。
「あ、すみません。
久しぶりだなぁと思って。ムミュゼ様が、お天気を心配するの」
そう言われてみれば、彼も懐かしい心地がする。
かつて、剣の真髄を求めて各地を流浪した修業時代。街から街の間では、天気の移り変わりは重大で、しきりに気にしたものだ。
魔女に下駄を預けてからは、旅行の暇もなかった。
こうして彼女と二人、どこかを目指して歩くだけ時間は、若かりし頃に戻ったようで、ある種の安息すらある。
……今回のこれも仕事につき、あまり浸ってばかりもいられないのが、辛いところだが。
「鍵があればクヤナギまで、よくも悪くも一瞬だった」
「剣に縁の街だそうですけど――ムミュゼ様も、初めて、いらっしゃるんですよね?」
我が主こそ一角の剣士、とキリカは誰にも憚ることなく断言できる。
なのに、そんな彼がクヤナギに来たことがないとは、何かデリケートな事情があるのか。斟酌した少女は、遠慮がちに訊ねた。
ムミュゼは何でもなさそうに肩を竦める。
「未熟なまま訪れたくはなくって。
クヤナギは、極限まで至った剣士が、終着とする地だ。
偉大な達人たちには敬意を払いたい。半端な剣術かぶれは、近づくのもおこがましい街。
来るならば、僕もその域に踏み込んでから。そう思ってた」
「では。ついに、ですね」
控えめな従者が、いつになく語気に力を込めている。
対照に、ムミュゼからは苦笑が漏れた。
「さて、どうだろう。
今の自分が本当に、功が成っているか……難しいな。
剣の道は深淵だ」
「ムミュゼ様……」
キリカには、分からない。
武者修行中の彼に拾われて以来、ずっと共に過ごしてきたが、彼女自身に武の心得はまるでなく、剣士の見ている世界は想像するしかない。
彼が難しい、深淵だというのなら。きっとその通りなのだろうけれど。
けれど。
主はつい先日、過去より蘇りし剣聖を討ち果たした。
かの聖剣を自らの勲に加えた。
今さら彼が、一体何者に劣ることがあろうか。功が成っていないことがあろうか。
キリカには分からない。
ぽつぽつと、ついに雨が降り始めた。
ムミュゼが小さくため息を吐く。
「間に合ったな」
「はい」
目の前から、林道が始まっている。
曲がりくねったこの道の先に、街の正門があるはずだ。
道幅は牛や馬が通れるほどあるが、頭上では左右から竹が被さり塞がって、ちょうど良い屋根だ。
土の匂いに、独特な葉の匂い。
雨の香りも加わって、サァサァと音もあり、なにか参道のような神聖さを覚える。
迷う心配はあまりなかった。
何せ、外から見たまま竹が茂り、道を外れようがない。
「…………」
「…………」
知らず、ムミュゼは物思いに耽る。
傍らのキリカも察して、沈黙を守った。
「…………」
ジュンナイリクホ。アインヴァッフェ・イリュー。
その名を、彼は口の中で呟いた。
連中も、既にここを通っただろうか。それとも自分たちが先に到着したか。
奴らがクヤナギへやって来るとは、カナからもたらされた情報だ。
魔女様のため、あの二人の剣士を打倒するよう、ムミュゼは要請された。
ついでに、街が蔵する剣術の全てを、食らい尽したらどうか――そんな放言まで、カナはらしくもなく宣っていたが。
そんな無礼を働くのは、剣士ムミュゼ・ミアトの沽券にかけて拒否するにしても。
「――キリカ」
「はい、ムミュゼ様」
周囲で竹が震え、葉を揺すった。
藪の奥で気高く賢明な牙獣たちが、伏せるように身を低くし、息まで潜める。
小柄のムミュゼから迸る、圧。
彼の背で剣がキシキシと、内側から鞘を擦る。
「順番は逆になるが。
クヤナギに行き、奴らを倒せば――示せるかもしれない。僕の剣の、功を。
他でもない、僕自身に」
「はい。はいっ!」
「命懸けになるだろう。悪くすれば死ぬかもしれない。
それでも。
力を、貸してくれるか?」
「もちろんですっ!
ともに参ります……! そこがどんな死地でも、地獄だとしても!」
「ありがとう」
ついに目の前には街が現われ、待ち受けた門の両側には、刀を携えた防人。
柄に手をかけているのは、先ほどムミュゼがぶちまけた剣圧を、嗅ぎ取ってのことだろう。
「…………」
ぎろり睨み付けてくる防人たち。
ムミュゼは猛省する。
期待と衝動に駆られて内気を暴発させるとは、我ながら品がなく、未熟だった。
門番たちへ、正しく剣士の作法で礼をし。
彼は、腹心の従者を連れて。
いま、剣の聖地へ足を踏み入れる。




